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暗峠 芭蕉最後の旅をたどれば [町道!街道!眠り未だ足らず]

近鉄生駒線・南生駒駅前の竜田川で
コンビニで求めた紙パックの牛乳だけで
寂しい遅いランチ。

「月日は百代の過客にして
「行きかふ年も又旅人也

なんだか心身に力が入りません。
ずいぶん生きてきたような。
しかし!
あともう 100 年は生きていたいような。

ここは奈良県の生駒市。
生駒山が見えます。
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幅員のない道が山に向かっています。
まるで軽トラの専用道路に見えますが
国道です。
国道 308 号!

大変古い道です。
難波京(大坂)があったあたりと
平城京(奈良)を結んでいた街道。
暗越(くらがりごえ)奈良街道と
呼ばれています。

奈良側からいえば
大坂(大阪)街道でしょうけど。

よし!
ここで屍(しかばね)をさらすのも無念。
大阪に帰ろう!
この街道を歩いて帰りましょう。



この街道はまた!
松尾芭蕉の最後の旅の道。

「菊の香や ならにはふるき 仏たち

元禄 7 年(1694)9 月 8 日
51 歳の芭蕉は故郷の伊賀上野を立ち
奈良に 1 泊しています。

折しも
重陽の節句(菊の節句)だったのですね。

翌日!大阪に向けてこの道を歩きました。

当時はともかく
現在はとても狭く感じる道です。
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アンテナの見本市のように
山頂に並ぶ電波塔を確認しながら上ります。
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住居がつづいているくらいですから。
大阪側から上るよりゆるやかです。
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ゆるやかというのは比較してそうだけで
決して楽な上りではありません!はぁ~。

40 分も歩いて!家並みも途切れたころ
古民家を利用したような
うどん屋がありました。
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あまりにも唐突に現れたような店ですが
その昔は幹線道路ですから
旅籠(はたご)や
茶店が並んでいたのかも知れません。



椿の花の季節は終わりましたか。
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だいぶ上りましたね。
どうして歩こうと思ったのでしょう。
ああ!徒労感がひしひし。

棚田は冬のまま。
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なぜか懐かしい!麦の青さ。
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麦?!今の時代に!?

ああ!「往馬大社 御小麦畑」だそうな。



山頂近くに本陣跡。
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やっと街道の頂上
石畳の国道!
暗峠(くらがりとうげ)に着きました。
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峠の茶店で
なにか食べようと思ってきたのですが
心が花粉症?!
うつむいたまま通り過ぎます。

大阪側は下るだけです。
上るのも大変ですが
下るのも爪先が痛くなるほど!

この道のあちこちで
遅々としてですが拡幅工事をしていますが
依然としてこのあたりが一番狭そう。
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幅員 2m あるのやら。

大阪側の棚田は逆光のせいか寂しい。
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芭蕉の句碑。
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「菊の香に くらがり登る 節句かな

このあたりでは
芭蕉は下っているのですけどね。
奈良側の!
上りのほうに建てたらいいのでは。

そしてその日のうちに芭蕉は大坂に投宿。

「菊に出て 奈良と難波は 宵月夜

昨夜は奈良!今夜は大坂!
どちらもいい月夜だったのでしょう。

ぎゃ!
ここまで 2 時間近く浪費しています。
6km ほどの道程なのに。
死期の近かった芭蕉の脚に負けているはず。



ふもとの枚岡神社に梅花が映えています。
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そう!
枚岡梅林はどうなっているでしょう。
「ウメ輪紋ウイルス」に感染して
伐採してしまいましたが。

あ!?
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梅の木は 1 本もありません。

伐採した後
新しい苗木を
植えているのかと思っていたのですが
そのまま放置していました。

まだ土中にウイルスがいるのかも。

キティちゃんのベンチが寂しそうでした。
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