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たんぽぽの帰り花 望郷の除夜の鐘 [わが街・下駄ばきドドンパ]

行年に 手をかざしたる 鼬かな    一茶
(ゆくとしに てをかざしたる いたちかな)

大みそかになりました。
わが家の
庭(あばら家ではベランダともいいますが)の
白花のたんぽぽが咲いています。
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大阪市阿倍野区の最後の
白花のたんぽぽだと信じ
ブルドーザーの餌食になる前に某所から
わが家に避難させて幾星霜。

一時!数を増やしていたのですが
この数年怠けていて
なんだか古い株だらけになって
それもくたびれてきたような。

晩秋からよく咲いているのは
枯れる前の頑張りじゃないでしょうね。
春になったら植え替えてあげるからね。

頑張りといえば
夏のミニトマトが(拙ブログ 2016/11/12
寒風の中で実っています。
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実のついている枝の葉は
機能していないような病葉(わくらば)?
もうほぼ枯れ葉ですけどね。
でも!
やがてオレンジ色から赤くなるのが不思議。
1 週間に 10 個くらい収穫できます。

いくつかの枝の先には緑の葉が成長していて
まだ花が咲いています。
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いつまで頑張るのでしょう。

わが家のススキの
唯一 1 本の穂もやせてきましたが。
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何ごとも まねき果たる すゝき哉
(なにごとも まねきはてたる すすきかな)

芭蕉の 45 歳のときの!だぶん!大みそかの句。

人生なんて果てはススキの招くところ。
ははは。
笑うしかないですなぁ。



旅館寒燈獨不眠
りょかんのかんとう ひとりねむらず

客心何事轉凄然
かくしん なにごとぞ うたたせいぜん

故郷今夜思千里
こきょう こんや せんりをおもわん

霜鬢明朝又一年
そうびん みょうちょう またいちねん

唐の高適(こうせき 701 ? ~ 765)の
「除夜作」という七言絶句。

大みそかといえば最初に浮かぶ詩。

これは
駒田信二著/
漢詩百選・人生の哀歓/の訓読みですが
「思千里」の読み方が
訳者・有識者によっていろいろ。

それによって
主語が違ってくるようです。

もし主語が漢詩を詠んだ当人なら
望郷にうち震えているようです。

だいたい!
大みそかには「望郷」の詩がつきもの。

それも旅の途中やら!
戦乱に巻き込まれていたら
その思いの強い詩が多いですねぇ。

故郷イコール平和とか安寧なんでしょうか。

私は望郷の念は希薄!
というよりないですけどね。
故郷なんてすでに変貌極まり
心の中にしかないでしょう。

ん!?
白花のたんぽぽ!
育った家の裏庭に咲いていました。
たぶん!毎年春の盛りにだったと思うのですが。

大みそかに白花のたんぽぽを撮影するなんて
ああ!私にも望郷の念があるのかしらん。
こっけいですね。



とかなんとかお気楽に過ごしていると
除夜の鐘が鳴る時刻。

詩人なら
去年今年(こぞことし)の感慨のわくところ。

比叡山の延暦寺で年を越そうと
ほんのこの前まで思っていたのですが
寒い!

天候も!気力も!体力も!同伴者も!
懐中も!寒い!

ま!落ちこぼれの見本のような人間は
近くの四天王寺の除夜の鐘を見学(?)に。
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近く過ぎますけど!すごいんです。
知る人ぞ知る!すごい除夜の鐘なんです。

仏教伝来の歴史に必ず出てくる四天王寺ですが
聖徳太子が建立したのころの鐘でもなく
日本三大梵鐘でもなく
三大除夜の鐘ともいいませんが
境内にみっつもあるんです!
除夜の鐘を撞くところが。

すごいでしょ。

北鐘堂。
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太鼓楼。
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南鐘堂。
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それぞれ 108 人が撞けるようです。
北鐘堂と太鼓楼では
除夜の鐘の後にも
明け方まで撞いてもいいようです。



善男善女の無料休憩所で
「年越しそば」を売っていました。

200 円!安い!
夜はウイスキーのお湯割り少し飲んだだけ。
空腹を覚えるのでいただきましょうか。

これですか!?
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でもまぁ!お接待の甘酒と
自前の熱い日本酒をいただいて
ぼんやり頭にさらに霞がかかった横着ものの
去年今年(こぞことし)除夜の鐘。
ま!なにか詠んで(?)帰ります。

望郷は ほんとにないのよ 除夜の鐘

はんなりと 性欲はある 去年今年

俳句ですぞ。
本人が俳句といったら俳句です!
なんでも!かんでも。
100 年後のあなたに評価してもらいます。



ところで
無教養なのでいいかげんなことをいいますが
漢詩に除夜の「鐘」が出てきませんが。

これは日本の仏教界だけの行事なんですか。



(敬称略)
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