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大浜公園メタボ猿のその後 旧堺灯台見学 [猫も歩けば棒立ち]

アカゲザルたち!元気でした。
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堺市の大浜公園。

「メタボさる」で有名な猿山が
池の中にありましたが。(拙ブログ 2009/02/15
地上の家に引っ越して(拙ブログ 2009/07/10)
もう 7 年も経っていましたか。

「オス 5 頭!メス 20 頭あまり!」
「避妊手術をしてこちらに引っ越した」と
世話をしているおじさんがいっていますが
ん?!
あかちゃんがいますが。
ま!深くは知らなくてもいいですが。

メタボはなくなったけど
糖尿病でゲキやせのサルがいるとか。

幼少時から
投げ込まれた食パンや
甘いものを食べ過ぎたせいかも。

しかし!
動物園でもモンキーセンターでもないのに
公園の一角にサルを飼育しつづけるのはどうして。
大変ですね。



大浜公園に隣接して
旧堺灯台があります。
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明治 10 年(1877)に建築。
木造の建てものです。

海の中にあったのに
陸地が延びて追い越して沖に行ってしまい
無味乾燥のコンクリートと鉄骨に囲まれた今
役目を終えて余生をおくっています。
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夜(2016/07/08 ~ 31)には
ライトアップを行っています。
寂しいところですから
カップルでゆっくりながめて
なにかひそやかに燃えることをしたいもの。

内部の公開をしていました。(2016/07/17・18)

内部といっても 1 階に入れるだけですけどね。
1 階や外部は白い塗料が塗られていますが
2 階を下からのぞいてみると
木目の壁板が見えます。
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木目塗りだそうな。
木目を描いているんですね。
なかなか手のこんだことをしています!昔の人は。

石垣は丸や四角形ではなく
沖に向けてとんがっています。
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波力の緩和のためかも。

自由都市の堺の港ですから
外国船でひしめいていたのでしょう。
向こう岸の壁に思い出が描かれていますが。
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その堺の津は
内側に引っ込んだ地形になってしまいました。

旧堺港の岸壁で
手をあげているのは呂宋助左衛門だそうな。
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呂宋は「ルソン」と読むのでしたか。
戦国時代にフィリピンのルソン島と貿易して
巨万の富を作った商人でしょうか。

手を振っている先に龍女神がいます。
龍女神とはなんの神さまでしたか。

龍女神がいるあたりが内海。
その先に灯台があったのでしょうね。

今は灯台も見えませんが
ほんのこの前まではちゃんと沖にありますね。
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林なしたる ほばしらに
花と見まごう 船じるし
積み荷の歌の にぎわいて
港はいつも 春なれや(明治の唱歌 みなと)



旧堺港と運河の土居川を結ぶ竪川に
南蛮人が立っていました。
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