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西の京 薬師寺から西大寺へ [南都有情]

奈良の「西の京」の大池です。
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遠くに若草山をのぞんで
薬師寺の西塔と東塔の組み合わせがすてきです。
撮影にくる人が後を絶ちませんね!この日もまた。

が!
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東塔に大屋根が架かっています。
解体修理中かな。
はは!これはこれですてきに面白い。

この池はまたの名をかっこつきで
「勝間田池(かつまたいけ)」と
地図に書いてありますが。

万葉集に

 勝間田之 池者我知 蓮無
   然言君之 鬚無如之   (3835)
 かつまたの いけはわれしる はちすなし
   しかいふきみが ひげなきごとし

 勝間田の池は私も知っています
 あの池に蓮はありません
 あなたにひげがないように

女性の歌ですね。
万葉集に長い注釈がついています。

新田部親王(にひたべのみこ)が
気になった女性に勝間田池に行ったら
蓮の花がきれいだったとかなんとかいって
口説こうとしたのでしょうねぇ。
それに対して女性がつんとして歌を返したようです。



わが姉!なごんちゃん(清少納言)は
枕草子に

 池は勝間田の池
 盤余(いはれ)の池
 贄野(にへの)の池

なんて書き記しています。

しかし!
応徳 3 年(1087)ごろ完成した
後拾遺集に

 鳥もゐで 幾世経ぬらむ 勝間田の
     池にはいひの 跡だにもなし

と!池がなくなっているのを詠んだ歌があるそうな。
なごんちゃんの時代より
100 年も経たないうちに?!

夢を壊すようですが
この池!勝間田の池とは違うのでは。



その薬師寺。
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食堂(じきどう)も工事中ですか。

しからば玄奘三蔵院伽藍を
遠くから拝して去ります。
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唐招提寺でも門前で頭を下げるだけ。
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1,000 年を越える歴史と対峙するには
私ひとりじゃ荷が重い。
まただれかといっしょのときに入山しましょう。
そんな日はもうこないかも。はは。

今まで多くの人と拝観したような。
そして音信不通。
90 %は私が悪いのでしょうけど
それは忘れて
残りの 10 %の別れだけを
いつまでもうらんだりくやんだり。

いけませんね。
やめましょう!みんな忘れましょう。



あ!柿の木畑に!
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非時香菓
(ときじくのかくのみ or ときじくのかくのこのみ)!
すなわち橘(ヤマトタチバナ)ですか。

田道間守(=多遲麻毛理=たじまもり)が
垂仁天皇に命じられて
常世国(とこよのくに)まで行って
持ち帰ったという柑橘ですか。

古事記・日本書紀の世界!
伝説の世界でしょうか。

幼少のころ
まったくのでたらめだと
教える教師が多かったのですが
果たしてそうでしょうか。

私だけのことかもしれませんが
ブログを毎日ひとつ 10 年間休まず書いていると
1 ほどの事象を 1,000 くらいに引き伸ばしたり
1,000 ほどの心象を
1 くらいにさらりと縮めたりする日があります。

記・紀もなんらかの事象があって
それをとんでもない形にしているのかも。
まったくなにもないところから
作文しているところは少ないように思います。
証拠はないのですが。



その 11 代垂仁天皇陵。
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天皇陵の前の小さな小島に
田道間守が眠っているそうな。

立ち尽くす私の愚かな「生」を笑うように
突然!近鉄電車の轟音が背中を押しました。
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阪奈道路の向こうに見えるのは喜光寺。
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行基(668 ~ 749)が亡くなった寺。
今日はここから拝しておきます。
「ここから」ばかりですね。

ちなみに行基の墓はここにはなく
遺骨は生駒山に埋葬されています。



わ!
近鉄・大和西大寺駅が素通しで見えます。
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このあたりこんなになんにもなかったですか。
異次元に迷い込んではいませんよね!
不謹慎なことばかり考えているから。
戦火にみまわれた後のようです。

西大寺に寄ります。
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もうすぐ木の葉が燃えて
やがて私には痛いほど寂しい冬になります。



(佐佐木信綱編/白文 万葉集)
(佐佐木信綱編/新訓 万葉集)
(石田穣二訳註/枕草子)
(福永武彦訳/古事記/を参照しました)
(敬称略)
タグ:枕草子
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