御堂筋 幻のプラタナス [わが街・大阪ブギウギ]
大阪市のメインストリートの
南北に走る御堂筋の北の端でしょうか。
阪急百貨店の方から南へ
曾根崎警察署の方に向いています。
南に歩きます。
このあたりには
イチョウ(公孫樹)と
クスノキ(楠)の両種が植えられています。
江戸時代にはなんという道だったのでしょうか。
淀屋橋あたりは
淀屋橋筋といわれていたそうですが。
江戸時代の御堂筋は
幅員が 3 間(5.4m)もなかったそうな。
その御堂筋が
昭和 12 年(1937)
北に!そして南に延長され
全長 4.15km になったそうな。
道幅は 24 間(43.6m)に拡張されています。
堂島川に架かる大江橋に着きました。
ふり返ると。
新・御堂筋の北の端からここまでは
昭和 12 年時にはプラタナスの並木だったそうな。
プラタナスなんて 1 本もありません。
どんないきさつがあったのやら。
北の方にはクスノキもありましたが
ほとんどイチョウですね。
大部分の木が葉を落としています。
そんな樹種の確認には
夏にくればいいのでしょうけど。
思いつきが間抜けですなぁ。
堂島川を横断する大江橋を渡り
中之島の日本銀行の前に。
明治 36 年(1903)竣工の旧館が
黄色に化粧しています。
すぐ土佐堀川に架かる淀屋橋。
渡れば旧・淀屋橋筋がつづきます。
午後 4 時を回れば夕暮れの顔ですね。
この辺で電車に乗ってもいいのですが
ま!歩くことが科せられた運命でしょう。
歩けるだけ歩きますか。
「淡路町3」の交差点。
ここで淀屋橋筋が終わり
ここが江戸時代の御堂筋の北の端のような。
右手(西側)に
北御堂(津村別院)が見えてきました。
船場センタービルを越えたら
やはり西側に南御堂(難波別院)があります。
ふたつの御堂の前を通っていた道ですから
御堂筋なんですね。
北御堂を「西御堂」と書いてある
江戸時代の地図に遭遇したことがあります。
江戸時代の絵師の方位感覚を疑ってはいけません。
北御堂は浄土真宗本願寺派なんですね。
つまり「お西さん」
だから西御堂でいいのですね。
同様に浄土真宗大谷派の
「お東さん」の南御堂が
「東御堂」と書かれていたりします。
長堀川に着きました。
もっとも!今は埋め立てられて
大きな道路になっていますが。
江戸時代の御堂筋の南限でしょうか。
ふり返れば旧・御堂筋。
ますます暗くなって
どのイチョウの木にもしかけられている
イルミネーションが点灯し出しました。
このあたりから大阪のいわゆるミナミかも。
にぎやかさが幼稚に感じられます。
はなやかで!はでで!やかましくて!
生殖能力の高そうな多くの男女が
道をふさいでいます。
道頓堀川をのぞけば
観光船がいそいで通り過ぎました。
この寒空の夕暮れ。
ご苦労なことです。
正面が高島屋百貨店ですね。
今の御堂筋の南端でしょうか。
1 時間ほどの旅でした。
難波から電車でわが家に帰ると
大阪(梅田)駅から乗る場合に比べて
JRでも市営地下鉄でも 40 円お得です。
これで 40 円の節約!
ですが!
いつもは高い!高い!と
不平不満をいっている電車賃が
とても安く感じてしまいました。
南北に走る御堂筋の北の端でしょうか。
阪急百貨店の方から南へ
曾根崎警察署の方に向いています。
南に歩きます。
このあたりには
イチョウ(公孫樹)と
クスノキ(楠)の両種が植えられています。
江戸時代にはなんという道だったのでしょうか。
淀屋橋あたりは
淀屋橋筋といわれていたそうですが。
江戸時代の御堂筋は
幅員が 3 間(5.4m)もなかったそうな。
その御堂筋が
昭和 12 年(1937)
北に!そして南に延長され
全長 4.15km になったそうな。
道幅は 24 間(43.6m)に拡張されています。
堂島川に架かる大江橋に着きました。
ふり返ると。
新・御堂筋の北の端からここまでは
昭和 12 年時にはプラタナスの並木だったそうな。
プラタナスなんて 1 本もありません。
どんないきさつがあったのやら。
北の方にはクスノキもありましたが
ほとんどイチョウですね。
大部分の木が葉を落としています。
そんな樹種の確認には
夏にくればいいのでしょうけど。
思いつきが間抜けですなぁ。
堂島川を横断する大江橋を渡り
中之島の日本銀行の前に。
明治 36 年(1903)竣工の旧館が
黄色に化粧しています。
すぐ土佐堀川に架かる淀屋橋。
渡れば旧・淀屋橋筋がつづきます。
午後 4 時を回れば夕暮れの顔ですね。
この辺で電車に乗ってもいいのですが
ま!歩くことが科せられた運命でしょう。
歩けるだけ歩きますか。
「淡路町3」の交差点。
ここで淀屋橋筋が終わり
ここが江戸時代の御堂筋の北の端のような。
右手(西側)に
北御堂(津村別院)が見えてきました。
船場センタービルを越えたら
やはり西側に南御堂(難波別院)があります。
ふたつの御堂の前を通っていた道ですから
御堂筋なんですね。
北御堂を「西御堂」と書いてある
江戸時代の地図に遭遇したことがあります。
江戸時代の絵師の方位感覚を疑ってはいけません。
北御堂は浄土真宗本願寺派なんですね。
つまり「お西さん」
だから西御堂でいいのですね。
同様に浄土真宗大谷派の
「お東さん」の南御堂が
「東御堂」と書かれていたりします。
長堀川に着きました。
もっとも!今は埋め立てられて
大きな道路になっていますが。
江戸時代の御堂筋の南限でしょうか。
ふり返れば旧・御堂筋。
ますます暗くなって
どのイチョウの木にもしかけられている
イルミネーションが点灯し出しました。
このあたりから大阪のいわゆるミナミかも。
にぎやかさが幼稚に感じられます。
はなやかで!はでで!やかましくて!
生殖能力の高そうな多くの男女が
道をふさいでいます。
道頓堀川をのぞけば
観光船がいそいで通り過ぎました。
この寒空の夕暮れ。
ご苦労なことです。
正面が高島屋百貨店ですね。
今の御堂筋の南端でしょうか。
1 時間ほどの旅でした。
難波から電車でわが家に帰ると
大阪(梅田)駅から乗る場合に比べて
JRでも市営地下鉄でも 40 円お得です。
これで 40 円の節約!
ですが!
いつもは高い!高い!と
不平不満をいっている電車賃が
とても安く感じてしまいました。