SSブログ

真田丸 真田の抜け穴 [いわなが姫の丑の刻参り]

「み~(巳)さん」(大阪弁でヘビかな)がいます。
blog41.jpg

白光大神がお住まいですので
道の真ん中にあっても撤去・移動できません。

その北に玉造(たまつくり)稲荷神社があります。
豊臣秀頼と
歴史に翻弄されて縮んだ(?)
秀頼が奉納した鳥居があります。
blog42.jpg

このあたりに大坂(大阪)城の黒門があったらしい。
玉造門というのでしょうけど
町民は黒塗りだからそう呼んだとか。

黒門といえば!今!日本橋の黒門市場が有名ですが
元祖(?)黒門はここ。

このあたりから南に
つまり大坂城と反対側に下っています。

地下鉄・鶴見緑地線が東西に通っている道が
谷の底(清水谷)かな。

大坂城は北と東西は天然の要害に囲まれていたと
なんとなく分かりますが
南はこの谷だけなんでしょうか。

谷の底に通称・どんどろ大師があります。
blog43.jpg

大坂の陣で戦死した兵(つわもの)どもを
弔っているのだそうですが
門前には
「おゆみ」「おつる」の母子の像がありました。

浄瑠璃の
「傾城阿波鳴戸(けいせいあわのなると)」の
涙なしでは見られない場面はここが舞台ですか。
今はこちらの方が有名なんですね。



谷(堀)からさらに南に上がれば
東側の心眼寺に
「真田幸村出丸城跡」の碑がありましたが。
blog44.jpg

心眼寺から東一帯の
宰相山(真田山という人もいます)に
冬の陣のときに幸村が出城(真田丸!)を
構築したということになっています。

そこで宰相山にある三光神社の境内に
幸村が立っています。
blog45.jpg

横の「真田の抜け穴」が有名です。
大坂城とつながっています。
というのは伝説で
すぐ先で止まっています。

最近の研究では徳川方が掘った穴の公算大。
敵味方!彼我全然違うじゃないですか。
そういうと身もふたもないのかな!歴史は。

元の心眼寺の前の坂道にもどって
北の堀!すなわち大坂城の方に向きます。
blog46.jpg

新しい状況証拠では
従来の解釈の東側(上の画像では右側)!
真田の抜け穴のある方じゃなく
西側(左側)に真田丸があったそうな。

今は大阪明星学園のグラウンドですが。
今年になってから
学校の敷地に「真田丸顕彰碑」が建てられました。



宰相山に墓石が並んでいます。
blog47.jpg

旧帝国陸軍の真田山墓地です。
5,000 を越える墓石と
おびただしい遺骨を納めたお堂があります。

この山は時代を越えて
戦(いくさ)の後の寂しさを
まとっている山(丘)ですね。

ときどきだれかが
供養しているようでしたが(拙ブログ 2012/08/16
墓石の風化は進んでいます。

ん!?
ほんのいくつかですが!新しい。
blog48.jpg

100 年以上前の墓石を改修しています。
最近!なん代か後の子孫の人が行ったらしい。

子孫は不明の墓ばかり中で
すごいことですね。



「六文銭」だらけの商店街を歩いて帰ります。
blog49.jpg

JR大阪環状線の車輌も
真田幸村のラッピングをしていました。
blog50.jpg

幸村は現代の人に人気があるのですね。

織田信長を好きな人もいます。

かれらは働き盛りで死んだので
「老醜」をさらしていないからでしょうか。

徳川家康は成功者なのに人気が低い。
「ずるい」「こずるい」イメージが高そう。

豊臣秀吉も老醜をさらして死にました。
でも!家康より人気はありそう。
どうしてかなぁ。
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感