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大和の小泉城跡にて [町道!街道!眠り未だ足らず]

JR大和小泉駅。
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「小泉」はどこにでもある地名かも。
小さな泉はどこにでもあるでしょう。
どこにでもある「小泉」を区別するために
「大和」をつけているのです!きっと。
地元ではつけないでしょうけど。

しかし「小さな泉」じゃないんですね。
「小」「白」「水」の合成語だというのです。
大和郡山市長がいうのですが。
あ!この地は!今は奈良県大和郡山市だそうです。

これが「小」「白」「水」!
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石州流茶道の宗家の慈光院近く。
色気のないトラックがやたら往来する車道脇。
弘法大師が掘った井戸という伝承。
ひでりがつづいても
未来永劫枯れることがないといわれた井戸らしい。

水なんかありませんけどね。

弘法大師!小白水から小泉!なんてそろえば
後づけのはなしのような。
日本ではよく
地名にこじつけたはなしを創作していますよね。
風土記を献上せよといわれた7、8 世紀ごろから。



この地は城下町。
小泉城がありました。
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もっとも!石碑しかありませんけどね。

城下町の面影もシロートにはよく分かりません。
埋め立てられなかった堀はいくつかあります。

外堀らしい。
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お庭池でしょうか。
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薙刀(なぎなた)池ですね。
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池のそばの建造物は高林庵。
江戸幕府の茶道指南の片桐家の居宅らしい。
江戸時代の城主はずっと片桐なんですね。
その前のお殿さまは小泉ですけどね。

そういえば小泉城址のところに
片桐城と書かれた案内もありましたね。

薙刀池に影を落とす櫓(やぐら)らしきもの。
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最近に復興されたという人もいましたが。



小泉神社に小泉城のどこかの門を移築したという
面白い門がありました。
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不格好なのは柱を継ぎ足しているから!?
祭の「だんじり」を通すためらしい。

庚申堂には大手門を移築していました。
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庚申堂といえば猿!
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身代わり猿!
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有名な奈良の奈良町の庚申堂の猿や
大阪の四天王寺の庚申堂の猿と
少し違うというのですが!よく分かりません。

幾何学らしい算額がありました。
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境内も広く立派な寺院ですが
無住とは!ときの流れを感じさせます。



円墳らしい土盛りの上に親子塚なる碑。
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武士の子が父の仇(かたき)にめぐり会えて
いざ!本懐を遂げようとしたら
その男は自分の実の父でした。

ふたりは運命をうらんで
ふたりとも自害して果てたところ。

私ならそんなことおかまいなしに
知らなかったことにして
ズブズブと刺しますけどね。
「血」なんてなんの感慨がありましょう。

氏より育ちでしょう。
慈(いつく)しみ深かった父(養父)の
あだ討ちが先のような。
その実の父ちゃんだって
自分のこどもを養育してくれていた恩人を
殺しているんですよ。

実感もないなにもない「血」なんて
後づけの物語しかないでしょう。
ま!それができるのは人間だからかも。
悲しい性(さが)ですね。

円墳は風化が進んで
親子塚はチャールストンを踊っています。
今にも崩れるでしょう。

ああ!人間やめたくなった冬です。
もう!半分やめているのかも。
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