SSブログ

しかばね累々の里・精華町 [いわなが姫の丑の刻参り]

十三重石塔のある古刹(こさつ)があります。
blog21.jpg

京都府精華町の来迎寺。

石塔の向こうに
「心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)」の
お千代・半兵衛夫婦とその子の墓がありました。

母が死ねば
おなかの赤ちゃんも死んでしまいます。
その子の墓もちゃんと建てたのですね。

「心中宵庚申」は享保 6 年(1721)
大坂の生国魂(いくたま)神社で起きた事件を
近松門左衛門(1653 ~ 1725)が
人形浄瑠璃に脚色したものですね。

ということは!近松晩年の作ですか。
でも!他の心中ものと
あまり変わり映えしないストーリィのような。

近松の作品は浄瑠璃では
2、3 度観たかも知れません。
他には
里中満智子のコミックで
読んだかも知れません。
それぐらいで生意気いってすみません。

いずれにしても教養のない私には
面白くもなんともない事由で死んでいますね。



「釈迦の池」というため池があります。
blog22.jpg

陶芸家(芸術家)の
河井寛次郎(1890 ~ 1966)が
「魔法にかけられた」風景だそうな。

その当時と趣が違うのかも知れませんが
私にはなんにも感じない池ですが。
私は芸術家ではなく
ゲイじつ家!いや!ゲージツ家ですからね。

畑ノ前遺跡に着きましたが
土盛りがあるだけの公園ですね。
棚田!?
blog23.jpg

棚田と書いてありますが
遺跡ですか。
オブジェですか。
水も得られないような棚田ですね。

精華大通りをゆるやかに上って行きます。
blog24.jpg

大通りというだけあって
滑走路のような幅員のある道です。

精華町は古い里と聞いたような。
こんな京(みやこ)のメイン通りのような道も
歴史があるのでしょうか。



「けいはんな記念公園」に着きました。

有料の水景園をひとめぐり。(拙ブログ 2017/02/25
blog25.jpg

「谷あい」に梅が咲いています。
blog26.jpg

このあたりは無料です。

芝生広場を斜めに横断。
blog27.jpg

あ!いいじゃないですか。
石垣の上に四阿(あずまや)があります。
blog28.jpg

石垣にヘビや小動物が棲めそうです。



このあたりは工業地域ですか。
blog29.jpg

あれ!?それとも住宅地域ですか。
blog30.jpg

床面積の大きそうな住宅が
威風あたりを払うがごとし。

お金持ちの町かも。
日本の格差がますます広がっています。
広がっていると思うのは
奈落の底で
高い天を仰いでいる私だけでしょうけど。



おなかが空いたので帰りましょう。

稲植神社に手を合わせますか。
blog31.jpg

大きな鎮守の森が残っていて
すてきじゃないですか。

田園地帯の中の大きな建てもの。
blog32.jpg

精華町役場ですか。
じゃ!食堂の類はありますよね。
安い!ですよね!きっと。

ありました!
が!午後 1 時過ぎていたので営業終了!?
閑散として人がいないのでそんなもんですかね。

「せいかガーデンシティ」とかいう商業施設の
フードコートで
「牛すじカレーうどん」と「たこ焼き」のセット。
blog33.jpg

600 円。
これ!カレーうどん?!
ちっともカレーの味がしないんですがね。



近鉄・新祝園(しんほうその)駅から乗車。
blog34.jpg

日本語にうとい
おフランス人(フランス人にあらず)の
私にはなかなか読めない駅名です。
ちなみに
隣接のJRは「祝園(ほうその)」駅です。

「日本書紀」崇神天皇の条に
残酷な逸話がありました。

天皇に背いたという
武埴安彦(たけはにやすひこ)を
彦国茸(ひこくにひく)が射殺したのですね。
それであわてて逃げる武埴安彦軍を追いかけて
ばっさばっさと首を斬り落としたとか。

大将が死んだのですから
兵士を皆殺しにしなくてもいいようなものですが
記・紀にはあちらもこちらも
残酷この上のない歴史しかありませんね。

「屍(しかばね)があふれた」
「その地を羽振苑(はふりその)と名づけた」
とあります。

「はふり」とは
「放る」とか「ほうむる」とかいう意味?!
その「はふりその」が
「祝園(ほうその)」になったらしい。
漢字が逆の意味の字になっていませんか。

昔は祝園村と呼ばれていたらしい。
すごく古い里でしたね。



(宇治谷孟著/全現代語訳 日本書紀/参照)
(敬称略)
コメント(0)