SSブログ

大原のざこ寝 江文神社 (1) [スペインのハエ (R-18)]

なにものかまったく存じませんが
大沢某という芸能人みたいな四十男が
DNA 鑑定したら長男が
自分のこどもではなかったと発表していました。

それがどうしたの?!
みんなにいうほどのことですかね。

自分の妻が産んだこどもは
全部自分のこどもでいいのじゃないですか。

「初子は親に似ない」ですよ。

「最初の子は父親に似ていない」のはあたり前?!
別に目くじらを立てることもなく
楽しく生きてきたのが日本民族ですよ。

藤林貞雄著/性風土記/によると
ほんのこの前まで日本の多くの集落では
婚礼の夜!
ところによってはそれからなん日も
花嫁と同衾(どうきん)する人は
花婿じゃないのですね!(拙ブログ 2008/10/11

ま!それはお互いさま。
お嫁さんはムラ中のお嫁さん。
ムラ中みんなのお嫁さんなら
なにがあっても!とても他人とは思えません!
困ったときにはすぐ飛んで行き手を貸せます。
連帯感満ち満ちて!しあわせいっぱい。

いいことです。



婚礼からなん日かは!花嫁はみんなのもの?!

そこまでは理解できないこともないのですが
ムラの女性は永久にムラの男性みんなのもの!
ムラの男性は死ぬまでムラの女性みんなのもの!
という時代が先の大戦まであったと
赤松敬介著/夜這いの民俗学/に書いてあります。

連日の過酷な労働の後の娯楽は
性の饗宴!「夜這い」しかなかったのかも。

著者・赤松啓介(1909 ~ 2000)は
昭和 8 年(1939)から 14 年ごろまで
播磨!摂津!丹波!河内!大和!和泉!淡路等で
聞き取り調査をして
どのムラにも老若男女
夜這いの楽しみがあったと確認しています。

それぞれの集落で
それぞれのルールや
掟(おきて)がありますけどね。



夜這いはふたり単位ですが
たまには男女が大勢集まって乱れる
「夜遊び」という遊宴!性宴もあったようです。

またの名を「ザコネ(雑魚寝)」という
性のイベントでしょうか。

ゴンドラの唄の作詞者で
晩年!祇園で耽美(たんび)な生活を送った
吉井勇(1886 ~ 1960)も
雑魚寝がたいそう好きだったようで

世之介の 大原(おはら)の里の 雑魚寝より
われの雑魚寝は なまめかしけれ

なんて歌を残しているようですが。

「世之介」とは
井原西鶴の処女作「好色一代男」の世之介ですね。

世之介が
節分で年越し詣でに鞍馬に行き聞くのです。
この日は「大原の雑魚寝」があると!

「老若のわかちもなく」
「神前の拝殿に」
「みだりがはしく うちひして」
「なにごともゆるすとかや」

世之介はさっそくかけつけて
あどけない娘から 70 ぐらいな婆さんまで
ムラのセックスが可能な人が全員集結して
入り乱れて泣くやら笑うやら
うれしがるやら、、、を目撃します。

余談ですが
洛北・大原の里を
昔は「おはら」と発音することが多かったようです。
「大原女」なら「おはらめ」というふうに。
今の人は「おおはら」という場合が多いような。



その大原の雑魚寝の場所が
江文(えふみ or えぶみ)神社だとか。
blog21.jpg

先日!雨の中
アラフォー(around 40)のおね~さんと
通り過ぎました。(拙ブログ 2015/11/19
blog22.jpg

そんなに大きくはありませんが
きれいな神社ですね。
blog23.jpg

どこで雑魚寝をするのやら。
blog24.jpg

今はもうないのでしょうか。

「残念ですね!おね~さん」

あら!叱声があるものと思っていたら
おね~さん!真顔で雑魚寝の考察。

雨のせいか薄暗い境内で
雑魚寝にもならず!立ち尽くしたまま
神妙にディスカッション。

今!思い出せばこっけいですが。


(敬称略)

(この先!数行先あたりからブログに表示しません)
(入力は直接でも文章の貼りつけでもできるのですが)
(エントリーすると消えます)
(別のパソコンに替えて試行しても同じです)
(午前 1 時になりましたのでとりあえず今日はここまで)
(明日につづきます)
(パソコンが正常にもどっていたら、、、のはなしですが)
タグ:初子
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感