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松尾大社 山吹まつり 桂川渡れず [みんなで歩けばこわくない]

阪急・松尾大社駅を出ると
白装束の男衆だらけ。
参道に「松尾祭」の
のぼりがはためいています。
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巻き込まれて身動きもままならず
いっしょに松尾大社に向けて歩きます。
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男衆はただ歩いている訳ではなく
打ち鳴らされる金属音に
先導されていました。
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松尾大社はヤマブキの花の中。
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阪急電車の案内には
「山吹まつり」(2016/04/10 ~ 05/05)
とありましたが。
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寺社によく植えられている草木ですが
こんなにたくさんあれば壮観です。
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日本原産で
古くから日本人に愛されてきた花でしょうか。

万葉集にもたくさん出てくるようです。

妹爾似 草等見之慾里 吾標之
野邊之山吹 誰可手乎里之 (4197)

いもににる くさとみしより わがしめし
のへのやまふき たれかたをりし

大伴家持の歌。

あなたに似た草(花)だと知って
しるしをつけておいたのに
だれかに手折られてしまいました。

私には
好きな人が他人の花になって
悲しむ光景しか浮かびませんが
もしかして
そのしるしをつけた花を
あの人が手折ってくれたらいいな!
なんて思いを込めていたのかも知れません。



境内に
「京つけもの もり」の常設店があります。

あ!「酒かすたけのこ」!?
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筍の粕漬け?!
「もり」には洛中に
10 を越える店舗があるような気がしますが
ここだけの販売だそうです。

試食したら!おいしい!
病みつきになりそう。

税込み 864 円!
私には高価過ぎますが
ランチをあんぱんひとつに節約して!
買いました。

これだけあれば
ハイボールを 10 杯は飲めそう。



境内には
神輿(みこし)が 6 体集まっていました。
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神幸祭(2016/04/24)だそうです。
松尾祭!山吹まつり!そして神幸祭!
たくさん名称の重なっているお祭りですね。
ま!深くは考えますまい!
山吹色にはほど遠い灰色の脳みそで。

神幸祭のことを
地元の人は「おいで」と呼んでいました。
これから神さまが御旅所に出て行くのです。

ちなみに
5 月 15 日に還幸祭を催行するそうです。
神さまが御旅所から帰ってくるのですね。
これは「おかえり」と呼ぶのだそうな。

まず「四之社」の神輿が出て行きました。
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かついでは行けませんが
ウオークやら
ハイキングやらは慣れていますので
ついて行ってみます。
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みなさんもかついではいませんね。
いつの間にか
「くるま」に載せて引いていました。
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前を行くのは唐櫃(からびつ)でしょうか。
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唐櫃ばかりではありません。
私は名称を知りませんが
たくさんの役どころの連なる行列です。



1 時間かけて
桂離宮の森の横の桂川に着きました。
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ここで進行が腰折れ?!
長時間待たされます。
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なにかもめごとがあったよう?!

私はいいですよ!
河原の草の上に
ハイキングのときの
アラフォー(around 40)のおね~さん方用の
高級な(?)ざぶとんを 3 枚ばかり敷いて座り
水を飲んでいるだけですが
重要な役目の人は立ったまま!可哀そう。
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やがて神輿は陸路!?
桂大橋を渡り出しました。
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その他の人は舟に乗り込みました。
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当然!今の今まで
船渡御(ふなとぎょ)を予定していたのですが。
多くの野次馬やら氏子の善男善女やらも
期待して集まっているのですが。

舟を接岸するには水際は浅すぎて!
といって!深いところに停めると
載せるときかつぎ手がおぼれるとか。

そんなこと調べていなかったのですか。はは。

徒歩(かち)の人は歩み板が使えたのですね。



向こう岸には
各社中のテントが並んでいます。
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1 体座りました。
台はあといつつありますね。

きっとみな船渡御はあきらめて
橋を渡るのでしょう。
私は見届けることなく帰ります。
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ツツジが燃える長岡京たけのこフェスタ [解語の枯れ尾花]

燃えています。
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長岡天満宮(京都府長岡京市)の
特に池の中を横断する参道が真っ赤です。
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樹齢 150 年というツツジのトンネルです。
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通り抜けてふり向けば
逆光の中!まぶしい。
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あ!
たしかに北側は燃えていますが。
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南側の日当たりのいい方は盛りを過ぎて
くすんでいます。
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今年の開花はだいぶ早かったようです。

みんなキリシマツツジだそうです。
キリシマツツジの関西の名所だとか。



不勉強でとんちんかんなことをいいますが
キリシマツツジとキリシマとは同じものですか。
この色は
ホンキリシマという種類じゃないのですか。

境内で
ツツジの苗を売っていたおじさんに問うと
「キリシマツツジはこの色だけ」と
自信を持って答えられましたが。

まぁ!この境内ではこれだけが
キリシマツツジでしょうけど。

昔!ツツジの盆栽といえば
ミヤマキリシマばかりに遭遇したので
キリシマといえば
ミヤマキリシマのことかと思っていたのですが
ふたつは別種類のようですね。はは。

九州の霧島地方から命名されたツツジでしょうけど
そこに自生していたものが
園芸品種化され広がったのでしょうか。

それとも霧島が代表的な名所だったので
そう名づけられたのでしょうか。

そんなことを考えても
おなかはふくれないので!やめますが。



長岡天満宮の境内では
長岡京市観光協会主催の
たけのこフェスタ(2016/04/23・24)が
開催されていました。
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筍の産地ですからね。

昭和 5 年(1930)発刊の
林春隆著/野菜百珍/には

孟宗竹の筍は
筍中の第一位に美味を占むるものである

京都の乙訓(おとくに)郡をもって
良産地とされている

との記述があります。

まさにここがその乙訓の里!良産地なんですね。

このあたりの竹林は「畑」と称されています。
1 年中!手をかけているのです。
林とか薮ではないのです。



早朝オープンの 1 時間も前から
朝掘り筍の販売のブースに行列ができていました。
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しかし!高いもんですなぁ!
安価そうなものでも
130 円/100g はするようです。
良品は天井知らず!
というのは誇張し過ぎとしても。

私が食べている中国産のなん倍もの値段です。

それでも
お札をなん枚も放り投げて
求めて行く人ばかり。

見ていて疲れました。
本殿の前のテントで休憩させてもらいます。
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筍ごはんも筍弁当もその他も
なんでも高価です。

ドリップでいれてくれるコーヒーが
安いのでもらいます。180 円。
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おいしい。

筍が入っている
最中と小さな餅を
清水の舞台から飛び降りた心境で買って
ブランチとします。それぞれ 160 円。

天神さまの梅の花型のクッキーは
店のおばさんがくれました。4 個も。
哀れな旅人と思ったのでしょうか。



(敬称略)
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爆買いの春 残酷な月の花 [解語の枯れ尾花]

大きな声がします。
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種苗店で団体が騒いでいます。
いや!フツーにしていても
やかましいと感じる団体ですね。
たぶん北京語らしい中国語を使う連中。

ま!一番うるさいのは
海外旅行中の韓国人の団体ですがね。
うるさいというより
言語特有の音域と強弱に
角があるように感じるのでしょうけど。

2 番目に中国人ですが。
あくまでも私の勝手な耳障りですから
怒らないでくださいね。

ひとつ 80 円の苗を買おうとレジに行ったら
その中国人の団体の渦に
巻き込まれてしまいました。

「爆買い」です!
こんなところでも!

種子をひとり
10 袋から 30 袋ばかり持っています。
金額にして 1,000 円から 4,000 円ほど。

それを旅行中に財布にたまった
コインで買おうとしているんですね。
硬貨(補助貨幣)はどこかで使わねば
自国へ持って帰っても困ります。
われわれの旅行と変わりませんね。

財布をひっくり返して数えて!
ひとりひとりに時間のかかること。
足りないからひと袋返すだの!
残額をクレジットカードで払うだの!
なかなか前に進みません。

うんざり。

中国人のガイドが私に
「日本の大根の皮は辛くないから」とか
「日本のトマトは甘くて柔らかい」とか
いい訳みたいに
アクセントが私より少しだけおかしい日本語で
はなしかけてきますが。

向こうで待っているバスも早く出たいようですが
だれも知ったことではありません。



しかし!種子がよくても
日本のような環境と育成が望めますか。

日本でも
たとえば甘藷の「なると金時」!
生産地と同じ苗を植えても
「なると金時」にほど遠いイモができたと
ぼやいている人がいますが。

生産地では
毎年畑の土を交換したりして育てているのを
知らないで植えてもねぇ。

それに!
日本の種子はほとんど
F1(一代交配種)です。
それから得られたタネは使えません。
そのタネからは違うものが芽生えたりします。

毎年!種苗店が儲かるようになっているんです。

固定種だと思って買って帰り
実った種子を他人にゆずって
恥をかきかねません!大丈夫でしょうか。
よけいなおせっかいですが。



私は海外旅行にも行けずに
10 年の旅券の有効期限が切れます。

とぼとぼ帰れば
側溝の下に育って
花を咲かせているものがいます。
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この花は溝の中に!?
それとも舗装路のすき間に
根を持っているのでしょうか。
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こぼれ種からなんですか。
F1の種子が落ちたのでしょうか。
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これは固定種です!たぶん。
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ヘビイチゴ?!
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可愛い花と実。
どう見ても野生種。
都会の雑踏の中でも生きていますね。



もし!今
大きな顔をしているヒトが地球から消えたら
あんまり時間をかけなくても
自然がよみがえりそうな。
そんな気がする春。

「四月はもっとも残酷な月」

なぜか
T.S.エリオットの詩
「荒地」の冒頭が浮かんだ春。
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ロシア兵墓地 小松みどり? 泉大津の怪 [町道!街道!眠り未だ足らず]

整然と眠っているのはロシア兵だそうです。
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南海・泉大津駅(大阪府泉大津市)の近くです。

明治 37 年(1904)日露戦争のとき
捕虜として 28,000 人ものロシア兵が
連行されてきたのですね。

収容は 2 年間におよび
89 名は故郷へ帰ることなく
この地に眠ることになったそうです。

日本人の弔いはていねいですね。

名を石に刻み
金属の墓碑銘をつけています。

この人のは
銘板は 3 枚
写真まで残しています。
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捕虜がいう日本人の評判は
必ずしもよくはありません。

竹を食べさせられただの!
(それは筍でしょう!)
木の根を食えといっただの!
(そりゃ!ごぼうというもんでしょう!)
先の大戦で連合国の捕虜は
戦後うらんだ発言をしていたそうですが。

が!
こんなに手厚く葬っている敵国がありますか。
ご先祖さまを誇りに思いたいですね。



海の方に向かい
小松みどり橋に上ると
大きな壁画が見えました。
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泉大津市民会館の壁でしょうか。

まったく関係はありませんが
「小松みどり」橋がちょっと笑えました。

「小松みどりと五月みどりは姉妹」
「彼女たちの母親は不細工なのに」
「美人の娘たちを産んだ」
「五月みどりの歌を今度!聞きかせてあげよう」

と!同じことを
なん度もいっていたお年寄りがいましたね。

私は歌嫌いなのです。
まして!このおじいさんの歌なんか!
聞きたくもないけど。

「おひまなら来てね」ですか!と
お愛想にいってみましたが。
たしか
遠藤実自伝/涙の川を渉るとき/に
書いてあったような。

「熟女Bだよ!」

へ?!そんな歌!あったのですか!

そんな妖しげな歌!聞くこともないまま
そのおじいさんの姿が見えなくなりましたが。
死んだのかな。
息はしていても社会的に死んだのでしょうか。
もう生き返らないでほしいものです。



閑話休題。

小松みどり橋から海の方へ
小松緑道という遊歩道と
サイクリングロードが延びていました。
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街より一段高くなっていて
ゆるやかなアップダウンがあります。

「小松」というのにクスノキばかり。
泉大津市の市の木がクスノキなんですか。

クスノキの新芽も春の色!
明るくて柔らかい。

やがて潮の香りがしてくれば
緑道は下界と同じ高さに降りてつづきます。

泉大津大橋があります。
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単弦アーチ橋というのでしょうか。
やたら大きな単純なアーチ!
強引に力づくで橋げたを吊っているような印象。
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初日の出を鑑賞するスポットだったかも。
昔!誘われたことがあったような。



泉大津市民会館までもどり
北に向かっている緑道を歩きます。
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ここもクスノキの
萌えたばかりのやさしい緑に覆われています。

横は大型車両の往来の激しい府道らしいのですが
高い塀に目隠しされています。

助松公園で右に曲がって歩けば
紀州街道に突きあたりました。

田中家住宅という古いお屋敷があります。
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徳川家御用の本陣だったそうな。



紀州街道を南にとって帰ります。

助松村境(すけまつむらざかい)石造物群。
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大昔は追いはぎが出るといわれていた寂しいところ。

横に地蔵堂があります。
ここにお地蔵さまが集結して
生まれたあかちゃんの寿命を決めていたそうな。

ん?!
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ここのお地蔵さまは
逆卍です!どうして?

近隣で逆卍をまったく
見ないという訳じゃないですけどね。
(拙ブログ 2011/10/29 2015/05/20 2015/07/04

怪しいことを知ってしまいましたが
どうか余命を縮めないでくだせ~まし。



(敬称略)
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砂ずりの藤 奈良の八重桜 [南都有情]

内侍門から御本殿を盗み見します。
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御本殿参拝は有料ですから
たいていこの辺で拝見して通り過ぎていますが。

奈良の春日大社の春。
藤が咲いています。

春日大社は藤原氏の氏神。
藤の木と縁があるのでしょうか。
もっとも元々は中臣氏ですから!
どうなんでしょう。

藤原氏が異常に繁栄して行くと
この神社も興隆したのでしょうね。

咲く花の 下にかくるる 人おほみ
ありしにまさる 藤のかげかも

「伊勢物語」にある(たぶん!)在原業平の歌。
酒席で瓶にさしてある藤の花を見て
主客の藤原良近(まさちか or よしちか)に向かって
茶化したような歌を詠(よ)んだとか。

一同が不快な顔をすると
ときの太政大臣の藤原良房の栄花の絶頂を
詠(うた)ったとつけ加えたそうです。

「大鏡」によると
それまでは藤原氏と他の橘氏や伴氏など 6 氏が
権勢を競っていたのかも知れませんが
良房の父の冬嗣(ふゆつぐ)から隆盛のきざし。
良房からは
藤原氏が摂政・関白・太政大臣の
重要ポストを独占するようになり
わが世の春を謳歌するようになったようです。

ただ!藤原良近という
この日の主客が気になります。

元をただせば
藤原不比等のこどもが藤原 4 家を創設しました。
冬嗣は北家藤原氏なんですね。
良近のことは浅学にしてよく分かりませんが
式家藤原氏の系統
つまりこの時代には
傍系になっていたのでしょうか。

つまり藤原良房の北家藤原氏だけが特別?!

いや!北家藤原氏でも良房の系統!
さらにその中のひとりだけが
幸運に預かるのは世の習いでしょうか。

藤原姓を名乗っていても大変なんですねぇ。



「伊勢物語」の業平の歌の藤の花は
3 尺 6 寸あったそうですが。
1m を越える花房ですか。
六尺藤とか九尺藤とか園芸種があるので
不思議でもないですか。

春日大社には慶賀門のところに
花房が長くなることで有名な
「砂ずりの藤」がありましたね。
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でもまだ!ほんのり紫色が見え出したくらい。
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この種類は
いきなり花柄が長くなってから咲くのじゃなく
咲きながら徐々に伸びて行くのでしたよね。

寂しさは
上から下まで花がそろわないことですね。
先が咲くころには元の方は枯れていたような。

5 月の連休どきには長くなっているはずです。



連休どきに満開になる
桜の中ではチョー遅咲きのナラノヤエザクラ!
ぼちぼち咲き始めるころでしょうか。

ナラノヤエザクラといっても
漢字で「奈良の八重桜」と書く
そこつな人の言動を鵜呑みにして
奈良に植えてある
八重の桜だと思ってはいけません。
ま!奈良に植えてある
八重の桜には違いないのですが。

ナラノヤエザクラは
LEDのある!いやもとい!
伝統のある立派な園芸品種名なんです。

東大寺の北にある知足院に
原木だか標本木だかあったのですが
私が訪ねたころにはすでに枯死していました。

最近!再生したと聞いたような。
そのうち確認に行ってみますが。

奈良の遅咲きの桜は
この品種が多いのじゃないでしょうか。

外国の観光客ばかりが群がっているのは
興福寺の横の桜。
ナラノヤエザクラですよね!?
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ん?!
こんなに華やかな花でした!?
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広大な奈良公園の
あちらこちらに咲いていますが。
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どうも私のイメージと違うのですが。
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東大寺勧進所の
塀からのぞいている花もそうでしたよね。
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やっぱり今日はピンときません。
別種のような、、、?
私の頭が変なのでしょうか。

三月堂。
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あ!三月堂の前の桜。
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これですが!私の頭にあるナラノヤエザクラは。

そうそう!
標本木(!)がありましたね。
私が勝手に決めている標本木ですが。

奈良県庁の横の駐車場の桜。
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ああ!貧相になっています。
可哀そうに。

ささやかな花をつけています。
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咲き始めは純白でも
翌日からどんどん
ピンクが濃くなっていきます。
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