SSブログ

枯野の歌 メタセコイアの幻 [草のゆかり]

とりたてて思惑はないのですが
この秋から冬に
メタセコイアばかり見上げていたような。
blog1.jpg

樹高があります。

放任しておいても
円錐形にまとまり
どこまで伸びても
樹形を崩さないのがいいですね。

どこまでといっても
どこまで伸びるのでしょう。

針葉樹なのに
秋には紅葉して落葉します。



ふと!思い出しました。

古事記の仁徳天皇のところに
「枯野(からの)の歌」があります。

「枯野(からの)を塩に焼き
「其(し)があまり琴に作り
「かき弾(ひ)くや由良の門(と)の
「門中(となか)の海石(いくり)に
「振れ立つ漬(なず)の木のさやさや

枯野(からの)を燃やして
塩焼きをしたようです。
塩がたくさん焼けたので
諸国に下賜されました。
どうしても燃えなかった部分は
琴にしました。
その琴を弾くと
七つの里にまでひびいたそうな。

枯野(からの)の「から」は「軽」?!
「かろやか」!?
「からの」は高速船の名前ですね。
その時代ですので当然!木造船。
構造までは分かりませんが。

それが廃船になったときに
諸国に配る塩が焼けるほどの
たきぎが取れたという大きな船。

免寸河の西に 1 本の大木がありました。
朝日が射せば
木の影は淡路島に及び
夕日が当たれば
影が高安山に届いたほどの大木。

「免寸河」を
なんと読むのか分かりませんが
「とのきがわ」と読めば
大阪府高石市あたり。
地図上で高安山と高石市を結べば
その延長には淡路島がありますが。

もっとも淡路島は広大な島なので
免寸河の比定が少々ずれても
淡路島のどこかには届きますけどね。

その大木で高速船を建造したのですね。



どこまでホントーのことやら。

日本書紀にも
まったくおなじ歌がのっています。
枯野のいわれは違いますけどね。

それが!なんと!
1 代前の
応神天皇の時代のはなしとして!です。

でたらめですか?!
記・紀はいいかげんなことばかり!?

しかし浅知恵で思うのです!
9 割でたらめでも
あの共通の歌は
ホンモノ(!)かも知れないと。

どこかに大木があったのかも。
あったのならどんな木だったのやら。

真っ先にスギ(杉)が思い浮かびますが。

たわむれに
古事記をコミック化した人の
想像図を見ると
針葉樹ですが
マツ(松)ではないですね。
スギ(杉)とかモミ(樅)とか
コウヤマキ(高野槇)とかに見えますが。

私のイメージとほぼおなじです。



その木が
メタセコイアだったら面白いですね。
blog2.jpg

メタセコイア(またはその近縁種)は
日本では太古の昔に絶滅していて
化石しか
残っていないといわれていますが。

古事記の編集の時代に!
それとも古事記の時代に記憶が
残っていたかも知れない
その数百年前まで
樹高 100m を越えるメタセコイアが
立っていたのでは!?
blog3.jpg

立っている幻が見えます。



(古典コミックス 古事記/主婦と生活社/)
(古事記・日本書紀/福永武彦訳/)参照
(敬称略)
タグ:古事記
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感