烏原貯水池 石井ダム 高速そば [野道!山道!恋はけもの道!]
神戸電鉄の鵯越(ひよどりごえ)駅から歩きます。
難しい漢字です。
覚えられません。
ここに住めませんね。
吾妻鏡や平家物語にある一ノ谷の合戦の
鵯越の逆落としの場所かどうかあやしいものですが
標高 134m という山中です。
渓流に出ました。
あ!お地蔵さまの前に
ろうそくが 2 本点っています。
だれもいません!人家もありません。
きゃ!
いつのまにか後ろににゃんこが!
あなたが点火したの?!
なにか神々しい。
白い毛がもふもふとして汚れていません。
ごほうびにあんぱんをあげましょう。
渓流と思ったのは
烏原貯水池の上流だったのですね。
1 周 2.7km の回遊路があります。
あれ?!あやしい視線を感じて見上げたら!
八角堂かな。
寺院でしょうか。
堰堤が見えてきました。
ん?!
ロックフィルダムですか!?
岩石や土砂で水をせき止めるダムかな。
違いますね!
石積みですか!すごい!
明治 38 年(1905)一次工事が完成しています。
水中に村が沈んでいるそうな。
人口 414 人の烏原村。
線香の原料の製造で有名な村だったそうな。
堰堤上に大きな碑(!)があります。
英文標記ですね。
「KARASUWARA RESERVOIR」とあります。
「烏原」は「からすわら」と読むのですね。
神戸市では明治時代に
いくつかの水道用の貯水池を完成していますが
布引五本松ダムなんかは外国人の設計です。
外国人に土木工事の設計をまかせたのは
なんだったのでしょうね。
日本人は今まで多くの池を造ってきたのでは。
日本書紀の崇神天皇のところに
狭山(さやま)池!依網(よさみ)池!
苅坂(かりさか)池!反折(さかおり)池を造った!
なんてありますね。
崇神天皇は記紀では紀元前の人?!
ではないですね。
2、3 百年下げたのが実年代でしょうけど
ただ!狭山池築造なんかは
それよりまだ下がるといわれていますがね。
おそらく築造は
古事記・日本書紀が編集された時代に
近いのじゃないですか。
それでも数々のため池を造ったといわれている
弘法大師よりはるかに古いことは古いですが。
朝鮮半島やら大陸には
ため池がほとんどないそうです。
とすると
日本に独自の貯水池造りの技術があったのでは!?
外人に頼らなくても。
浅学なものには分かりません。
でも!この烏原貯水池の設計は日本人。
佐野藤次郎という人らしい。
右岸を下って堰堤を渡って
左岸をさかのぼります。
桜のつぼみがほころんでいます。
染井吉野ももうすぐですね!お花見は。
椿の花は終わりかも。
散り敷いている花びらがくすんできています。
貯水池にそそいでいる烏原川をさかのぼります。
なにかあやしげな配管だらけ。
神戸市の鈴蘭台処理場!
下水処理場ですか。
90,000 人分の処理能力?!
この山の中にどこから下水がくるのでしょう。
ここではハイカー用にトイレを開放していました。
さらに上り
右に行く菊水山登山道と別れてすぐ
重力式コンクリートのダムが見えてきました。
見るからに新しい。
長い間工事をしていましたが。
平成 20 年(2008)完成の
石井(いしい)ダム ですね。
下流の水際から接近できるのですね。
右岸にダムに上がる階段があります。
310 段!上りきれば!
下に神戸電鉄が横切り
遠くに瀬戸内海が見えます。
多目的ダムといいますが
下流の烏原貯水池と連動して
洪水調節が中心のような。
ダムから上流には
幅員のある舗装路が延びていますが
くるまの往来はありません。
ダム管理用の道路らしい。
ふり向けば。
上流にも水際の周遊路があったのですね。
げ!
突然後ろから轟音!
神戸電鉄の電車がトンネルから現れました。
線路沿いを 30 分も歩けば
鈴蘭台駅があります。
老人・こどものグループを誘導するには
安全なハイキングコースかも。
神戸電鉄に乗って
新開地駅まで帰ってきました。
おなかが空きました。
今日のランチ用のあんぱんは
にゃんこにあげてしまいました。
高速そば!
構内にあります。
傾斜路の途中に器用に造られています。
新開地駅には
阪急!阪神!山陽!それに神戸電鉄と
たくさんの車輌がきているのですが
そもそも神戸高速鉄道の駅なんですね。
だから「高速そば」ですか。
ん?!
今日はラーメンが 210 円!(普段は 250 円)
麺類はあまり好みません。
出されたり!接待されるときには食べますが。
でも!金額には弱い。
安ければ万障繰り合わせる特技があります。
ラーメンください!
ま!そうでしょうね。はは。
210 円ですもんね。
麺には目がなかった亡き父や母が好きそうな
麺だけのラーメン。
具が主で麺は従という
私の麺食い作法(!)からはほど遠いけど!
おいしくいただきたいものです。
(敬称略)
難しい漢字です。
覚えられません。
ここに住めませんね。
吾妻鏡や平家物語にある一ノ谷の合戦の
鵯越の逆落としの場所かどうかあやしいものですが
標高 134m という山中です。
渓流に出ました。
あ!お地蔵さまの前に
ろうそくが 2 本点っています。
だれもいません!人家もありません。
きゃ!
いつのまにか後ろににゃんこが!
あなたが点火したの?!
なにか神々しい。
白い毛がもふもふとして汚れていません。
ごほうびにあんぱんをあげましょう。
渓流と思ったのは
烏原貯水池の上流だったのですね。
1 周 2.7km の回遊路があります。
あれ?!あやしい視線を感じて見上げたら!
八角堂かな。
寺院でしょうか。
堰堤が見えてきました。
ん?!
ロックフィルダムですか!?
岩石や土砂で水をせき止めるダムかな。
違いますね!
石積みですか!すごい!
明治 38 年(1905)一次工事が完成しています。
水中に村が沈んでいるそうな。
人口 414 人の烏原村。
線香の原料の製造で有名な村だったそうな。
堰堤上に大きな碑(!)があります。
英文標記ですね。
「KARASUWARA RESERVOIR」とあります。
「烏原」は「からすわら」と読むのですね。
神戸市では明治時代に
いくつかの水道用の貯水池を完成していますが
布引五本松ダムなんかは外国人の設計です。
外国人に土木工事の設計をまかせたのは
なんだったのでしょうね。
日本人は今まで多くの池を造ってきたのでは。
日本書紀の崇神天皇のところに
狭山(さやま)池!依網(よさみ)池!
苅坂(かりさか)池!反折(さかおり)池を造った!
なんてありますね。
崇神天皇は記紀では紀元前の人?!
ではないですね。
2、3 百年下げたのが実年代でしょうけど
ただ!狭山池築造なんかは
それよりまだ下がるといわれていますがね。
おそらく築造は
古事記・日本書紀が編集された時代に
近いのじゃないですか。
それでも数々のため池を造ったといわれている
弘法大師よりはるかに古いことは古いですが。
朝鮮半島やら大陸には
ため池がほとんどないそうです。
とすると
日本に独自の貯水池造りの技術があったのでは!?
外人に頼らなくても。
浅学なものには分かりません。
でも!この烏原貯水池の設計は日本人。
佐野藤次郎という人らしい。
右岸を下って堰堤を渡って
左岸をさかのぼります。
桜のつぼみがほころんでいます。
染井吉野ももうすぐですね!お花見は。
椿の花は終わりかも。
散り敷いている花びらがくすんできています。
貯水池にそそいでいる烏原川をさかのぼります。
なにかあやしげな配管だらけ。
神戸市の鈴蘭台処理場!
下水処理場ですか。
90,000 人分の処理能力?!
この山の中にどこから下水がくるのでしょう。
ここではハイカー用にトイレを開放していました。
さらに上り
右に行く菊水山登山道と別れてすぐ
重力式コンクリートのダムが見えてきました。
見るからに新しい。
長い間工事をしていましたが。
平成 20 年(2008)完成の
石井(いしい)ダム ですね。
下流の水際から接近できるのですね。
右岸にダムに上がる階段があります。
310 段!上りきれば!
下に神戸電鉄が横切り
遠くに瀬戸内海が見えます。
多目的ダムといいますが
下流の烏原貯水池と連動して
洪水調節が中心のような。
ダムから上流には
幅員のある舗装路が延びていますが
くるまの往来はありません。
ダム管理用の道路らしい。
ふり向けば。
上流にも水際の周遊路があったのですね。
げ!
突然後ろから轟音!
神戸電鉄の電車がトンネルから現れました。
線路沿いを 30 分も歩けば
鈴蘭台駅があります。
老人・こどものグループを誘導するには
安全なハイキングコースかも。
神戸電鉄に乗って
新開地駅まで帰ってきました。
おなかが空きました。
今日のランチ用のあんぱんは
にゃんこにあげてしまいました。
高速そば!
構内にあります。
傾斜路の途中に器用に造られています。
新開地駅には
阪急!阪神!山陽!それに神戸電鉄と
たくさんの車輌がきているのですが
そもそも神戸高速鉄道の駅なんですね。
だから「高速そば」ですか。
ん?!
今日はラーメンが 210 円!(普段は 250 円)
麺類はあまり好みません。
出されたり!接待されるときには食べますが。
でも!金額には弱い。
安ければ万障繰り合わせる特技があります。
ラーメンください!
ま!そうでしょうね。はは。
210 円ですもんね。
麺には目がなかった亡き父や母が好きそうな
麺だけのラーメン。
具が主で麺は従という
私の麺食い作法(!)からはほど遠いけど!
おいしくいただきたいものです。
(敬称略)