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室生ダムから山部赤人の墓参へ [野道!山道!恋はけもの道!]

宇陀川(うだがわ)が流れています。
向こう岸に
大野寺の弥勒摩崖仏(みろくまがいぶつ)。
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奈良県の北東の室生村を歩きます。
あ!室生村は消えているのですね。
宇陀市(うだし)になっています。

宇陀川をさかのぼれば
室生ダムが見えてきました。
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急になつかしさか!
寂寥感か!胸にこみ上げるものが。
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ここ数年!近くまできて
室生寺の方面にはなん度か行っているような。
しかし!このダムには寄っていませんね。
心の隅のなにかが引き留めていたのかも。

遠い日!流れてきて
まだ!大阪市の西も東も分からないときには
外国のように見えるこの山中に
仕事(!)できたことがあります。

タクシーで行き!タクシーを待たせておけ!と
いわれてきたのですが!よく意味が理解できず
タクシーを降りて精算してしまったのです。

帰路の交通手段はなんにもありません。
地理にもまったく不案内です。
ケータイなんかありません。

その時代は結構無鉄砲で楽天的だったのです。
鹿が飛び出す山中を
さほど苦にせずさまよいました。



それからなん度かハイキングにきましたね。
いいハイキング場所だと思って。
他に知らないだけですがね。

そんな稚拙で危険なハイキングに
ついてきた人がたくさんいたような。

あ!思い出しました!
竜鎮渓谷なんていう川があったような。
そこで「焼き肉」もしたような。

歩行距離もトイレもなんにも把握しないで
いたずらに歩いて!すみませんでした。

3 歳ほどの女の子が泣き出しましたね。
ママときていたのですが
心細くなったのでしょうね。

今ではもう泣くこともなく
男を泣かせている年になっているでしょうけど。

みんなみな音信不通です。
なまじ尋ねると鬼籍に入っている人もいて!寂しい。



湖がやけにまぶしい。
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ふと!唐突にタゴールの詩の一節が通り過ぎます。

  悲哀はわが心のうちに
  平和となってしずまった
  静かなる樹々の間の夕闇のごとく

  われ存すということが
  不断の驚きであるのが人生である

ダム湖の周遊路に崩れたところがあるので
注意してくれとのこと。

じゃ!行きません。
行けばより切なくなりそう。

妙なところに木が茂っていますね。
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 いにしへの ふるき堤は 年深み
  池のなぎさに 水草(みくさ)生ひにけり

山部赤人の歌(万葉集 378)を思い出したり。



そうだ!サヨナラだけが人生だ!
湖の感傷にはサヨナラして
山部赤人の墓に参りましょうか。

有名な歌人なのに
その生涯がなにも伝わっていない人。
でも!その墓というのがこの近くにあるはず。

伊勢街道(国道 165 号)を西へ向かっていると
立派な社がありました。
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日本書紀に
倭姫命(やまとひめのみこと)は
天照大神(あまてらすおおみかみ)を
鎮座申しあげるところを探して
宇陀の篠幡(ささはた)に行った!とありますが。

この篠畑神社がそうなんですか。

ここで迷子になりました。はは。

千年も前の人のように
スマホやらタブレットやら
モバイル系のものなんにも持たない流浪の民は
ガイドブックにある略図なみの地図を
いくつか持参していましたが。
地図を見れば見るほど!阿呆は迷います。はは。

どれもこれも!結論からいうと!古い!

私が入手したときに
すでに古地図(?)だったのかも。
それから幾星霜!
日本は日々変化し大道小道が
雨あられのごとく降り、、、!
ま!道は降らないとは思いますが。



お!突然!様子のいい山が!
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もしかして!額井岳?!

さいわい「山部赤人の墓」の道標を発見。
山道を上って行くと
だんだん心細くなってきました。

ほほえむナシ(たぶん!)の
帰り花になぐさめられて進みます。
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作業しているおばあさんがいました!
狐狸妖怪の類ではありません。
とても気さくな親切な人でした。

「赤人さんのお墓は、、、」
赤人を「さん」づけ!なんというやさしさ。

でも!行かない方がいい!
別のう回路を教えてあげるというのです。

棚田の中を通るらしいのですが
もうだれも作らなくなって
狐狸妖怪の巣になっているというのです。

面白い!

というのは半分強がりで
実は異常な臆病ものなんですが
う回路は遠い!
ただの横着もの!
ただの怠けものには近道がいい!
それだけで!行きます!

そんなに荒れてはいないですよ。
古くても道標があるじゃないですか。
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ふり返れば柿の実が赤い。
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棚田のなれの果て!切なくも美しい。



紛れることなく伝承の赤人の墓に到着。
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ここでは
「山辺赤人」との漢字をあてています。
この辺の集落は山辺村といっていたらしい。

小倉百人一首に選ばれた歌は
富士山を詠んでいましたね。

赤人の歌は富士よりまだ東の下総の国から
西は播磨の国まで広範囲に渡っています。

赤人は貴族や
上流階級や高級官吏ではないようです。
そんな人別の記録には一切のっていないとか。

しかし!その時代に漂泊の歌人とは考えにくい。

天皇やくらいのある人に随行して
各地に赴いていたのでしょうか。

ここに伝承とはいえ墓地があるのはなぜでしょう。



東海自然歩道をこの五輪塔の横でつかまえました。
やれやれ。

舗装された道を北へ上って行けば
大きな柿の木が見えてきました。
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  里ふりて 柿の木もたぬ 家もなし

芭蕉の句のような山里です。
芭蕉は故郷の伊賀でこの句を得てからすぐ
大坂に行き!一期を終えたのでしたのやら。

山里の戒長寺の石段を上がります。
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聖徳太子が建立し
空海が修業したというおそれ多い伝説のある古刹。

オハツキイチョウの古木がありました。
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葉の上に銀杏が実る公孫樹(いちょう)です。
それ自体はそんなに珍しいとも思いませんが
樹齢を重ねた大木はすてきです。

戒長寺の横の戒場神社には
樹齢 300 年のホオノキの大木がありました。
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大きな落ち葉が散っています。
思わず!拾い上げます。
わが家のカワニナの大好物ですから。

あ!数枚拾ってはたと気づきます。
ああ!今はもうカワニナはみんなで
遠くに行ってしまっていたのでしたね。
拙ブログ 2016/10/06



(山室静訳/タゴール詩集)
(佐佐木信綱編/新訓 万葉集)
(宇治谷孟著/全現代語訳 日本書紀/参照)
(敬称略)
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