暗峠 芭蕉最期の旅路 [みんなで歩けばこわくない]
元禄 7 年(1694)51 歳の松尾芭蕉は忙しい。
江戸を出て伊賀上野へ帰郷。
さらに大津!京!嵯峨へ。
ついで膳所!京!
そして盂蘭盆会(うらぼんえ)に
伊賀上野にもどります。
数ならぬ 身となおもいそ 玉祭り
そのとき!寿貞尼にささげた句らしい。
寿貞の記録はほとんどないそうですが
芭蕉よりは若い!妻のような女性らしい。
芭蕉の留守中に
江戸の芭蕉庵で死んだのですね。
「すごい!」
「感動しましたか。
「気まま(?)に放浪する芭蕉に」
「寿貞の死を知らせる手紙が届く」
「300 年前の日本はすごい!」
そちらですか。
秋 9 月 8 日!またわらじを履き奈良に一泊。
翌日!大坂へ向けて
ここ暗峠(くらがりとうげ)を越えました。
今日の月例の仮面(名乗らなくてもいい!)
寄せ集めハイキングは
芭蕉最期の旅路をしのびます。
竜田川を渡りのぼりにかかります。
車幅制限が 1.3m というせまい道ですが
今は国道(308)に指定されています。
峠越えというと
鞍馬の九十九(つづら)折りのような道を
想起しますが
ここは珍しくも直線的な道です。
急勾配ですけどね。
「幅 1.8m のロングボディの車」の
「通行不可」の標識もあります。
「おなか!すいたぁ!」
まだ 1 時間ものぼっていないでしょ。
日曜・祝日のみ開店している
古民家(たぶん!)利用のうどんやさんかな。
あ!忘れていました。
ま!いっても
ほとんど聞かないでしょうけど
今のぼっている奈良側には
石仏がたくさんあるのですけどね。
棚田の風景がつづきます。
冬に青々としているのは麦畑。
峠です。
石畳(いしだたみ)の国道です。
江戸時代に石を敷いたとか。
横道に入り
なるかわ園地(大阪府民の森)に行きます。
寒いので「森のレストハウス」でランチ。
午後は再び暗峠にもどり大阪側をくだります。
このコースで一番幅員のない場所です。
母!娘!孫娘の 3 人が並んだら
すれすれに通れるほどの狭さです。
「この中でだれが!母やねん?!」
「あ~ん!?」
「じゃんけんで決めてね。
今日の女性陣の年齢差は 30 程でしょうけど
この 3 人がトップ(高齢の上位)3 です。
間違いなく。
大阪側の棚田は荒れているような。
「見て!見て!
温度計を見ていたら
「1」度から「0」度に替わりました!
あら!?私を残してみんなくだっています。
「弘法の水」で
しんがりの「母」組に追いつきましたが。
奈良側より大阪側のほうが急勾配。
私は!急坂のくだりは
膝が泣いて歩きにくいのですが
みなさん!勢いづいて速いこと!
「芭蕉の句碑の前で待っていて~!
「あら!みなさんは?!
「先に行きました」
「だれかの長いエロちっくな説明を」
「聞くのがイヤといっていました」
「むむ!
「じゃ!残っている人に
「“ 菊の香に くらがり登る 節句かな ”の
「解説と芭蕉の“ かるみ ”の私見を。
「いいです!説明板を読みますから」
「むむ!
暗(くらがり)越えはおしまいにして
枚岡神社の境内に入ります。
姥(うば)が池です。
「ここで待っていてといったのに!
「みんなとまらず行ったよ!」
「私だけ!逃げ遅れたのよ」
むむ、、、。
解説!省略。
枚岡神社です。
ここでは
奈良の春日大社の若宮誕生までの
はなしを聞いてもらいやしょう。
みんな!駅まで行ってしまいました。
「早く帰って飲みたいんだって」
「私だけ!また逃げ遅れたの!え~ん!」
「泣くんじゃありません!不細工な顔で。
「あ!いや!
「泣くと不細工になるといっただけですよ。
愛する寿貞の死から 4 か月後に
大坂(大阪)の今の南御堂の前あたりで
芭蕉は逝きました。
ハイキングはおしまい。
南御堂まで「逃げ遅れた人」と
電車で行きましょうか。
(芭蕉年譜は久富哲雄編参照)
(敬称略)
江戸を出て伊賀上野へ帰郷。
さらに大津!京!嵯峨へ。
ついで膳所!京!
そして盂蘭盆会(うらぼんえ)に
伊賀上野にもどります。
数ならぬ 身となおもいそ 玉祭り
そのとき!寿貞尼にささげた句らしい。
寿貞の記録はほとんどないそうですが
芭蕉よりは若い!妻のような女性らしい。
芭蕉の留守中に
江戸の芭蕉庵で死んだのですね。
「すごい!」
「感動しましたか。
「気まま(?)に放浪する芭蕉に」
「寿貞の死を知らせる手紙が届く」
「300 年前の日本はすごい!」
そちらですか。
秋 9 月 8 日!またわらじを履き奈良に一泊。
翌日!大坂へ向けて
ここ暗峠(くらがりとうげ)を越えました。
今日の月例の仮面(名乗らなくてもいい!)
寄せ集めハイキングは
芭蕉最期の旅路をしのびます。
竜田川を渡りのぼりにかかります。
車幅制限が 1.3m というせまい道ですが
今は国道(308)に指定されています。
峠越えというと
鞍馬の九十九(つづら)折りのような道を
想起しますが
ここは珍しくも直線的な道です。
急勾配ですけどね。
「幅 1.8m のロングボディの車」の
「通行不可」の標識もあります。
「おなか!すいたぁ!」
まだ 1 時間ものぼっていないでしょ。
日曜・祝日のみ開店している
古民家(たぶん!)利用のうどんやさんかな。
あ!忘れていました。
ま!いっても
ほとんど聞かないでしょうけど
今のぼっている奈良側には
石仏がたくさんあるのですけどね。
棚田の風景がつづきます。
冬に青々としているのは麦畑。
峠です。
石畳(いしだたみ)の国道です。
江戸時代に石を敷いたとか。
横道に入り
なるかわ園地(大阪府民の森)に行きます。
寒いので「森のレストハウス」でランチ。
午後は再び暗峠にもどり大阪側をくだります。
このコースで一番幅員のない場所です。
母!娘!孫娘の 3 人が並んだら
すれすれに通れるほどの狭さです。
「この中でだれが!母やねん?!」
「あ~ん!?」
「じゃんけんで決めてね。
今日の女性陣の年齢差は 30 程でしょうけど
この 3 人がトップ(高齢の上位)3 です。
間違いなく。
大阪側の棚田は荒れているような。
「見て!見て!
温度計を見ていたら
「1」度から「0」度に替わりました!
あら!?私を残してみんなくだっています。
「弘法の水」で
しんがりの「母」組に追いつきましたが。
奈良側より大阪側のほうが急勾配。
私は!急坂のくだりは
膝が泣いて歩きにくいのですが
みなさん!勢いづいて速いこと!
「芭蕉の句碑の前で待っていて~!
「あら!みなさんは?!
「先に行きました」
「だれかの長いエロちっくな説明を」
「聞くのがイヤといっていました」
「むむ!
「じゃ!残っている人に
「“ 菊の香に くらがり登る 節句かな ”の
「解説と芭蕉の“ かるみ ”の私見を。
「いいです!説明板を読みますから」
「むむ!
暗(くらがり)越えはおしまいにして
枚岡神社の境内に入ります。
姥(うば)が池です。
「ここで待っていてといったのに!
「みんなとまらず行ったよ!」
「私だけ!逃げ遅れたのよ」
むむ、、、。
解説!省略。
枚岡神社です。
ここでは
奈良の春日大社の若宮誕生までの
はなしを聞いてもらいやしょう。
みんな!駅まで行ってしまいました。
「早く帰って飲みたいんだって」
「私だけ!また逃げ遅れたの!え~ん!」
「泣くんじゃありません!不細工な顔で。
「あ!いや!
「泣くと不細工になるといっただけですよ。
愛する寿貞の死から 4 か月後に
大坂(大阪)の今の南御堂の前あたりで
芭蕉は逝きました。
ハイキングはおしまい。
南御堂まで「逃げ遅れた人」と
電車で行きましょうか。
(芭蕉年譜は久富哲雄編参照)
(敬称略)