船場のおひなまつり 熱い豚汁 [昼定食]
ひな人形の段飾りの 3 段目。
五人囃子(ごにんばやし)!
狩衣(かりぎぬ)の男(おのこ)が 5 人。
向かって左から
太鼓(たいこ)!大皮鼓(おおかわつづみ)!
小鼓(こつづみ)!笛(ふえ)!謡(うたい)と
飾っているのを目にしたような。
ひな人形にも五月人形にも縁がない人生には
その五人囃子の演奏なんか聴いたことは
当然ありませんが。
船場のおひなまつり(2016/02/26 ~ 03/03)という
イベントで演奏があると聞いて
田辺三菱製薬ビルの会場に行きました。
おぼろな記憶とちょっと違います。
裃(かみしも)の演者。
左から太鼓!大鼓(おおづつみ)!
小鼓(こづつみ)!笛!謡!です。
山本能楽堂からきた「能」の五人囃子でした。
画像はこれだけ。
想像してください。はは。
「能」の演者には肖像権があるので撮影禁止とか。
そんなに垣根を高くすることが
「能」の値打ちの向上に役立っているのでしょうかね。
いえるのは「能」の大衆化にはならんでしょうね。
それはともかく!
五人囃子は
ひな飾り!雅楽!能楽!狂言!歌舞伎!長唄等の
それぞれの世界で形が違うのかも。
いきなり分からなくなりました。
奥が深そう!考えるの!やめます。
やっぱり!
ひな人形も五月人形も私には別世界のものです。
このイベントに
北船場の五家に伝わる
ひな人形を展示公開していました。
通称・神農さんの少彦名(すくなひこな)神社には
別所家のおひなさま。
あ!
おね~さん!だめですって。
参拝にきた人じゃないと見てはいけないって!
退散しましょう!ゾロアスター教徒は。
「それはあなただけ!でしょ!?」
芝川ビルには
芝川家のおひなさま、、、がありましたが
ハナから
カメラを持つことを厳しくとがめられました。
撮ることに命をかけている訳じゃありませんが
あちらもこちらも
制約の多い「おひなまつり」イベントですね。
芝川ビルの階段で
「写真展 洋装のいとはん」を開催していました。
「いとはん」じゃなく「いとさん」と呼ぶのが
いいのじゃないでしょうか。
「はん」づけはちょっと軽んじたいい方?!
ともあれ!戦前の芝川家の
いとさん(お嬢さん)の写真が中心です。
当時の芝川家は大不動産王。
そのお嬢さんの洋装です。
昭和 2 年(1927)
このビルの竣工時の屋上で撮られています。
ああ!今も建てものは当時のままのような。
愛珠幼稚園!?
昭和 5 年(1930)撮影。
今もおんなじですね。
空襲が激しくなったので
防火のために壊されることになっていたのに
間一髪!終戦を迎えたと聞いたことがあります。
日本で 2 番目に古い歴史がある幼稚園。
新井家も鷹岡家も撮影は禁止。
ガラス越しですが
生駒家のおひなさまは撮影できました。
なんという可愛いおひなさま。
この持ち主のいとさんは
はたち過ぎに夭折(ようせつ)したのだとか。
悲しみのあまり
豪華な段飾りは処分してしまったそうですが
なぜか!これだけが残されていたそうな。
大金持ちの跡取り娘の石上露子の
ことばじゃないけど(拙ブログ 2013/11/16)
どんな生い立ちにも光と影があります。
「無料」だの「早割」だの「50 円引き」だのと
船場のいとさんにもぼんぼんにも縁がない
貧乏人の気を引く看板。
ランチにしますか。
竹ちゃんプル定食 630 円。
この居酒屋の屋号の「竹ちゃん」と
「チャンプル」の合成語?!
豆腐ともやしの炒めたもの。
ははは。
値段が安いから
豆腐ともやしと納豆ばかり食べて生きています。
外食でまた!
豆腐ともやしを食べなくてもいいものを。
熱い熱い豚汁が心にしみます。
汁ものは舌を焼くほど熱くないと
なんだか悲しくなりますが。
味より具より!まず熱くなくては。
熱い汁 1 杯のしあわせ。
そんなしあわせでも
あるだけでいい、、、と思いたいものです。
浮世小路(うきよしょうじ)を抜けて帰りましょう。
「うきよこうじ」と呼びたいですけどね。
浮世舞台の花道は
表もあれば裏もある
花と咲く実に歌あれば
咲かぬ花にも歌ひとつ
浮世舞台ではなく浮世小路ですが
ここを通ればなぜかいつも
来宮良子(きのみやりょうこ)の
ナレーションを思い出してしまう
寂しい私です。(拙ブログ 2014/02/03)
だれと歩いても
たとえ恋人と歩いても明日が寂しい。
(敬称略)
五人囃子(ごにんばやし)!
狩衣(かりぎぬ)の男(おのこ)が 5 人。
向かって左から
太鼓(たいこ)!大皮鼓(おおかわつづみ)!
小鼓(こつづみ)!笛(ふえ)!謡(うたい)と
飾っているのを目にしたような。
ひな人形にも五月人形にも縁がない人生には
その五人囃子の演奏なんか聴いたことは
当然ありませんが。
船場のおひなまつり(2016/02/26 ~ 03/03)という
イベントで演奏があると聞いて
田辺三菱製薬ビルの会場に行きました。
おぼろな記憶とちょっと違います。
裃(かみしも)の演者。
左から太鼓!大鼓(おおづつみ)!
小鼓(こづつみ)!笛!謡!です。
山本能楽堂からきた「能」の五人囃子でした。
画像はこれだけ。
想像してください。はは。
「能」の演者には肖像権があるので撮影禁止とか。
そんなに垣根を高くすることが
「能」の値打ちの向上に役立っているのでしょうかね。
いえるのは「能」の大衆化にはならんでしょうね。
それはともかく!
五人囃子は
ひな飾り!雅楽!能楽!狂言!歌舞伎!長唄等の
それぞれの世界で形が違うのかも。
いきなり分からなくなりました。
奥が深そう!考えるの!やめます。
やっぱり!
ひな人形も五月人形も私には別世界のものです。
このイベントに
北船場の五家に伝わる
ひな人形を展示公開していました。
通称・神農さんの少彦名(すくなひこな)神社には
別所家のおひなさま。
あ!
おね~さん!だめですって。
参拝にきた人じゃないと見てはいけないって!
退散しましょう!ゾロアスター教徒は。
「それはあなただけ!でしょ!?」
芝川ビルには
芝川家のおひなさま、、、がありましたが
ハナから
カメラを持つことを厳しくとがめられました。
撮ることに命をかけている訳じゃありませんが
あちらもこちらも
制約の多い「おひなまつり」イベントですね。
芝川ビルの階段で
「写真展 洋装のいとはん」を開催していました。
「いとはん」じゃなく「いとさん」と呼ぶのが
いいのじゃないでしょうか。
「はん」づけはちょっと軽んじたいい方?!
ともあれ!戦前の芝川家の
いとさん(お嬢さん)の写真が中心です。
当時の芝川家は大不動産王。
そのお嬢さんの洋装です。
昭和 2 年(1927)
このビルの竣工時の屋上で撮られています。
ああ!今も建てものは当時のままのような。
愛珠幼稚園!?
昭和 5 年(1930)撮影。
今もおんなじですね。
空襲が激しくなったので
防火のために壊されることになっていたのに
間一髪!終戦を迎えたと聞いたことがあります。
日本で 2 番目に古い歴史がある幼稚園。
新井家も鷹岡家も撮影は禁止。
ガラス越しですが
生駒家のおひなさまは撮影できました。
なんという可愛いおひなさま。
この持ち主のいとさんは
はたち過ぎに夭折(ようせつ)したのだとか。
悲しみのあまり
豪華な段飾りは処分してしまったそうですが
なぜか!これだけが残されていたそうな。
大金持ちの跡取り娘の石上露子の
ことばじゃないけど(拙ブログ 2013/11/16)
どんな生い立ちにも光と影があります。
「無料」だの「早割」だの「50 円引き」だのと
船場のいとさんにもぼんぼんにも縁がない
貧乏人の気を引く看板。
ランチにしますか。
竹ちゃんプル定食 630 円。
この居酒屋の屋号の「竹ちゃん」と
「チャンプル」の合成語?!
豆腐ともやしの炒めたもの。
ははは。
値段が安いから
豆腐ともやしと納豆ばかり食べて生きています。
外食でまた!
豆腐ともやしを食べなくてもいいものを。
熱い熱い豚汁が心にしみます。
汁ものは舌を焼くほど熱くないと
なんだか悲しくなりますが。
味より具より!まず熱くなくては。
熱い汁 1 杯のしあわせ。
そんなしあわせでも
あるだけでいい、、、と思いたいものです。
浮世小路(うきよしょうじ)を抜けて帰りましょう。
「うきよこうじ」と呼びたいですけどね。
浮世舞台の花道は
表もあれば裏もある
花と咲く実に歌あれば
咲かぬ花にも歌ひとつ
浮世舞台ではなく浮世小路ですが
ここを通ればなぜかいつも
来宮良子(きのみやりょうこ)の
ナレーションを思い出してしまう
寂しい私です。(拙ブログ 2014/02/03)
だれと歩いても
たとえ恋人と歩いても明日が寂しい。
(敬称略)