美山 かやぶきの里 秋は終わった [町道!街道!眠り未だ足らず]
「秋は終わった
そんな文句が浮かびました。
「私の平成も終わった
そして重ねてそう思いました。
「秋の一斉放水」(拙ブログ 2017/12/02)の
つづきを書きます。
かやぶきの里は京都府の山の中
日本海沿岸の福井県高浜市から
京都市へつづく
「西の鯖街道」の中継地だったところです。
普段の知井地区の北集落は静かな山里です。
50 戸のうち 38 棟がかやぶき屋根。
集落の東の端に
八つ頭の鹿の伝説がある知井八幡神社。
古事記に出てくる
八俣大蛇(やまたのおろち)は
砂鉄の「たたら」じゃないかと
勝手に錯覚(!)しているのですが
(拙ブログ 2017/08/04)
ここの八つ頭の鹿には
どんな秘密があるのでしょう。
この集落は傾斜地にあります。
一番下は当然!田んぼです。
上の集落の縁に
散策路が設けられていますので
ひと回りして俯瞰(ふかん)してみました。
これが遠い日の日本の風景でしょうか。
集落の中ほど
郵便ポストのあるところから入ります。
夏は涼しそうです。
吉田兼好は
「家のつくりやうは夏をむねとすべし
といっていましたが。
「冬はいかなる所にも住まる
とも書き残していますがはたして?!
とても寒そうに見えますね。
ここの「かやぶき」は屋根上に
「馬乗り」という千木(ちぎ)を置き
横に「烏(からす)どまり」という
横木を渡してあります。
「烏どまり」は
「雪割り」ともいうそうですから
降雪対策なんでしょうか。
白い山茶花(さざんか)が咲いています。
紅葉と屋根の緑が妙に美しい。
「肱(ひじ)張りて枯れし柿の木
「痩竜(そうりゅう)に晴(ひとみ)を点ず
きみ知るや!三好達治の
「残果」という詩の一節。
こんな果実を
「木守(きまも)り」というのだそうな。
三好達治の造語ではなく
たぶん!
昔からいわれてきたことばでしょう。
ランチは「鹿肉」の
「すき焼き丼」(400 円)ですませます。
雨が強くなったので
いそいで通り過ぎましたが
集落の稲荷神社の境内の大木は
樹齢 400 年のトチ(栃)でしたか。
トチ餅(150 円)もいただきます。
買う気もないのに土産もの店に入り
1、2 分で出てきたら
「傘」がない!
「私の平成」のほとんどに同行した傘。
(拙ブログ 2014/08/04 に画像があります)
ニューヨークの銀行にもらったと
思っているのですが
「外国の銀行がそんなもん!
「くれる訳がない!
といわれたりすると
そうかなと思ってしまうほど
記憶はあいまいな大昔に入手。
それがとても丈夫で
くたびれてきていても
修理もしたことがありません。
その傘をさしたら
忘れていた人の顔や
忘れていないけど思い出したくない恋が
突然!彷彿(ほうふつ)としたりします。
その傘が盗られた!?
間違えて持って行ったのなら
返しに来るだろうと
期待して待ったのですが。
「秋は終わった
帰路のバスの中で
そんな文句が浮かびました。
かやぶきの里の秋は終わったのです。
一斉放水は秋の終わりなんです。
これから地味な冬に入ります。
「夏は終わった
小説「火宅の人」の最終章の
「キリギリス」には
このフレーズが出てきます。
「まことに夏は終わった
「畜生!夏は終わった
なん回も出てきます。
作者であり「火宅の人」である檀一雄は
死の淵に立っていて
口述筆記のくだりらしい。
自身の 10 年以上前のできごとが
モデルでしょうけど
かれはそのときの自分の「命」も
終わったといっているのかも。
情熱的な夏が終わり
もの思う秋はなく
すぐに厳しい冬を感じていたような。
「モガリ笛いく夜もがらせ花ニ逢はん
としたためて 5 日後に一期を終えています。
私も「火宅の人」だったのかも。
檀一雄に比したらミニミニサイズですが。
その決別の時期がきたのだ!
「傘」はもう別れたかったのだ!
そう思ったりして。
バスの中ほど
前後左右!周囲みな
中国からきた観光客にはさまれて
「そーりー」「サンキュー」
「しぇしぇ」のみ発するだけの
窮屈さもあって
自称・おフランス人は
「秋は終わったのだ
「平成は終わったのだ
そんな呪文をくり返していました。
(三好達治詩集/百たびののち/)
(徒然草/今泉忠義訳註/)
(檀一雄著/火宅の人/)参照
(敬称略)
そんな文句が浮かびました。
「私の平成も終わった
そして重ねてそう思いました。
「秋の一斉放水」(拙ブログ 2017/12/02)の
つづきを書きます。
かやぶきの里は京都府の山の中
日本海沿岸の福井県高浜市から
京都市へつづく
「西の鯖街道」の中継地だったところです。
普段の知井地区の北集落は静かな山里です。
50 戸のうち 38 棟がかやぶき屋根。
集落の東の端に
八つ頭の鹿の伝説がある知井八幡神社。
古事記に出てくる
八俣大蛇(やまたのおろち)は
砂鉄の「たたら」じゃないかと
勝手に錯覚(!)しているのですが
(拙ブログ 2017/08/04)
ここの八つ頭の鹿には
どんな秘密があるのでしょう。
この集落は傾斜地にあります。
一番下は当然!田んぼです。
上の集落の縁に
散策路が設けられていますので
ひと回りして俯瞰(ふかん)してみました。
これが遠い日の日本の風景でしょうか。
集落の中ほど
郵便ポストのあるところから入ります。
夏は涼しそうです。
吉田兼好は
「家のつくりやうは夏をむねとすべし
といっていましたが。
「冬はいかなる所にも住まる
とも書き残していますがはたして?!
とても寒そうに見えますね。
ここの「かやぶき」は屋根上に
「馬乗り」という千木(ちぎ)を置き
横に「烏(からす)どまり」という
横木を渡してあります。
「烏どまり」は
「雪割り」ともいうそうですから
降雪対策なんでしょうか。
白い山茶花(さざんか)が咲いています。
紅葉と屋根の緑が妙に美しい。
「肱(ひじ)張りて枯れし柿の木
「痩竜(そうりゅう)に晴(ひとみ)を点ず
きみ知るや!三好達治の
「残果」という詩の一節。
こんな果実を
「木守(きまも)り」というのだそうな。
三好達治の造語ではなく
たぶん!
昔からいわれてきたことばでしょう。
ランチは「鹿肉」の
「すき焼き丼」(400 円)ですませます。
雨が強くなったので
いそいで通り過ぎましたが
集落の稲荷神社の境内の大木は
樹齢 400 年のトチ(栃)でしたか。
トチ餅(150 円)もいただきます。
買う気もないのに土産もの店に入り
1、2 分で出てきたら
「傘」がない!
「私の平成」のほとんどに同行した傘。
(拙ブログ 2014/08/04 に画像があります)
ニューヨークの銀行にもらったと
思っているのですが
「外国の銀行がそんなもん!
「くれる訳がない!
といわれたりすると
そうかなと思ってしまうほど
記憶はあいまいな大昔に入手。
それがとても丈夫で
くたびれてきていても
修理もしたことがありません。
その傘をさしたら
忘れていた人の顔や
忘れていないけど思い出したくない恋が
突然!彷彿(ほうふつ)としたりします。
その傘が盗られた!?
間違えて持って行ったのなら
返しに来るだろうと
期待して待ったのですが。
「秋は終わった
帰路のバスの中で
そんな文句が浮かびました。
かやぶきの里の秋は終わったのです。
一斉放水は秋の終わりなんです。
これから地味な冬に入ります。
「夏は終わった
小説「火宅の人」の最終章の
「キリギリス」には
このフレーズが出てきます。
「まことに夏は終わった
「畜生!夏は終わった
なん回も出てきます。
作者であり「火宅の人」である檀一雄は
死の淵に立っていて
口述筆記のくだりらしい。
自身の 10 年以上前のできごとが
モデルでしょうけど
かれはそのときの自分の「命」も
終わったといっているのかも。
情熱的な夏が終わり
もの思う秋はなく
すぐに厳しい冬を感じていたような。
「モガリ笛いく夜もがらせ花ニ逢はん
としたためて 5 日後に一期を終えています。
私も「火宅の人」だったのかも。
檀一雄に比したらミニミニサイズですが。
その決別の時期がきたのだ!
「傘」はもう別れたかったのだ!
そう思ったりして。
バスの中ほど
前後左右!周囲みな
中国からきた観光客にはさまれて
「そーりー」「サンキュー」
「しぇしぇ」のみ発するだけの
窮屈さもあって
自称・おフランス人は
「秋は終わったのだ
「平成は終わったのだ
そんな呪文をくり返していました。
(三好達治詩集/百たびののち/)
(徒然草/今泉忠義訳註/)
(檀一雄著/火宅の人/)参照
(敬称略)