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高野山 人は逝く [町道!街道!眠り未だ足らず]

森忠政の大きな墓がありました。
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森忠政は森蘭丸の弟ですね。

信長公記に
本能寺の変のとき
「御殿の内にて討死の衆
「森乱!森力!森坊!兄弟三人
とありますが
末弟の森千(森仙?)も
信長の小姓だったのに
そのときには
本能寺にいなかったのですね。

ちなみに少しだけ名前を解説すれば
森乱は森乱丸(蘭丸)三男長定
森力は森力丸!五男長氏
森坊は森坊丸!四男長隆
森千は森千丸!六男!後の森忠政のこと。

森忠政は
5 人の兄が早世したので家督をつぎ
信長の死後は秀吉!さらに家康の元で働き
18 万石の大大名で一期を終えています。

「運命」を思うと気が遠くなります。
ひとりにひとつの運命!
考えていたら日が暮れるので
もう考えずに歩きましょう。はは。



高野山の奥の院へ
一の橋から正(!)参道を進みます。
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空海以降 1,200 年の
私の手元の日本史の年表にある男の墓は
みなあるのじゃないかと思えるほどの墓群。
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10 万基とも!
20 万基とも!
たぶんそれ以上。
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だれを供養しているものやら。
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死んだ人はなにも思わないですけどね。
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供養したものの気持ちだけ。

織田信長の墓所。
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森忠政よりすごく小さい。
それがなんだといえば!なんだですが。

無縁供養塔。
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ここにも。
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集めて!供養になりますか。
あ!供養した人ももういませんからね。



ふと!思いついて
金剛三昧院(こんごうさんまいいん)に
向かいます。

幼稚園のころ!祖母の横で正座して
般若心経を唱えていましたね。
賢い幼児です!
自分でいって!ちょっと恥ずかしい。

わが家の檀寺の本山が
「こんさん」と聞きました。
金剛三昧院のことのような。

高野山に幾度となくきているのに
訪れた記憶がおぼろ。
長じては宗教にはバチあたりになり
般若心経も忘れていますからね。

ああ!ここですか。
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なんとなく俗っぽい。すみません。
谷底にあったような記憶は
まったく間違いでしたね。
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門前でおいとまします。
もう!入山する身分じゃないです。

胡麻豆腐を食べに行きます。
この近くの濱田屋には
なん度かきていました。
どうせ!だれかと色気づいて。はは。

寄れば!この日は休日。
もう!いくたびの「恋」も消えて久しい。



金剛峯寺から蛇腹路を歩いて壇上伽藍へ。

小さいけど足をとめてしまう
西行ゆかりの草庵の三昧堂。
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堂前の西行桜のつぼみはまだ固い。

根本大塔を過ぎます。
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六角経蔵。
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平安時代後期(1159)建立時には
経蔵全体を回していたようですが
なん度かの災禍の後に建て替えられて
今は基壇の一部が回ります。

しかし!結構重い。

その昔!
へそ曲がりの職人ばかりのグループの
引率を依頼されてきたときには
おじさんたちが張り切って
勢いよく回して安寧を信じていましたが。

怪しげなおばさんグループも
案内したような。

みなさん!たぶん!
(余計なおせっかいですが)
現世利益もなく
早く逝ってしまいました。

私は薄情な人生!
どの人とも一瞬のつきあいだけ。
風のうわさを信じれば
ここで回した人!
ほぼみなさん生きていませんね。

考えても仕方がないので行きます。



町の果て(?)
大門(だいもん)に着きましたが。
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春浅く風が冷たい。

立ち止まらず
なにもない車道をとぼとぼ歩きます。
が!こんなにも長かったですか。

高野山駅に帰りました。
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すごく立派な駅舎になっているような。

ケーブルカーの
ファイルとバッジをもらいました。
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高野山駅・極楽橋駅間の
ケーブルカーの車両が新しくなって
今月(2019/03)デビューしていました。
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人は逝く 春 供養する人も逝く  ほっ



(太田牛一著/信長公記/桑田忠親校注)参照
(敬称略)
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