SSブログ

今東光の町 千にみっつのウソかまことか [猫も歩けば棒立ち]

近鉄・河内山本駅(大阪府八尾市)から
少し歩いたら紫雲山天台院がありました。
blog21.jpg

今東光(1898 ~ 1977)が
20 数年住職をしていた寺ですか。

大きな寺院じゃないようです。
先の大戦後に
この寺に派遣されたときには
周囲は沼田の貧乏寺だったそうな。

すでに 50 歳過ぎていた東光は
ここから精力的に書きなぐり
印税で寺の建てものを修復して行ったようです。

30 軒ほどしかない檀家衆の話題はいつも
「ケンカやぁ!バクチやぁ!」
「ヨバイやぁ!ジョロカイやぁ!」ばかり。

博打は知りませんが
けんか!夜這い!女郎買い大好きな
東光の肌に合ったのでしょうか。



「青春の自画像」とか
「青春放浪」とかにまとめられている
今東光の前半生の自伝らしき
いくつかの小品を読むとまぁすごい!
女!女!女!だらけですね。

でも!なんか都合よく
いつもシロートが!またクロートが!
裸になって待っているような出会いばかり。

それに口説きや閨房(けいぼう)の描写が
単純すぎやしませんか。

ということは!
ホントにもてたのですか?!

ウソをホントのように書くのが
ショーバイかも知れませんが。

東光は宗派が違うのに
一休宗純が好きだったようですが
一休の詩は
「ホントのことをウソのように表現している」と
柳田聖山が
/一休「狂雲集の世界」/に書いていますが。

なるほど!

ウソをホントのことのようにいうのは
まだ!幼いのですね。
ホントのことをウソのように表現できて
本ものの作家でしょうか。

私なんか
一握の砂を
ダンプカー山積みに運んだようなウソをいって
オオカミ少年扱いに甘んじていますが
ウソをつくのなら
火星から砂を採ってきたというくらいに
超巨大に吹聴する方がいいような。
罪がないような。

ちまちましたウソは
少ない友人がますますいなくなるだけです。
このほら吹きブログに
アクセスが少ない所以(ゆえん)です。



川端康成が死んだ直後に
55 年の長い間親友だった東光は
「小説・川端康成」という短編を書いています。

あるカフェのマダムと東光は深い関係になり
上海に駈け落ちしようとします。

同じカフェの 14、5 歳の女給に
川端が惚れるのですね。

その娘は
「ち~こ」「ちぃ公」「ちよ」
「ちよこ」「はつよ」「みちこ」
とかなんとかそんな名前で
いろんなところに出ているようですが。
川端自身もどこかに書いているのじゃないですか。
私は興味がないので知りませんが。

その女性が
川端康成の最初の婚約者だったのでしょうか。
とすると
川端の 22、3 歳のころのはなしですね。

今東光の
「小説・川端康成」の時系列は
必ずしも正確ではないような。
小説ですからね!
深く追求することもありませんが。

ただ!東光の小説には
川端とち~こに男女の関係があったかなかったか
追及して!
分からなくなっています。

やった!?
やってない?!
そればかり!下賤なこと!



だいたい川端がはっきりしないんですね。
答えないんですね。
答え過ぎる東光もどうかと思いますが。

川端文学は内容がよくない。
「伊豆の踊子」はなんだ?!
はっきりしろ!
だいたいタイトルからしてよくない!
内容もない!
と高座で立川談志がいっていましたね。

ひとつ出たホイのヨサホイのホイ
ひとり娘とやるときにゃ
親のゆるしを得にゃならぬ

ふたつ出たホイのヨサホイのホイ
ふたり娘とやるときにゃ
姉のほうからせにゃならぬ

の数え歌を川端は知らないのかと。

いっていることは無茶苦茶でしたが
その隔靴掻痒(かっかそうよう)感!
なんとなく理解できます。

はっきりしないんです!たしかに。
私も「伊豆の踊子」のどこがいいのか!
無垢なときに(私にもあったような!)
むりやり読書させられて
ちっとも面白くなかったことを覚えています。

汚れちまった今も面白くないですが。



妖しい薬も打たないのに
頭の中に毛虫が 3,000 匹もはい回っているような
支離滅裂な思考で混乱しながら歩けば
ひと駅西の近鉄・八尾駅に着いていました。

南に市役所の方へ向かい
八尾図書館の 3 階に上がれば
「今東光資料館」がありました。
blog22.jpg

やけに静かです。

「ひとつ出たホイ」の数え歌を
河内音頭で演じたら!?
面白いのじゃないかと
不謹慎にも思ってしまった静けさです。



(敬称略)
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感