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大和高田 おかげ祭り 秋 2017 [猫も歩けば棒立ち]

「おかげ参り施行図絵馬の壁画」だそうな。
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「おかげまいりせぎょうずえまのへきが」
と読むらしい。
文政 13 年(1830)に奉納された
絵馬を元に描かれたらしいのですが。
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なんですか!?
「おかげ参り」とは。

奈良県の大和高田市の
近鉄南大阪線の高田市駅前の
片塩商店街にきています。

明治維新前後に民衆が伊勢神宮をめざした
通称「おかげ参り」が大流行?!

商店街の北に
官道の「横大路」が東西に走っていたとか。
通称・伊勢街道。
その道を急ぐ「おかげ参り」の人に
街道沿いの人は
施行(せぎょう)したのですね。

施行とは旅人に
食事や湯茶などの接待をすることだとか。
病気やけがに投薬もしていたようです。

今も残る四国遍路の
「お接待」の風習に似ていますね。



にぎやかですね。
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「高田 おかげ祭り 秋」
(2017/10/08・09)だそうな。
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おかげ参りの群衆が途切れず
町は毎日お祭りのような
大変なにぎわいだったのでしょうか。
その再現?!

ユニークな服装の人が通り過ぎます。
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年には不足のない方々ですが。
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「おかげ踊り」というものが
あるのでしょうか。

舞台を作っていますが。
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まさかあれが
「おかげ踊り」ではないでしょうね。

「手づくりの市」があります。
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飲食の屋台が並んだり
縁日にあるようなゲームや
似顔絵描きのブースがあったり
商店街の大売出しのようにも見えたり
なんでもありの様相を呈していますね。



お祭りですから
祭神がいるはずなんですが。

商店街に隣接して
広い境内の神社がありました。
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「龍王宮」ですか。
「石園坐多久虫玉神社」
(いそのにますたくむしたまじんじゃ)が
本名(?)かも知れませんが。

あの壁画の原画となった絵馬の
あったところらしいのですが
現代の「おかげ祭り」とは関係ないのか
静かに喧噪を避けていましたが。

「静御前ゆかりの地」と書いてあります。

ここが
義経の愛妾「静御前」の母の生まれた地。
静御前も流転の末この地で眠っているとか。

どうでしょう?!

「静御前の墓」は
全国いたるところにありますからね。
「しずか」の母の出生地さえも
他にもあるらしい。

和泉式部や清少納言や小野小町の伝説も
全国的ですから
静御前の墓だってあちこちにあっても
不思議じゃないですけどね。

和泉式部や清少納言や小野小町は
文学的には価値があるのかも知れませんが
義経や静御前は歴史の教科書的には
まず価値がない存在でしょう。
それが大事にされるとは
日本人の感性の複雑さ。



ふと!幕末のころ大発生したという
「ええじゃないか」騒動を思い出しました。

「天からお札(神符)が降ってくる」
という囃子詞(はやしことば)の
熱狂的な踊り。(拙ブログ 2017/08/13

あのお札は
伊勢神宮のものではなかったのですか。

「おかげ参り」と
関係はなかったのでしょうか。
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