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一休さん 遅れて咲いても恋は恋 [わが街・下駄ばきドドンパ]

住宅街の中の
なぜか高いネットフェンスに包まれた
不健康そうな公園の端に
「一休禅師状菜庵跡」の碑があります。
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状菜庵(しょうさいあん)とは
一休(1392 ~ 1491)の弟子の
墨斎が作った一休の年表にある
「住吉の松栖庵」のことでしょうか。

一休 77 歳のとき。

翌年 78 歳のときに
住吉薬師堂にて
「聴盲女艶歌」の詩を書いています。

状菜庵と
松栖庵はおなじものかも知れませんが
薬師堂との関係はどうなんでしょう。



優遊且喜薬師堂
 ゆうゆう しばらくよろこぶ やくしどう
毒気便々是我腸
 どくけ びんびんたり これわがちょう
愧斬不管雪霜鬢
 きざんす せっそうの びんにかかわらずを
吟尽厳寒秋点長
 ぎんつきて げんかん しゅうてんながし

つづいてもう 1 首作っていますが。
いずれも阿呆にはなんのこっちゃ!?

柳田聖山訳詞(?)で見るほうが早いかも。

 めぐりおうたる 薬師の御堂
 毒気むくむく 下腹うごく
 髪の白さが 恥じらう春を
 秋はふけても 歌ごえ尽きぬ

つづいて 2 首め。

 思い出すのは 薪のくらし
 慕うてきました 高貴のタネと
 過去のいろいろ みな棄てました
 今がしあわせ うてなの眉が



一休はこのとき
盲目の美女
森女(しんにょ)と出会ったのですね。

それから 10 年!なくなるまで
いっしょに暮らしたといわれています。

しかし!
森女のプロフィールはなにもありません。
存在さえも疑えば疑えます。

水上勉は森女が妊娠したと想定しています。
飛躍し過ぎかも。

森女を「森侍者」と記録にある人と
同一視する解釈もあるらしい。
でも!森侍者は男か女かも分かっていません。

一休は生涯に
1,000 首を越える詩を残しているそうですが
虚実分からない一休ワールドを形成していて
凡人を煙に巻いて
自らを破戒僧のナリにやつしています。

百年たっても私には解けない一休の世界。

「すきすきすきすき すき すき
「あいしてる
の小坊主の「一休さん」の
イメージだけでいいかも!
幼稚なままのものには。

かように現代人も煙にまいていますね。
ホントの禅師かも知れません。



近くでカキツバタ(杜若)が咲いています。
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住吉大社(大阪市住吉区)の末社を囲む
浅沢社のカキツバタの池ですから
カキツバタが咲いていても
なんら不思議ではないのですが
この夏の陽射しの中でぽつんと寂しく。
耐えていますね。

みんなより早く咲くものもいれば
遅れて咲くものもあります。

このところ
水の上部の木の枝などに産みつけられた
泡状のモリアオガエルの卵塊ばかり見て
山中を放浪していますが
早くオタマジャクシになった
元気のいい個体は
早く水中にダイビングして大きく育ちます。

遅くに生まれたものは
ダイビングする前に夏の猛暑がやってきて
干からびてしまいます。

しかし!
水中ではイモリが団体で
口を開けていることがあります。
落ちてくるオタマジャクシを
つぎつぎに食べています。

季節が過ぎて
イモリがつぎの季節のエサを求めて
移動して行った後に
遅れて落ちたオタマジャクシは
小さくても!ひ弱でも!
生き延びてカエルになります。

考えたら運不運が分からなくなります。

恋もまた!



(住吉薬師堂の詩の中の)
(愧斬不管雪霜鬢の斬の字は 木偏に斬)
(柳田聖山著/一休「狂雲集」の世界/参照)
(敬称略)
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