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ホルモン焼き50円 幻の湊川駅 [町道!街道!眠り未だ足らず]

「KOBEHARBORLAND」の碑があります。
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アルファベットを寝かせて刻まれています。
「神戸ハーバーランド」といいたいのかな。

JR神戸駅の東!海側のほうです。
1 日中人通りが絶えないところなのに
だれも見向きもしませんね。

ここに国鉄の
「湊川貨物駅」があったのですね。
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その広大な敷地が再開発されて
ビルが林立し
老婆の鼻の下のしわほど
無数の線路があった面影は皆無です。
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この駅から海に線路が延びていたらしい。
なんとなく線路跡のような気もする
直線の歩道があります。
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東川崎公園にあたりました。
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右手の細い道かな。

廃線跡は
日曜農園に利用されているようです。
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右の車道は 1 段低くなっていて
あんまり役に立ちそうにない高さの
防潮堤で仕切られています。

このまままっすぐに海に行けば
「全農」の専用線?
「川崎重工」へは公園のどこかで
左に分岐していたのかも知れません。

公園を過ぎても
なおも直線の面影はありますが。
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なんだか個人の敷地(?)のようなので
う回すれば
向こうにさらに住宅街を進んでいます。
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あ!?
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ふとん干しに利用している錆びた鉄の柵。
鉄道跡の名残りかも。

幅員のある車道が通せんぼ。
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でも!まだ向こうにつづいていますね。

あれ?じきに行き止まり?!
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昔と形が変わっているのか
そうでもないのか分かりませんが
クランクになってつづいていました。
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あ!?
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これ!遮断機かなにかの巻き上げの滑車?!

強いてはずすこともないのか
道の隅に忘れられています。

ホントに通せんぼ!
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その先は海でした。
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鉄板にたくさん穴が開いて朽ちていて
相当危険な桟橋がありました。



この廃線跡と交差する
新開地につづく道をたどれば
松尾稲荷神社がありました。
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日本最古の
「ビリケン」を祀っているそうな。

生意気にもバチあたりのくせに
なん度もいっていますが(すみません!)
ビリケンを
福の神にするのはおかしいですよ。

ヴィヴィアン・リー主演の
1940 年制作映画の
「哀愁(Waterloo Bridge)」で
有名になりましたが
「神」じゃないですよ。
「マスコット」で登場しましたがね。
一神教のイギリスでは
「神」にはなれないと思いますよ。

神社の横に商店街?!
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つましい歩道があります。

朝からにぎやかな声のする
小さな(失礼!)店舗がありました。
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「ホルモン 50 円」の看板が出してある
「中畑商店」!

ホルモン焼き 1 串 50 円(税込)でした。
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今日はおごってレバー焼き(100 円)も。
2 串ずつ。

さらにおごりたかぶって
生ビール(450 円)も食らいました。

おてんとうさま!おばあさま!おたあさま!
働きもないのにごめんなさい。
反省してランチ代わりにしますから。



(宮脇俊三編著/鉄道廃線跡を歩く/)
(新潮社/日本鉄道旅行地図帳/)参照
(敬称略)
タグ:廃線
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お好み焼き 山椒ねぎ焼き [こな(粉)もん]

山椒の木を剪定しました。
葉をちぎりました。
だいぶ硬くごわごわしてきましたが
まだまだ食べられる部分があります。

肉といっしょに
なにか調理したらいいような。

買いに行くのもメンドくさいです。
基本的にものぐさなんです。
闘志が不足しています。
第一!購入するお金も不足しています。

「ねぎ焼き」というお好み焼きが
大阪でははやっているような。
結構!高価です。
「庶民的」と
声高にいうお好み焼き店ほど高価です。

「家庭円満が一番」「夫婦は仲よく」なんて
説教ばかり垂れるおじさんが
実は!女房・こどもに捨てられているのを
隠しているのとよく似ています。

「私の自慢はこの年で黒い自毛」と
聞きもしないのに自慢するおじさんの
かつらがずれているようなものです。

はなしが澪(みお)をはずれそう。

山椒の葉で「ねぎ焼き」のようなもの!
できませんかね。

山椒の葉!青ねぎ!ねぶか!塩昆布!鶏卵!
それに厚揚げ!
標準語(?)でいえば生揚げかな。
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野菜は大好きなんですが
ベジタリアンではありません。
肉でも魚でも
割り勘やお呼ばれのときには
人の倍は食べられます。

ウソだと思われるのならお試しあれ。

そんな訳で(?)
肉の代わりに厚揚げを使います。

厚揚げ以外はみんないっしょに混ぜて
お好み焼き粉を振りかけてかき回します。

鶏卵を増やせば水は不要のようですが
牛乳で少しゆるめます。

フライパンに落とします。
その上に厚揚げを並べます。

ひっくり返して焼きました。
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かつおぶしとマヨネーズをトッピング。
ポン酢で食べました。

山椒の葉は
もっとたくさん使っても
おいしいような。
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藤の花の波と人の波に酔う 信達宿 [町道!街道!眠り未だ足らず]

ネギ坊主の海です。
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たぶん!タマネギの花。

JR阪和線の
新家(しんげ)駅から歩いています。
ここは大阪府の南西
泉州(和泉国)の泉南市。

泉州はタマネギ生産で有名です。
明治時代にすでに
「泉州黄」という優秀な品種が
生まれていたと習ったような。

紀州街道に出たいのですが
野中の道をさまよえば
広い林にあたりました。
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海会寺(かいえじ)を建てた豪族の
屋敷跡だそうな。

近くにその白鳳時代の海会寺という
たいそう大きな寺院の跡が
あるのかも知れませんが
案内も見あたらず
他国ものにはよく分かりません。

目前にミュージアムのような
立派な建てものがぽつんとありましたが。
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無人のようで尋ねることもできません。

ともかく紀州街道に出たようです。

厩戸(うまやど?)王子跡がありました。
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大坂から熊野まで 99 の王子
ま!神社でしょうか
道しるべのように建てられていたのですね。

すると!紀州街道の前身は
熊野街道なんでしょうね。
さらにその前は南海道かも。
今!泉南市では
どの名称も使っているようです。



信達宿(しんだちじゅく)本陣!?
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紀州藩の参勤交代時に
最初に宿泊するところだとか。
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普段は静かな里が
今日(2018/04/22)はやけににぎやかです。

紀州街道から離れる人の流れに従うと
なんという建て方でしょう!大きな屋根。
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真如寺という寺院でした。

さらに進むと長い石段のある長慶寺。
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息せき切ってかけあがると
瞠目(どうもく)してしまいました。
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鄙(ひな)にはまれな(失礼!)
すごい境内です。



紀州街道にもどり南下していると
どんどん人が湧いてきます。

逆光の向こうに花がうねっています。
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大きなお屋敷が藤の花に埋まっています。
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これまた瞠目!
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大勢の人出はこれが目的だったのですね。

敷地に入れば紫色に染まりそう。
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藤の木はたった 1 本なんですか。
1 本で 4 万を越える花房をつけています。

太い!
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樹齢 38 年だとか。
案外!成長がいいのですね。
この家の当主の方が
丹精込めて育てていたのでしょう。

上からもながめさせてもらいます。
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上からは見ごろ過ぎかも。

ノダフジ系でしょうから
花房は元のほうから咲いて行くので
見ごろが先に移り
早く咲いたところは散っています。

今年は「花」が早くて
「ふじまつり」(2018/04/23 ~ 29)を待てず
17 日から繰りあげて公開したようです。


「ちそジュース!どうですか」

おばちゃんに声をかけられました。

ああ!
しそ(紫蘇)のジュースのことですね。
紀州のことばに近いのですね。

「じゃここうこもあります」なんて。

泉州沖であがる雑魚(ざこ)と
古漬けを煮たものですね。

「今朝!煮(た)いた」といいます。

このあたりは「みずなす」という
茄子(なすび)の産地でもあるのです。

その茄子の古漬けと
今日は小エビを煮ていました。
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100g 少々で 200 円。
そんなもんでしょうか。
「みずなす」が高級で高価なものですから。

今晩はこれでハイボールを飲み
酔いましょうか。
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鶴見緑地外周 餃子の王将でランチ [昼定食]

あれ!?
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若葉が萌え出した
花博記念公園鶴見緑地(大阪市鶴見区)の
中央口。

メタセコイアの並木道だと
なんとなく思っていたのですが
中ほどの列は形が悪い樹木です。
ラクウショウですか?!
ラクウショウと
メタセコイアの混植でしたか。

緑地の縁を歩きます。

四角な緑地の東側
水路沿いを南から北へ。
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水路には動きの見えない水。
セリ(芹)が
競(せ)り合って伸びています。
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なるほど!
セリとは「競り」ですね。

あ!?
セリじゃありません。
葉をちぎって食べてみます。
あまりきれいな流れでもないので
よいこはマネをしないように。

クレソンでした。

鶴見緑地の北の縁は
東西に大きな水路がつづいていましたが。
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汚い!
まるで半世紀前の処理できていない
下水が流れ込む水路のようです。

北のラインの中ほどの北口に接して
明るい緑地があるので寄り道。
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釣り堀(!)があります。
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守口市の家庭の汚水の処理場から出た
処理水を貯めて池を造っているらしい。



鶴見緑地の縁にある水路は
このあたりで終わりかな。

水路際に
シロバナタンポポが咲いていたような
気がしていたのですが。
記憶違いでしたか。
それとも
時期が過ぎていたのか分かりませんが!
まったくないですね。

セイヨウタンポポだけが花盛りでしたが。

わが家のシロバナタンポポの種子。
そのまま飛んで行ってしまうと
落ちたところは
育つ環境のないコンクリートの街!
飛ぶ寸前に保護して
ずっと貯めておきました。

ここの仲間といっしょにしてあげようと
持ってきたのですが
まく場所が探せません。



鶴見緑地の北西の角近く奇妙なオブジェ。
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乗馬苑のそばなので「馬」に関するもの?!

さらに鶴見緑地の西の縁を南に向かえば
「心斎橋」があります。
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明治 6 年(1873)ドイツ製。
最初に架けられたときが心斎橋でした。
そこ!長堀川を追い出されて
あちこちの川にたらい回しにされ
5 度目のご奉公。

すごい!
お女郎なら
4 度の住み替えをすれば大年増。
そろそろ!こもを携えて
柳の下に立つところなのに
初めと変わらぬ
凛(りん)として妖しいいでたち。

煙と匂いが漂うキャンプ場と
バーベキュー場の中を通ります。
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思い出しました。
以前に気仙沼のたんぽぽを
ここに探しにきました。(拙ブログ 2011/05/05

そのときすでに
セイヨウタンポポだらけでしたが。



南側は花博通りと呼ばれる大きな車道。
なんの面白いものも見つからず
中央口に帰ってきました。

昼どきを過ぎています。
「餃子の王将」があります。
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餃子の王将は
基本メニューは共通ですが
ランチとか定食とかは
各店舗独自のものが多いような。

やたら高い価格を設定している
店舗もありますが。

焼肉セット 550 円?!
ここは私にはよさそうですね。

税抜き価格でした!はは。
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唐古・鍵遺跡 道の駅 史跡公園オープン [いわなが姫の丑の刻参り]

奈良県田原本町で「道の駅」の
「レスティ唐古・鍵(からこ・かぎ)」が
オープン(2018/04/20)しています。
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こんな寂しい!いや!失礼!
静かな里に大勢の人がつめかけています。

とりあえず!売り切れないうちに
地の野菜と思(おぼ)しきものを買います。
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全部で 350 円(税抜き)!安い!(ような)

人ごみをかき分けて 2 階の
「からこカフェ」に行き!腹ごしらえ。

一番安そうな「からこドッグ」を。
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380 円(税抜き)?!
高い!(ような)
それにどこが
「からこ(唐古)」の「ドッグ」なの!?



道の駅の前にピカピカの石碑があります。
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「国史跡 唐古・鍵遺跡史跡公園」ですか。
「跡」がみっつも!?
こんな重畳表現!小学校の作文なら
いい点を採れないぞ!たぶん。
ま!お経や音楽の詞なら可?!
トランス状態になれるのかも。

ともかくここは 3 日前(2018/04/17)に
完成したばかりらしい。

新しい建てものは「遺構展示情報館」!
大型建てもの群の柱跡の発掘時の復元!?
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国史跡 唐古・鍵遺跡に。
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広大ですね。
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向こうに復元された楼閣が見えます。
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この楼閣は以前にも見かけましたが
この周囲はくすんだ(失礼!)田んぼか
空地だったような。
全然印象がなかったのですが。

楼閣のある唐古池を
中心に(北側をのぞいて)整備したのかな。
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広範囲に芝生を貼ったようです。



南東には「弥生の林」を
再生させようと試みていますが。
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「弥生」ですか。
照葉樹林のカシとかブナとかトチとかの
採集生活は縄文時代じゃないのですか。

この遺跡は国道建設の資材に
唐古池の土を採ることから
発掘が始まったとか。
昭和 11 年(1936)のこと。

掘れば出るは!出るは!
弥生文化がいっぱい。

同じように大きな遺跡の
数キロ離れた橿原遺跡が縄文時代のもの。
その後にこちらに文化の中心が
移ったのかと思っていたのですが。

「唐古・鍵」も「橿原」も
縄文時代から弥生時代
さらに古墳時代を経て奈良時代!
一部は近世まで
積み重なっている遺跡らしい。

そもそも弥生時代はいつごろ?!
大昔!ガッコーで
紀元前 5 世紀くらいから始まったと
聞いたような。

最近!紀元前 10 世紀には
日本に稲があったとかいわれています。
稲作をしていたのが
弥生人の定義じゃないんですか。

「唐古・鍵」から
ほぼ整った人骨も出ていたのですね。
復顔した 2,400 年前の比較的若い男。
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これひとつで弥生人の特徴を
論じることは無謀でしょうけど
体格がよくて
大陸風な(?)ところが弥生人だそうな。

人類も文化も辺境からやってくるような。
後からやってくるものが
古いものを駆逐して行きます。

先に出たネアンデルタール人も
北京原人も絶滅しています。
神武天皇も辺境からきて
行く先々で片っ端から
先住者を皆殺しにしています。

弥生人は縄文人を絶滅させ
古墳人が弥生人を殺してしまい
今の古事記・日本書紀の主役が
古墳人を壊滅してしまったのでしょうか。



楼閣をよく見ると面白い形をしています。
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ホントにこの姿のものだったの?!

古事記ではニニギノミコトが
高天原から降りてきたのは
葦原中国(あしはらなかつくに)ですね。

豊葦原水穂国
(とよあしはらのみずほのくに)とも。

稲作の国に天孫降臨したのでしょうね。

もしそうなら
弥生時代の記憶を引き継いでいますね。
古事記の日本は
弥生時代から始まっているような。

とすると!弥生人も古墳人も
その前の縄文人も
人種としてはおなじで
文化だけが襲来!
変遷し席巻しているのですか。



唐古池の東側に
5 本の環濠が復元されていました。
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2,000 年前のもの?!
そんなに古いのですか。

下手の考え休むに似たり。
全然分からん。



(古事記/福永武彦訳/)
(末永雅雄他著/神話と考古学の間/)参照
(敬称略)
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