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洛北・岩倉 松茸山誕生?! [草のゆかり]

京都市営地下鉄・烏丸線の終点の
国際会館駅を出ると
北から南へ岩倉川が流れています。
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高野川の支流かな。
やがて鴨川になり
桂川に!さらに淀川になって
海に紛れるのでしょうか。

川沿いをさかのぼれば
叡山電車の岩倉駅。

近くに岩倉具視の幽棲旧宅があります。

「岩倉」がよく出てきますね。
このあたりは
岩倉村と呼ばれていたようです。

山住神社。
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社殿がないような。
石座神社旧地とあります。
石座は磐座(いわくら)のことかも。
奥に神さまが降臨する巨岩があるのですね。

それからこの地の名
岩倉がついたのでしょうか。

権土池(ごんどいけ)のそばに
「岩倉具視公加恩の池」の碑がありました。
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岩倉具視が貧しい下級公家から
明治の元勲といわれるほど出世したとき
幽棲中に世話になったお礼に
300 円という大金を村に贈ったのですね。

村人はエラいですねぇ。
その金子でこのため池を造ったのですか。
飲んで食べて
ちゃんちきおけさを踊って暮らそうとも
思わなかったのですね。

近くに
村中の男女が夜通し組んずほぐれつで楽しむ
大原の江文神社の雑魚寝(ざこね)の
風習がありますが(拙ブログ 2015/12/03
年に 1 度なんてケチなことはいわず
年中!雑魚寝をしようとも
思わなかったのですね。

私の考えとはたいそう違いますね。



いつのまにか岩倉川は見失い
繁見峠(しげみとうげ)まで歩を進めました。

山小屋?!
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ちょっとラフですね。
喫茶はできても暮らすには
中にテントを張らねばなりませんか。

あ!休憩所ですか。
「まつたけ山復活させ隊」というグループの!

お!
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仰げば松の木ばかり。

盆栽の文人作りのような松の高木が
まばらにありますが
その下は松の小さな木だらけ。

松山に上ります。
赤松ばかりですね。
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やっぱり!
「松茸」の発生を夢見ているのですね。



「松茸」とは!
難問ですね。

キノコはどこでも発生していますが
私が見ている多くは「腐生」でしょうか。
キノコは光合成できないので
命を終えた動植物の有機質を分解して
利用しているのですね。

この類は人工栽培が可能で
野菜の値段が高いときにも
安定した価格で重宝していますが。

生きた生物から
強引に栄養分を奪うキノコもありますが。
それで真っ先に思い出すのが「冬虫夏草」!
昆虫に寄生して
宿主を殺してしまいますが。

白土三平はカエル(蝦蟇)に生える
冬虫夏草を描いていました。
さらに人間に寄生した冬虫夏草も。
これが不老不死の妙薬かも知れない
「肉芝」の正体?!

それよりやっかいそうなのが
「共生」のキノコ!
動植物と互いに
栄養分をやりとりしているもの。
マツタケ!ハツタケ!アミタケ!コウタケ!
これらの人工栽培は大変でしょう。



松茸は
近畿・中国地方に良質の産地がありました。

地質条件と気象条件が適しているような。
さらに人的条件があったようです。

私が大昔
友人の家が管理している山やら
知らずに(ホントは知っていたかも)
紛れ込んだ山やらで
番犬に追いかけられながら考えたのは
松茸は人が増産させてきたような。

松茸山は里山でもあるような。
常に薪(たきぎ)拾いをして
山の表土が明るく
腐葉土が深く積もっていないほうが
成長にいいような。

人口が集中していた関西では
燃料が不足して
いつも山の柴刈りが行われていて
松茸の増産に寄与していたのでは。

赤松林のあまり混み合っていない樹々の間で
春にツツジがほほえむようなところに
秋に松茸が生えているような幻想が
今もあります。



思い出しました。
松茸酒。
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270 種を越えて
数百本の果実酒・花酒・薬草酒を
作っていたことがありましたが
ある事由で(ま!いいかえれば夜逃げですが)
みんな捨てましたが
なぜか!この松茸酒は持って出ていましたね。

丹波産松茸 50g
ホワイトリカー 35° 800cc
氷砂糖 1 片と書き記しています。

◯十年!封を切っていません。
どんな味でしょう。
いつかあなたと開けてみたい。



(森林微生物研究会/マツタケ・人工増殖の試み/)
(日本きのこセンター編/やさしいきのこ栽培/)
(白土三平著/いしみつ 冬虫夏草の巻/参照)
(敬称略)
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