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おかまの日に釜めし にごり酒 [七面鳥六目半ごはん]

4 月 4 日は「おかまの日」でしたか。

その昔!カルーセル麻紀が
3 月 3 日の女の子の節句と
5 月 5 日の男の子の節句の間なので
そういっていたとの記憶があるのですが。

もっとも「おかまの日」については
あちこちでいい出しっぺだの
嚆矢(こうし)だの
元祖だのと
勝手な主張がかまびすしいのですが
そんなに大昔から
いわれていたこともないようです。

しかしですね!
「おかまの日」なんてとんでもない!
日本には 4 月 3 日または 4 日に
お雛さまを飾る
桃の節句のところが多いのでは。



先の大戦が終結した後の
昭和 22 年(1947)4 月 3 日の
高松宮(大正天皇第3皇子)の日記に

「アメリカ赤十字関係(約 40 人らしい)
「オ雛様ヲ見セル

とあります。

翌日 4 日にも間組の数人に
「オ雛様ヲ見セニ招ク
と記述されています。

皇族だって
4 月の 3、4 日に
お雛さまを飾っているのですよ。

宮家は東京に行っても
京都の風習を継承していたのでしょうか。

皇族はともかく
京都の庶民はどうでしょう。
大正から昭和にかけての
「聞き書き」を見ても
桃の節句は 4 月 3 日または 4 日。

都の近郊から
山城!丹波!丹後!みなおなじですね。



日本の行事に多大な影響を与えている
梁(502 ~ 557)の時代の荊楚歳時記には
3 月 3 日は
「流杯曲水の飲」のことばかり。

桃の花と水のもとで行えば
「歳穢(さいあい)をのぞく」とも
書いてありますけどね。
桃ですかね!やっぱり。



標準語の普及とともに
桃の節句も新暦の 3 月 3 日にすます
簡便な習慣に移行している昨今。

これはおかしい。
3 月 3 日には桃の花が咲きません。

旧暦といってもねぇ。
今年の旧暦 3 月 3 日は
新暦では 4 月 18 日ですか。
そのころには
桃の花は散っていてもうありませんよ。

どうすりゃいいの?!
どうでもいいのかも。
結局「おかまの日」でもいいですか。



とにかく「釜めし」を炊きます。
「おかまの日」に!はは。

偶然ですが「釜めしの素」があったから。

いつの間にか山椒の木に
新葉がいっぱい。
今ならたくさん食べられます。

山椒の葉を敷いて「釜めし」を盛ります。
釜に入ってない釜めし。はは。
blog釜めし.jpg

山椒には
マヨネーズと醤油を振って食べましたが。
柔らかくておいしい。



庶民が雛飾りをするのは
文化が爛熟(らんじゅく)した
江戸も末期かと勝手思っていたのですが。

「半兵衛雛のころから心がけ

なんて川柳がありました。

半兵衛とは近松門左衛門作の
「心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)」で
情死した男?!

浄瑠璃ができたのは享保年間でしょうけど
川柳は明和 2 年(1765)刊行の
誹風柳多留の初篇にあるようですが。

そのころには庶民の間にも
「雛飾り」は一般的だったのでしょうか。

いや!それ以前。

「草の戸も住替る代ぞひなの家
(くさのとも すみかわるだいぞ ひなのいえ)

「雛飾り」(たぶん?)を詠んだ
芭蕉の句もあります。
元禄 2 年(1689)に書き留めています。

あ!?
さらにその前の延宝 6 年(1678)にも
内裏雛人形の句を作っていますね。



下手な考え休むに似たり!
なんだかよく分からなくなった
「おかまの日」です。

白酒の代わりに
菊正宗のにごり酒を飲み過ぎました。
支離滅裂!誤字脱字!ご容赦あれ。

孤閨(こけい)にひと声吠えて!
寝ますだ。

がおぉぉ~っ!


(高松宮宣仁親王著/高松宮日記/)
(農文協/聞き書 京都の食事/)
(宗懍著/荊楚歳時記/守屋美都雄訳注/)参照
(敬称略)
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