河内県庁を訪ねて八尾戎 八日えびす [いわなが姫の丑の刻参り]
ふしぎに要求があるので!
群れて行動を嫌う私がしぶしぶ
かりそめのリーダーになっている
寄せ集めのハイキングには
清楚なおね~さんは少ないけど
ただ発情しているだけの女性も少々。
大金持ちから!
たぶんその日暮らしの人まで!
その多様さはヒト動物園にいるようです。
どんなルートでここまでたどり着いたのか
ふと!ふしぎに思うことも。
各分野に造詣が深い人も多く
よく持論を展開されるのですが
「ああ!知っています」とか
「それには異論があるのでは」とかいえば
生意気ととられるのじゃないかと思ったり。
さりとて「へ~!」
「は~!そうですか」ばかり答えたら
延々と退屈な講義(?)を
聞くはめになるし。
いずれにしろ
人嫌いは対人恐怖症のまま。
ある日!歴史好きな人が
廃藩置県後の
大阪府の錯綜状態を教えてくれたのですが
旧河内国と河内県の関係に
錯誤を感じましたが!黙って拝聴しました。
今日は急きょ!近鉄八尾駅で下車。
「河内県庁」を訪ねます。
もちろん!県庁跡ですが。
駅前に立てば初めて見たような光景。
ここには大昔から
年に 1 度以上きているはずなんですが。
思い出せません。
頭の中!ホワイトアウト。
西も東も分かりません!
歩きます。
プリズムホールにあたりました。
頭の中の南北が逆転しています。
線路を越えて逆方向に歩いてみます。
でも!ホワイトアウトは変わりません。
幅員のない路地に迷い込めば
しゃれた祠(ほこら)のお地蔵さま。
「南無大師遍照金剛」?
弘法大師ですかぁ!
初詣のときは過ぎたのか静かな八尾神社。
本殿の前!左右に紅梅と白梅がきれい。
あ!造花ですか。
よくできていますね。
ここは!?
記憶にあります。
なん度もきています。
「河内音頭」の碑があります。
常光寺ですね。
しかし!
ここにどこからきていたのでしょう。
常光寺から暗いアーケード街へ。
とりあえず進めば
つきあたりに香具師(てきや)の露店が。
八尾の八日戎ですか。
西宮神社や今宮神社の
十日戎(とおかえびす)と
おなじような縁日です。
「八日戎」はどう読むのでしょう。
ちなみに近所の山阪神社の「八日戎」は
「すえひろえびす」といっています。
境内に流れるお囃子は
「やおえびす」とばかりいっているような。
この日(2019/01/07)は宵宮の日中!
人出はまだ少ないですね。
左の建てものに「八尾戎神社」
右に「八尾天満宮」と書かれています。
八尾天満宮の前に落書き!?
いや!失礼!願いことを書く?描く!?
ボードがありました。
面白い。
八尾天満宮に接しているふしぎな建てもの!
寺院ですか!?
大信寺!
八尾御坊ですね。
鐘楼もユニーク。
ここですね!河内県庁があったのは。
明治新政府は県庁を
特に寺社領だったところには
御坊に置いていたような!特に関西では。
浄土真宗の寺院は
大きな建てものだったのでしょう。
境内の梅林に
「河内県庁跡」の碑がありました。
明治 2 年(1869)1 月 20 日河内県誕生。
同 4 月 22 日にここに役所が移され
同 8 月 2 日河内県は堺県に吸収され消滅。
8 か月に満たない命の河内県でした。
手元の年表をめくると
明治 2 年 1 月 20 日といえば
薩長土肥が
「版籍奉還」の上意を提出した日。
諸藩もその日に合意したとは!?
私には考えられませんが。
さらに年表には
廃藩置県が
明治 4 年 7 月 14 日(1871/8/29)!?
頭の中がまた違うホワイトアウト!
整合性を見出せません。
やめます。
もし!また!わがグループの有識者に
議論を持ちかけられても
やっぱり!「ごもっとも!」
「お説ごもっとも!」と
うなづくだけにしましょう。
忙しい身(ウソついてすみません)
とぼとぼ引き返せば
午後の 1 時はとうに過ぎているのに
たいそう忙しそうな喫茶店が。
おいしいのでしょうか。
「ライラック」に入店。
たくさんのオムライスの
メニューがありましたが
「豚肉と揚げ茄子の味噌炒め」を
指が勝手に(?)指してしまいました。
結果!私好み!おかずがいっぱい。
ごはんが進みます。
ごはんとスープが
「お代わり可!」だったようですが
教えてくれないから!しませんでした。
それでも損した気分にはなりませんでした。
税込み 750 円。
群れて行動を嫌う私がしぶしぶ
かりそめのリーダーになっている
寄せ集めのハイキングには
清楚なおね~さんは少ないけど
ただ発情しているだけの女性も少々。
大金持ちから!
たぶんその日暮らしの人まで!
その多様さはヒト動物園にいるようです。
どんなルートでここまでたどり着いたのか
ふと!ふしぎに思うことも。
各分野に造詣が深い人も多く
よく持論を展開されるのですが
「ああ!知っています」とか
「それには異論があるのでは」とかいえば
生意気ととられるのじゃないかと思ったり。
さりとて「へ~!」
「は~!そうですか」ばかり答えたら
延々と退屈な講義(?)を
聞くはめになるし。
いずれにしろ
人嫌いは対人恐怖症のまま。
ある日!歴史好きな人が
廃藩置県後の
大阪府の錯綜状態を教えてくれたのですが
旧河内国と河内県の関係に
錯誤を感じましたが!黙って拝聴しました。
今日は急きょ!近鉄八尾駅で下車。
「河内県庁」を訪ねます。
もちろん!県庁跡ですが。
駅前に立てば初めて見たような光景。
ここには大昔から
年に 1 度以上きているはずなんですが。
思い出せません。
頭の中!ホワイトアウト。
西も東も分かりません!
歩きます。
プリズムホールにあたりました。
頭の中の南北が逆転しています。
線路を越えて逆方向に歩いてみます。
でも!ホワイトアウトは変わりません。
幅員のない路地に迷い込めば
しゃれた祠(ほこら)のお地蔵さま。
「南無大師遍照金剛」?
弘法大師ですかぁ!
初詣のときは過ぎたのか静かな八尾神社。
本殿の前!左右に紅梅と白梅がきれい。
あ!造花ですか。
よくできていますね。
ここは!?
記憶にあります。
なん度もきています。
「河内音頭」の碑があります。
常光寺ですね。
しかし!
ここにどこからきていたのでしょう。
常光寺から暗いアーケード街へ。
とりあえず進めば
つきあたりに香具師(てきや)の露店が。
八尾の八日戎ですか。
西宮神社や今宮神社の
十日戎(とおかえびす)と
おなじような縁日です。
「八日戎」はどう読むのでしょう。
ちなみに近所の山阪神社の「八日戎」は
「すえひろえびす」といっています。
境内に流れるお囃子は
「やおえびす」とばかりいっているような。
この日(2019/01/07)は宵宮の日中!
人出はまだ少ないですね。
左の建てものに「八尾戎神社」
右に「八尾天満宮」と書かれています。
八尾天満宮の前に落書き!?
いや!失礼!願いことを書く?描く!?
ボードがありました。
面白い。
八尾天満宮に接しているふしぎな建てもの!
寺院ですか!?
大信寺!
八尾御坊ですね。
鐘楼もユニーク。
ここですね!河内県庁があったのは。
明治新政府は県庁を
特に寺社領だったところには
御坊に置いていたような!特に関西では。
浄土真宗の寺院は
大きな建てものだったのでしょう。
境内の梅林に
「河内県庁跡」の碑がありました。
明治 2 年(1869)1 月 20 日河内県誕生。
同 4 月 22 日にここに役所が移され
同 8 月 2 日河内県は堺県に吸収され消滅。
8 か月に満たない命の河内県でした。
手元の年表をめくると
明治 2 年 1 月 20 日といえば
薩長土肥が
「版籍奉還」の上意を提出した日。
諸藩もその日に合意したとは!?
私には考えられませんが。
さらに年表には
廃藩置県が
明治 4 年 7 月 14 日(1871/8/29)!?
頭の中がまた違うホワイトアウト!
整合性を見出せません。
やめます。
もし!また!わがグループの有識者に
議論を持ちかけられても
やっぱり!「ごもっとも!」
「お説ごもっとも!」と
うなづくだけにしましょう。
忙しい身(ウソついてすみません)
とぼとぼ引き返せば
午後の 1 時はとうに過ぎているのに
たいそう忙しそうな喫茶店が。
おいしいのでしょうか。
「ライラック」に入店。
たくさんのオムライスの
メニューがありましたが
「豚肉と揚げ茄子の味噌炒め」を
指が勝手に(?)指してしまいました。
結果!私好み!おかずがいっぱい。
ごはんが進みます。
ごはんとスープが
「お代わり可!」だったようですが
教えてくれないから!しませんでした。
それでも損した気分にはなりませんでした。
税込み 750 円。