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京都 山科 義士まつりと歩く [町道!街道!眠り未だ足らず]

京都市営地下鉄の山科駅を降ります。

他にJR山科駅と京阪山科駅があり
すっかり都会の駅周辺のように変貌しています。
都会(?)になってからも
なん度もきているのですが
大昔!浮き名を流したころに
刷り込まれた印象はぬぐえず!迷いながら
とりあえずJR下の地下道を探します。

どこへ行くにもそのトンネルから始めます。はは。

そんな訳でトンネルを抜けて北に向かい
毘沙門堂へ。
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紅葉の名所も 1 枚も残らず散って
妙に明るくなっています。

静かな本堂の前をよぎると
あ!?
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四十七士が集結しています。
今日(2016/12/14)は赤穂浪士の討ち入りの日。

「京都 山科 義士まつり」が出陣して行きました。
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瑤泉院(ようぜんいん)や
お軽(おかる)たちも加わって!大変な行列です。
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警官が寄り添う先頭の黒服たちは
どこかの暴力団の幹部たちではありません。
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容姿で判断してはいけません。
とてもエラいと
自他ともに認めている人たちのようです。

ま!これは人形浄瑠璃か歌舞伎の
「仮名手本忠臣蔵」の世界ですね。
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現実味のない形式美ばかりです。



パレードは大石神社まで行くそうです。

昔!大石神社や大石内蔵助のゆかりの場所を
ハイキングしましょうと提案があり
検討したのですが実行には至りませんでした。

いい機会です。
かれらの後を追えば労せずして
道順やハイキングの感じをつかめそう。

30 分程歩いてもう休憩。

休憩後!
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ん!?
あんなおね~さん方!いましたか。
それに園児が扮した赤穂浪士も加わりましたが。

とにかく!のろい!ゆるゆると。
最後尾を歩いていても
いつの間にか先頭を追い越して待ち伏せになります。
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あれ!?
園児たちが消えています。

園児たちは東部文化会館まで
スクールバスで移動していました。
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「寺西幼稚園」と
「山科こども歌舞伎」の
「仮名手本忠臣蔵」の公演があるそうですが
つきあうのが辛くなったので勝手に先に進みます。



そろいのユニフォームで
陣太鼓かなんか知りませんがやかましく!
なん度も「えいえいお~」と
気勢というより奇声をあげるなんて!
現実の討ち入りとかけ離れているような。

こっそり実行しなければ
世界一治安のよかった江戸の町のこと!
すぐ役人がやってきますよ。

赤穂事件が起きたのは
元禄 14 年(1701)・ 15 年のこと。

「仮名手本忠臣蔵」の初演は
寛延元年(1748)のことだそうです。
半世紀たってからの創作。

その作品が出発で
以降!後から後から勝手に
面白おかしいエピソードを作ってつけ加えて
やたら太ったストーリィが
今!私たちの前にあるような。

つまり!浅野内匠頭(たくみのかみ)はいません。
人形浄瑠璃の
塩冶判官(えんやほうがん)高貞ですよ。

大石内蔵助(くらのすけ)もいません。
目の前の義士は大星由良之助ですよ!

大星由良之助といわずに
大石内蔵助と名乗りたいのなら
あの竹本座の初演(1748)以前の史実に
もどさなければならんでしょうがね。



先回りした岩屋寺の前に
「大石良雄山科閑居址」という場所がありました。
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この「まつり」に江戸の女流講談師が
「赤穂義士伝」(たぶん!)を読んでいます。
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講談師の後ろのお堂には
内蔵助の像が安置されていました。
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大石神社に向かっていると
上ってくる
園児(もう少し年長?)四十七士とすれ違います。
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相当!バテているような。
はは!頑張れ!
さらに急坂になっているよ。

大石神社は大きな神社でした。
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なんと!香具師(てきや)も出ています。



ふと!
(2 代)露の五郎兵衛が
露の五郎のころに得意だった
「忠臣蔵」を思い出しました。

艶笑落語です。
こどもが聞いたらいけません。
おとなでも
「性」に手練(てだれ)の人の方が
よく笑います。

この噺(はなし)は
歌舞伎の「忠臣蔵」を知らなければ
面白くありません。

芝居の切腹場面。

「由良之助か!」
「へええっ!」
「遅かった」

というセリフを知っていないと笑えません。

大星由良之助と聞いて
大衆は理解して笑っていたのですから
昔はあのドはでなユニフォームの義士を
決して大石内蔵助と呼ばなかったはず。

史実もなにもあったものじゃないですけど。

ところが
宇井無愁著/落語の系譜/にのっていません。
あの噺!どこからきたものでしょうか。



なんて考えながら帰っていると
向こうから「山科義士」の
最後尾のパレードがやってきました。
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毘沙門堂を出てから 4 時間以上経っています。
もちろん!
歩いている時間の方が少ないでしょうけど。



(敬称略)
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