SSブログ

長岡京 恵解山古墳 勝龍寺 [いわなが姫の丑の刻参り]

きれいな旧家です。
blog31.jpg

長岡京市立の中山修一記念館です。
中山家から市に寄付された家のようです。

サントリーの京都ビール工場のすぐ近く。
ビールを飲みに!いや!
工程のお勉強(?)になん度もきたものの
いつも通り過ぎるだけでしたが。

中山修一は
「日本のシュリーマン」と呼ばれた人。
長岡京を世に出した人だそうですよ。

それまでの長岡京は
文献の上だけの京(みやこ)だったのですか!?

古代への情熱・シュリーマン自伝/関楠生訳/を
めくってみると
シュリーマンは武器貿易で大儲けしてから
あちこち掘りまくって
勝手に叙事詩とそっくりだと
思い込んだりしていませんか。

ひとりよがりのような。

シュリーマン(1822 ~ 1890)の時代だって
もっと学術的に
発掘する方法はあったとも思うのですが。

中山修一は地図に
文献の京の碁盤の目のような区画図を書いてみて
それから地形や
その場所の作物のでき不できやら見て
その地がなにの跡か推察してから
掘ったようです。

発掘の嚆矢(こうし)が
昭和 28 年(1953)ごろからですか?!
ホントに最近のことなんですね!長岡京の存在は。



末永雅雄他著/神話と考古学の間/によると
「伝承は 400 年くらいは真実が伝えられる」とか。

一般の庶民の伝承でも
250 年くらいは伝わるそうな。

私の祖母は親とかその親とかに聞いた
その時代の家の暮らしとか!村のできごととかを
しゃべっていたことがありましたから
不詳ワタクシめが覚えていたら
100 年ばかりの
わがルーツのはなしができるのですが。
頭が悪い子孫ですみません!とぎれました。

祭事とか行為の伝承なら 1,000 年でも?!

まして文献が残っているのなら
1,200 年前の長岡京でも
だれかがなんとかしなければ
いけなかったのでしょうね。



その近くに
恵解山古墳(いげのやまこふん)がありました。
blog32.jpg

立派なものですね。
前方後円墳!全長 128m !
埴輪や葺石を復元しています。
blog33.jpg

こんなに大きいのに
私の手元のガイドブックや地図には
のっていないような。
もっとも先達からもらったような
古本ばかりしかありませんが。

後円部を占拠(?)している墓地が
威張って(!)います。
あ!失礼!古墳の見学者を嫌っているようです。

墓地の人の私有地なんでしょうか。

墓地を拡張していたら鉄器が出たとか。
長岡京市が緊急調査したら
出るは!出るは!
特に武器が 700 点も。

それが最近!
昭和 55 年(1980)のこと。

そして公園として整備ができたのは
平成 26 年(2014)のことらしい。
blog34.jpg

どうせ整備するのなら 1 度に
墓地も移転させたらいいのに。



細川ガラシャゆかりの
勝龍寺城跡の公園に寄ります。
blog35.jpg

明智光秀の子として生まれ
この城に嫁いだころは「たま」だったはず。
blog36.jpg

洗礼を受けてガラシャになったときには
ここに住んでいなかったと思うのですが。



桓武天皇ゆかりの神足(こうたり)神社のそばに
勝龍寺城の土塁および空堀の跡!
blog37.jpg

ここもいつの間にか整備されています。

土塁の構造をタイルの色を変えて
説明していました。
blog38.jpg



ときの流れの中に
静かに消えて行くものを
表に出した方がいいのか!
ただ忘れてあげた方がいいのか。

春が行きます。



(敬称略)
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感