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淀川にワンドあり [わが街・大阪ブギウギ]

大阪市の端っこ
守口市に接しているあたりに
「太子橋」という地名があります。

太子とは聖徳太子のことでしょうけど
この周辺は「豊里」だの「大宮」だの
聖徳太子に関係ありそうな地名ばかり。

「太子橋」を渡ったことがあったやら。

よく分からないまま淀川左岸。
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豊里大橋があります。

河川敷では早朝から
球を蹴っている男女の若者たち。
ご苦労なことです。

スポーツはするのも見るのも嫌いです。
運動能力が皆無なので競えば負けるから。

体力で劣っているのなら
勉学で人に勝て!と
幼い日に母がいっていました。
それから母とはこのはなしはしません。

母は宇宙人かも。
そんな荒唐無稽なことがいえるなんて。

努力してもムダなんですよ。
頭の中をカラカラと
年中木枯らしがすさんでいるものには。
頭の構造のいい人が努力すれば
人に勝てますけどね。

なんにも持ち合わせのないものは
なにもしないほうが省エネで平和なんです。
ま!平和に見えても
精神は病んでいますけどね。



朝食代わりにあんぱんを食べます。

ときどき!あんぱんを食べて
毎日!ウイスキーを飲めばしあわせです。

横に蝶がきました。
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飛び立つまで座っていますか。

足元を黒い毛虫が
つぎつぎ過(よぎ)るのですが
蝶はなかなか飛び立ちません。

あ!ヒバリが降りてきました。
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いや!ムクドリでしたか。

カメラを向けたら
鳥は逃げてしまいましたが
蝶は動きません。

しびれを切らして立ち上がれば
五月雨萩(さみだれはぎ)が咲いています。
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専門家のいう
サミダレハギかどうか知りませんが。

「淀川」!
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なかなかの書じゃないですか。
銘はないけど。



下って行けばワンドがあります。
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え~と!だれでしたやら。
あ!そうそう!
オランダ人のデ・レーケでしたね。

かれの監督で淀川に
粗朶沈床工(そだちんしょうこう)という
水制を施工したのですね。

木の枝や草のマットを作り
いくつも重ねたり!石を置いたりして
岸から川の中心に向かって
細長い半島(!)を造ったのです。

水を中ほどに集めて
蒸気船の航路を確保したかったのですね。
明治時代のはなしです。

16 世紀の閑吟集にあります。

「お堰き候とも堰かれ候まじや
「淀川の浅き瀬にこそ柵もあれ

(おせきそろとも せかれそろまじや)
(よどがわの あさきせにこそ しがらみもあれ)

ふたりの仲をさこうと画策されても
さかれませんよ
淀川の浅い瀬には
しがらみはあるでしょうけど
と!意味は平易に分かる歌ですが。

淀川の浅い瀬というより
洪水時には暴れるものの
ふだんの淀川の水位は
あまりなかったのでは。

そこでデ・レーケの登場になったのでは。

その半島(?)と半島の間が池になり
それをワンドと呼んでいます。

ワンドは平和の象徴!?
洪水が通れば川になりますが。



あれ!最近修築された水制 34 号は
石積みじゃないですか。
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下流の 35 号も。
粗朶沈床工じゃないような。
blog48淀川.jpg

いや!やっぱり下には
粗朶があるんですね。(クリックしてみて↓)
blog49淀川.jpg

基本的には
デ・レーケの時代と変わりませんか。
すごいことですね。

ワンドには魚種が豊富。

ちゃんと行儀よく
仲よしのおじさんが
釣るのを待っている鳥もいます。
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タナゴ釣りの人もいました。
小さな小さな仕掛けです。

「イタセンパラは釣れますか?

「釣ったらいけませんよ!天然記念物は」
「ま!まず釣れませんけどね」

つぎつぎに釣れているじゃぁないですか。

「外来種です!」
「タイリクバラタナゴばかりかな」



歩き始めたときには
クローバーの花の匂いばかりでしたが
なんですか!
百花繚乱(!)にむせ返ります。
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外来種ばかりですがね。

赤川鉄橋。
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併設されていた風爽やかな歩道は
今は通行禁止。

イタセンパラの発見した地。
blog53淀川.jpg

石碑がありますが
ここにワンドがあったのじゃないの?!
どこへ行ったの。



ん!?
太子橋を探しにきたのでした!
どこにあるのでしょうか。
暑い。



(閑吟集/浅野建二校注/)参照
(敬称略)
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