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京都競馬場 淀城跡 [いわなが姫の丑の刻参り]

京阪・淀駅。
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テントの中のような。
膜構造の屋根に覆われていました。
すごいですね。

京都競馬場側に出てみます。
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明るい!?
こんな明るい景色でしたか。
親しみやすかった
ごちゃごちゃした街が消えています。
きれいさっぱり!

まぁ深くは考えますまい。
競馬場の中にはおいしいものがありそうな。
ランチに入場してみますか。

この時代の!
この近代的な施設で!?
窓口のおばちゃんから
200 円出して入場チケットを買い
それを改札のもぎりのおね~さんに渡す?!

競艇場より遅れてないかい!?



競馬場の中にはレストランやら
ファストフード店やらがたくさんありましたが。

たか~い!

競輪場やら競艇場やらの中にあるような
B級グルメが見あたらない!

さすがに紳士・淑女の道楽ですか!競馬は。
お金持ちばかりが集結しているようです。

生きていることが賭けみたいな人生なので
賭博にもゲームにも
缶けりにも鬼ごっこにも興味が湧きません。

ついでにいえば勤労意欲もありません。

なにか食べるために入場したので
食べなかったら
なにもすることがありません。

馬が歩いています。
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馬が走っています。
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馬が(たぶん!)笑っています。
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200 円でお馬さんが見られましたが
人生!
こんなまわりくどい損ばかりしています。



淀城跡の石垣にはい上ります。
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京阪で通過するときに
いつも車窓から見ている石垣です。

いい匂いがします。
最近伐採されたのでしょうか!
大きなクスノキの切り株があります。
直径が 1m はないでしょうけど
相当な樹齢の数個もの切り株。

ランチにします。
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コンビニのローソンで買ってきた
菓子パン(150 円)と
缶コーヒー(118 円)ですが。
怠けものにはぜいたくといわれそう。
働かざるものは食うべからず!と
思ってはいるのですが。

この城跡!
全体像を見渡される場所が
あまりないのですね。
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あっても私有地!
立ち入り禁止のところばかり。

これだけの石垣が残存しているのに
もったいないですね。



淀川に出ました。
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荏胡麻(えごま)油の山崎やら
西国街道やら
あちら側!右岸が先に栄えたのでしょうか。

豊臣秀吉の時代くらいから
大坂街道(京街道)が整備され便利になり
左岸の方がにぎやかになったのでしょうか。

京・大坂を結んでいた三十石船の寄港地も
左岸に多いような。

当然!秀吉は左岸側を往来していたようで
こちら側にぽつりぽつりと
側室の屋敷をいくつか建てていたようです。

花から花へ寄りながら進むと
なかなか大坂に着きませんなぁ。

淀城もそのひとつかな。

淀の方こと茶々が
淀城に住んでいた期間は短い!?
数年のようです。

それなのにやたら戯曲や読み本に
「淀殿」なんて書かれて、、、!
中には「淀君」なんて
遊女のような蔑称で書かれたりして
可哀そうですね。

たしか!司馬遼太郎は
茶々には
ごくフツーのおばさん像しか結ばない!
だれかが勝手に想像したエピソードだらけ!?
といっていたような。

「淀君」は江戸時代になってからのはなし?!
徳川幕府に
おべんちゃらを使う輩の仕業でしょうけど。



あ!
先ほどの淀城。
茶々が住んでいた城ではありませんね。
茶々の城は
あの石垣から数百m 北にあったような。

小学校の北にあったような。
1 度だけ行ったことがあるような。

迷いました。

スマホかなんか
ナビゲーションできる機器を
買いたくなるときです。
まぁ!いたずらに歩けばいいです。
だれに迷惑をかける訳でもないので。

あきらめたときに
「納所北城堀(のうそきたしろぼり)」の地名。

ね!城があったのです!たしかに。

まったくその面影がない住宅街の奥に
妙教寺がありました。
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鐘楼の横に
石碑がぽつんと風雨にさらされていました。
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「淀古城址」の字が読み取れました。

「憂(う)きもひととき」
「うれしさも思ひさませば夢ぞろよ」

閑吟集の歌が聞こえます。

「なにせうぞ」
「一期(いちご)は夢よ ただ狂へ」

たしかに聞こえました。



(敬称略)
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