古都奈良 京街道 葛とじごはん [南都有情]
古都奈良の興福寺。
五重塔は 50m !高いですね。
しかし!東大寺の東塔や西塔は
33 丈あったといいますから
地上高 100m !
この倍の高さですか。
昨年は東塔の発掘の話題がよく出ていました。
現在現場はどうなっているのやら。
午後から時間があるのでのぞいてみましょうか。
京街道の入り口まできました。
歌碑でしょうか。
見渡者
春日之野邊尓霞立
開艶者櫻花鴨
みわたせば
かすがののべにかすみたつ
、、、、、、さくらばなかも
あら!今日はすらすら読めたと思ったのに
「開艶者」が分かりません。
よく同道するお色気おね~さんが
こんな聞きたいときにはいないものですね。
人は見かけによらず(隠してもいますが)
古歌に造詣が深いと日ごろ感じているのですが。
万葉集ですね。
今!佐佐木信綱編/新訓 万葉集/を見たら
みわたせば
かすがののべにかすみたち
さきにほへるはさくらはなかも
とありましたが。
「さきにほへるは」じゃ私には読めませんよね。
近年このあたりに県花・市花の
ナラノヤエザクラをたくさん植樹しています。
この花は遅いです。
5 月の頭!ゴールデンウィークのころ。
北に!京都方面に向かって歩きます。
「みとりゐ池」とあります。
東に向けば東大寺の南大門。
その門が見えるあたりの池ということ?!
漢字で書けば「見鳥居池」かも。
轟橋(とどろきばし)の碑。
なにもありませんが
その昔は南都八景のひとつだったそうな。
雲井阪(くもいざか)ですか。
ここも南都八景「雲井阪(坂)の雨」あたり。
今は北にゆるやかに下っていますが
その昔は急坂で霧がかかれば美しかったのでしょう。
一里塚の碑。
京街道!
もっとも京都から見れば奈良街道でしょうけど
その起点を示しているのでしょうね。
こんなことばかりしていると
なかなか前に進みませんね。はは。
一里塚の近くに「東大寺 西大門址」の碑。
平城京の二条大路がぶつかるところ。
ということはここが東大寺の正門だったのかも。
碑の向こうに黒ずくめの建てもの。
なんでしょう。
「吉野本葛 天極堂」でした。
2 階から逆に見れば。
ランチタイム限定の
葛とじごはんをいただきました。
鶏肉や鶏卵や野菜の葛あんが
ごはんにかかっていましたが。
864 円。
本くずは高価なものですね。
冬には体があたたまります。
さらに北へ。
焼け門跡。
ホントは中門というのでしょうけど
火事で焼けたままですから
「焼け門」と呼ばれて久しい。
秋暮るる奈良の旅籠や柿の味
「子規の庭」にある歌碑。
子規はここにあった旅館で
「柿くへば鐘が鳴るなり東大寺」
の句を思いついたはず。
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」は
うんと後に発表したものじゃないでしょうか。
ここで漱石から借りた 10 円をつかいはたして
法隆寺には行かなかった!行けなかったのでは。
私の勝手な推測ですけどね。
子規の年表では
雨の法隆寺に行ったとありますけどね。
わ!
殺気を感じてふり返れば
変な憶測をとがめるように
たくさんのヤドリギ?!
国宝の転害門(てがいもん)です。
門の向こうに若草山が見え隠れしています。
奈良県庁の屋上から見る
「若草山山焼き」の抽選に今年もはずれました。
もうすぐ(2017/01/28)ですね。
転害門からいにしえの一条大路を
平城京に向けて西行します。
聖武天皇の御陵を遠くから拝して帰ります。
ん?!
聖武天皇!東大寺建立!
あ!東大寺の
東塔跡を見るために歩いていたのでした。
新年早々なにをしているのやら。
いつもと変わらないからめでたいのかな。
「おめでたい」だけですね。
(敬称略)
五重塔は 50m !高いですね。
しかし!東大寺の東塔や西塔は
33 丈あったといいますから
地上高 100m !
この倍の高さですか。
昨年は東塔の発掘の話題がよく出ていました。
現在現場はどうなっているのやら。
午後から時間があるのでのぞいてみましょうか。
京街道の入り口まできました。
歌碑でしょうか。
見渡者
春日之野邊尓霞立
開艶者櫻花鴨
みわたせば
かすがののべにかすみたつ
、、、、、、さくらばなかも
あら!今日はすらすら読めたと思ったのに
「開艶者」が分かりません。
よく同道するお色気おね~さんが
こんな聞きたいときにはいないものですね。
人は見かけによらず(隠してもいますが)
古歌に造詣が深いと日ごろ感じているのですが。
万葉集ですね。
今!佐佐木信綱編/新訓 万葉集/を見たら
みわたせば
かすがののべにかすみたち
さきにほへるはさくらはなかも
とありましたが。
「さきにほへるは」じゃ私には読めませんよね。
近年このあたりに県花・市花の
ナラノヤエザクラをたくさん植樹しています。
この花は遅いです。
5 月の頭!ゴールデンウィークのころ。
北に!京都方面に向かって歩きます。
「みとりゐ池」とあります。
東に向けば東大寺の南大門。
その門が見えるあたりの池ということ?!
漢字で書けば「見鳥居池」かも。
轟橋(とどろきばし)の碑。
なにもありませんが
その昔は南都八景のひとつだったそうな。
雲井阪(くもいざか)ですか。
ここも南都八景「雲井阪(坂)の雨」あたり。
今は北にゆるやかに下っていますが
その昔は急坂で霧がかかれば美しかったのでしょう。
一里塚の碑。
京街道!
もっとも京都から見れば奈良街道でしょうけど
その起点を示しているのでしょうね。
こんなことばかりしていると
なかなか前に進みませんね。はは。
一里塚の近くに「東大寺 西大門址」の碑。
平城京の二条大路がぶつかるところ。
ということはここが東大寺の正門だったのかも。
碑の向こうに黒ずくめの建てもの。
なんでしょう。
「吉野本葛 天極堂」でした。
2 階から逆に見れば。
ランチタイム限定の
葛とじごはんをいただきました。
鶏肉や鶏卵や野菜の葛あんが
ごはんにかかっていましたが。
864 円。
本くずは高価なものですね。
冬には体があたたまります。
さらに北へ。
焼け門跡。
ホントは中門というのでしょうけど
火事で焼けたままですから
「焼け門」と呼ばれて久しい。
秋暮るる奈良の旅籠や柿の味
「子規の庭」にある歌碑。
子規はここにあった旅館で
「柿くへば鐘が鳴るなり東大寺」
の句を思いついたはず。
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」は
うんと後に発表したものじゃないでしょうか。
ここで漱石から借りた 10 円をつかいはたして
法隆寺には行かなかった!行けなかったのでは。
私の勝手な推測ですけどね。
子規の年表では
雨の法隆寺に行ったとありますけどね。
わ!
殺気を感じてふり返れば
変な憶測をとがめるように
たくさんのヤドリギ?!
国宝の転害門(てがいもん)です。
門の向こうに若草山が見え隠れしています。
奈良県庁の屋上から見る
「若草山山焼き」の抽選に今年もはずれました。
もうすぐ(2017/01/28)ですね。
転害門からいにしえの一条大路を
平城京に向けて西行します。
聖武天皇の御陵を遠くから拝して帰ります。
ん?!
聖武天皇!東大寺建立!
あ!東大寺の
東塔跡を見るために歩いていたのでした。
新年早々なにをしているのやら。
いつもと変わらないからめでたいのかな。
「おめでたい」だけですね。
(敬称略)