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しおんじやま古墳 [いわなが姫の丑の刻参り]

大きな前方後円墳。
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大阪府八尾市大竹にあります。
「心合寺山古墳」だそうですが。
読めませんね!おフランス人には。
日本人でも地元の人くらいでしょう!読めるのは。

「しおんじやまこふん」だそうですよ。
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ここに心合寺(しんごうじ)という
寺院があったといいます。
飛鳥時代だといいますから
もう!伝説の世界のはなしといえば叱られますか。

あったとしても!それがいつ!どうして
「しおんじ」と読むようになったのか
だれも教えてくれません。

心合寺山古墳は全長 160m ばかり。
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最近!
主に円筒形の埴輪(はにわ)を復元して
表面の半分ばかり
葺石(ふきいし)を復元しています。
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ここは河内平野の東縁
東方を見上げれば生駒山地がそびえています。

八尾市のこのあたりの高安山山麓は
高安千塚古墳群と命名されていて
おびただしい古墳があるそうな。

千塚はないでしょうけど
300 基以上あったそうですが
今はどんどん破壊されているのでしょうね。

抜塚(ぬけづか)というふしぎな古墳。
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古墳は崩され
横穴式の石室も失われて
羨道(せんどう or えんどう)だけ
トンネルのように残っているのですね。

抜塚に見られるように
玄室だろうが
葺石だろうが石棺だろうが
石材としてはぎとられて行ったのでしょうね。

大阪(大坂)城をはじめ
多くの城の石垣にもなっているのかも。



向山古墳には
平安時代末期の瓦の窯跡があるそうな。
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古墳は盛り土ですので
陶土や壁土として
容易に採集・利用できるのでしょうね。

もう消えるまぎわでしょうか。
モヒカン刈り状態になってしまっている古墳。
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玄室がふたつつながっている古墳は
よく残ったものです。
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歩けばいくらでも石室が現れます。

大森貝塚を発掘したモース(Edward Sylvester Morse)や
「日本考古学の父」といわれた
ゴーランド(William Gowland ガウランドとも)も訪れて
調査・報告しているそうな。

つまり明治の初頭には
発掘などの手間なことをしないでも
簡単に調査・計測ができるほど
すでに石室がむき出しになっている
古墳ばかりになっていたのでしょうね。



堺市は百舌鳥(もず)古墳群
藤井寺市・羽曳野市は古市(ふるいち)古墳群を
世界文化遺産に登録しようと努力していますが
八尾市にも数多くの古墳があるじゃないですか。

みんな個人の土地だそうな。

地元の人の弁。

「土と石が売れれば売って」
「跡地を宅地にした方が保存より経済的!」

そうですね。
イスラム国が遺跡を破壊するのはニュースになっても
古墳の崩壊にはだれも興味を示しませんね。
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私の棲む大阪市の上町台地には
あまたの古墳があったという人もいますが
せいぜい痕跡がふたつみっつ。
なんにもなくなっています。
他人の非難は平気なものですが。

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