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宇治の謀略 [いわなが姫の丑の刻参り]

京阪・宇治線に乗っていたら
終点の宇治の手前の三室戸(みむろど)で
観光客風の主に女性たちが
大勢下車して行きます。

なにがあるんだろ?!

ストーカーのようにつづきます。

「三室戸寺(みむろとじ)」という寺院まで
歩いて行くらしい。

あ?!
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これ!?
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はははは。
人のいない細道に入ってひとりで大笑い。
久しぶりに腹の皮がよじれました。

「三室戸寺って!?」
「三室戸寺じゃないですか!」

なん度も!最近もきていますよ!ここに。
もっとも京阪・宇治駅や宇治上神社や
源氏物語ミュージアムの方から歩いてきましたが。

どうして!三室戸駅で「三室戸」を
初めて聞くように感じたのでしょう。
記憶と思考が動かなかったのでしょう。

完全にボケていますね。

余談ですが
私がときどき行く「シネヌーヴォX」は
座席が 20 ばかりの可愛い映画館ですが
そんなもんじゃない!
とても広くて豪勢な映写室を自宅に造っているという
浪花のモーツァルト・キダ・タローいわく大金持ちの
映画評論家の中の映画評論家の浜村淳が
ラジオである人とはなししていました。

その人は「檀れい」と会ったというのですが
浜村は「だんれい?さて!私は知りません」
「そんな女優さんいましたかね」
なんて答えていましたが。

なん日か前に檀れいの演じた映画を語っていたのに。

そんな(たぶん?)日本一の映画評論家でも
記憶が瞬間的に抜け落ちて
思考があらぬ方向に飛んで行ったのでしょうね。



そんな訳で
ちょうど今
10,000 株のアジサイが
妍(けん)を競っているという三室戸寺ですが
すごすごと引き返します。はは。

ん?!
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「菟道 谷下り」の交差点。
「Todo Tanisagari」!?
「とどう たにさがり」というのですか。

「菟道」は「うじ」と読むのじゃないのですか。
今の「宇治」の前(?)の表記では。

ね!
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「菟道」は「うじ」でしょ。
よく分かりませんね。

ここの英雄はその「うじ」の
菟道稚郎子皇子(うじのわきいらつこのみこ)ですね。
15 代応神天皇に一番可愛がられたこども。
日本書紀では皇太子。

応神帝は辺境から降ってわいたように現われた
不思議な天皇ですが
こどもの数が多い。
天皇家系図を見れば本によっては
20 人だったり 26 人だったり!とにかく多い。

その中で
菟道稚郎子(旧表記・ウヂノワキイラツコ)と
大雀命(旧表記・オホサザキノミコト)と
大山守命(旧表記・オホヤマモリノミコト)が
皇位を争ったのじゃないでしょうか。

古事記と日本書紀では名前の漢字表記が違いますが
ともにだいたい同様の歴史。

菟道稚郎子と大雀命が謀(はか)って
宇治川で大山守命を殺害し
つぎに突然!菟道稚郎子が死んでいます。
日本書紀では大雀命に皇位を譲るために
自決したことになっています。

結果!残った「おおさざきのみこと」が即位して
仁徳天皇になっています。

美談ですが
皇太子が自殺するなんて!おかしいでしょう。
たぶん!そんなきれいごとではなかったはず。

和歌森太郎は
和爾氏(わにうじ 和珥or和邇or丸邇or丸)と
葛城氏の政権争いだと考えています。
葛城氏が勝って仁徳天皇を誕生させたという説。



三室戸駅近く!宇治川沿いに
菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の
墓があります。
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宮内庁が
「應神天皇皇太子菟道稚郎子尊 宇治墓」と
書いています。
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手元にある日本書紀には
「菟道の山の上に葬った」とありますよ。
こんな川の畔じゃないのでは。

この墓の治定は
文久の修陵(1862 ~)か
それ以前だと思ったのですが
なんと!ずっと後の明治 22 年(1889)ごろらしい。

間違っていますよ~!

ま!地元の人は分かっているようです。
当時の宮内省が
なんの変哲もない小さな土の盛り上がりを
大きく!大きく!
古墳みたいに成形したということを。

発掘してもなにもないのでは。

それも歴史でしょう。



この日!平等院鳳凰堂の川向うの
興聖寺(こうしょうじ)を訪れました。

以前!坐禅をしたことのある
道元ゆかりの曹洞宗の大きな寺院ですが。

裏山に回ると治山ダムと書かれている
砂防ダムが面白い。
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岩石で造られたロックフィルダムでしょうか。

違いますよね。
ロックフィルダムは
水を通さない工夫がありますが
これは水を通すために
岩石だけで構成されているような。
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そんな石のダムがこの水系にいくつかあるので
さかのぼって行き!さらに山の頂まで到達。

拓けて(?)います。
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隠者の棲んでいるところかと思いましたが
朝日山観音堂だそうです。

さらに 1 段高いところに墓石が。
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「菟道稚郎皇子之墓」と刻まれています。
日本書紀の
「菟道の山の上」はここでしょうか。

JR宇治駅前の観光案内所で尋ねたら
「偉人や貴人の墓はあちこちにあるものです」

その通りですが。



菟道稚郎子皇子(うじのわきいらつこのみこ)の
宮があったから「うじ」なのか。
「うじ」に宮を建てたから
菟道稚郎子皇子(うじのわきいらつこのみこ)なのか。

分からなくなりました。
頭が混乱している日なので
観光案内所で重ねて問いもしないで帰りました。



(和歌森太郎著/日本史の虚像と実像)
(宇治谷孟訳/全現代語訳 日本書紀)
(主婦と生活社/古典コミックス 古事記)
(福永武彦訳/古事記/等を参照しました)
(敬称略)
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