道頓堀川船渡御 2017 [わが街・大阪ブギウギ]
高さ 12m の獅子殿の前で
こどもたちが獅子舞いをしていました。
今日(2017/07/13)は
難波八坂神社の夏祭の宵宮なんですね。
夜には道頓堀川で
船渡御(ふなとぎょ)があるのです。
船渡御といえばすぐ
大阪天満宮の天神祭を思い浮かべるのですが
江戸時代には天神祭のそれに比肩するほどの
盛大さだったとか。
長らく途絶えていたのを
近年復活させているようです。
少しだけ拝見して帰ります。
道頓堀川に向かいます。
もう梅雨は上がったのでしょうか。
なんだか空の色は悪いのですが
といって降りそうもないですね。
「道頓堀の 雨に別れて 以来なり
道頓堀川の雨もまたいいものでしょうか。
道頓堀川で唯一吊り橋の
浮庭橋(うきにわばし)の下あたりで
船渡御の準備をしているようです。
ポスターには
22 隻 600 名が乗り込むとありますが
今のところ!そんなにはいないような。
にぎやかな街のほう!
すなわち東に向けて水際を歩きます。
水の流れがわずかなので分かりにくいのですが
さかのぼっていることになります。
あ!
大黒橋をくぐってきた船と鉢合わせ。
練習!ということはありますまい。
もう!明るいうちから運行したりしています。
「戎橋 白粉(おしろい)紙を 散らす恋
戎橋は通称・ひっかけ橋。
男が!女が!
恋を!いや!もっとエゲつなく
セックスを求めて
蝟集(いしゅう)していた橋。
あ!その昔のはなしですよ!
バブルで浮かれ切っていたころの老若男女。
現状のことは知りません。
戎橋の上にたたずめば
上流の木造の橋が太左衛門橋。
「盛り場を むかしに戻す はしひとつ
食満南北(けまなんぼく)の川柳。
どこの橋のこと?!
どういう意味!?
浅学にして
長い間!分からなかったのですが。
この橋は太左衛門橋のことだそうな。
先の大戦で消失していたのですが
昭和 23 年(1948)再建されたとき
詠まれた川柳ということ。
だれも教えてくれませんでしたが
最近!自力で知り得ました。
エラいでしょ。
(エラくありませんでした。下記)
やっと提灯に灯が入り
船がつぎつぎに通うようになりましたね。
太左衛門橋の前の幅員のないところで
船を方向転換しています。
少し下流の
川幅のあるところでターンするのと
違う意味があるのでしょうか。
みんな!手漕ぎなんですね。
赤い灯!青い灯がさえてきて
祭は最高潮に達しようとしてきました。
祭の宵には
「恋」が似合うと思うのですがね。
しかし!
ひっかけ橋でひっかける元気もなく
冗談にでも
ひっかけてくれる人もいないものは
空腹になったので帰ります。
「大阪は よいところなり 橋の雨
そうか!雨が降らないから
情緒を感じないのかなぁ。
(断りのない川柳は岸本水府作)
(田辺聖子著/道頓堀の雨に別れて以来なり/)
(藤沢桓夫・他著/川柳にみる大阪/参照)
(敬称略)
(追記)
食満南北の川柳。
昭和 25 年(1950)
相合橋の渡り初め時に
詠んだという説もありました。
こどもたちが獅子舞いをしていました。
今日(2017/07/13)は
難波八坂神社の夏祭の宵宮なんですね。
夜には道頓堀川で
船渡御(ふなとぎょ)があるのです。
船渡御といえばすぐ
大阪天満宮の天神祭を思い浮かべるのですが
江戸時代には天神祭のそれに比肩するほどの
盛大さだったとか。
長らく途絶えていたのを
近年復活させているようです。
少しだけ拝見して帰ります。
道頓堀川に向かいます。
もう梅雨は上がったのでしょうか。
なんだか空の色は悪いのですが
といって降りそうもないですね。
「道頓堀の 雨に別れて 以来なり
道頓堀川の雨もまたいいものでしょうか。
道頓堀川で唯一吊り橋の
浮庭橋(うきにわばし)の下あたりで
船渡御の準備をしているようです。
ポスターには
22 隻 600 名が乗り込むとありますが
今のところ!そんなにはいないような。
にぎやかな街のほう!
すなわち東に向けて水際を歩きます。
水の流れがわずかなので分かりにくいのですが
さかのぼっていることになります。
あ!
大黒橋をくぐってきた船と鉢合わせ。
練習!ということはありますまい。
もう!明るいうちから運行したりしています。
「戎橋 白粉(おしろい)紙を 散らす恋
戎橋は通称・ひっかけ橋。
男が!女が!
恋を!いや!もっとエゲつなく
セックスを求めて
蝟集(いしゅう)していた橋。
あ!その昔のはなしですよ!
バブルで浮かれ切っていたころの老若男女。
現状のことは知りません。
戎橋の上にたたずめば
上流の木造の橋が太左衛門橋。
「盛り場を むかしに戻す はしひとつ
食満南北(けまなんぼく)の川柳。
どこの橋のこと?!
どういう意味!?
浅学にして
長い間!分からなかったのですが。
この橋は太左衛門橋のことだそうな。
先の大戦で消失していたのですが
昭和 23 年(1948)再建されたとき
詠まれた川柳ということ。
だれも教えてくれませんでしたが
最近!自力で知り得ました。
エラいでしょ。
(エラくありませんでした。下記)
やっと提灯に灯が入り
船がつぎつぎに通うようになりましたね。
太左衛門橋の前の幅員のないところで
船を方向転換しています。
少し下流の
川幅のあるところでターンするのと
違う意味があるのでしょうか。
みんな!手漕ぎなんですね。
赤い灯!青い灯がさえてきて
祭は最高潮に達しようとしてきました。
祭の宵には
「恋」が似合うと思うのですがね。
しかし!
ひっかけ橋でひっかける元気もなく
冗談にでも
ひっかけてくれる人もいないものは
空腹になったので帰ります。
「大阪は よいところなり 橋の雨
そうか!雨が降らないから
情緒を感じないのかなぁ。
(断りのない川柳は岸本水府作)
(田辺聖子著/道頓堀の雨に別れて以来なり/)
(藤沢桓夫・他著/川柳にみる大阪/参照)
(敬称略)
(追記)
食満南北の川柳。
昭和 25 年(1950)
相合橋の渡り初め時に
詠んだという説もありました。