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新築尼崎城 幻の尼崎城 [いわなが姫の丑の刻参り]

尼崎城です。
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新築オープン(2019/03/29)時には
ごった返していましたが。
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わずか数日後なのに前からも
後ろから見てもさえぎる人はいません。
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石垣は新しく積みあげたもの!?
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なんという積み方!
コンクリート充填積み?!

城の内部に
私の興味があるものはありません。
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阪神電車が見えるくらい。
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江戸時代の人になりきり
写真を撮るほどはしゃぐ気もなく。
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10m ほどの大画面で勉強できますが。
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この映像の尼崎城の歴史は
大坂夏の陣で
豊臣家が滅んだ後から始まっています!?



「信長公記」によると
荒木村重が織田信長軍に追われて
伊丹有岡城から尼崎城に逃げ込んでいます。

信長の家臣だった太田牛一は
荒木村重に特別に配慮(?)したのか
大変多くのページを割いています。

それゆえパラパラとめくるだけの
阿呆には複雑すぎて
さっぱり理解ができず
私なりの解釈は少々乱暴ですが。

荒木村重は
家族が皆殺しされるのも構わず
尼崎城に逃げ
尼崎では家臣を犠牲にして
花隈(はなくま)城に逃げ
その城でも家来を討ち死にさせて
さらに逃げて
ひとり生き延びたとしか解釈していません。

戦乱がおさまった豊臣秀吉の時代には
自由都市・堺で
なにくわぬ顔で生きていたのでは。

思い出しました!
そのあたりの歴史を
尼崎市立文化財収蔵庫で
レクチャーを受けたことがあったような。

詳細は全然覚えていませんがね。

今一度!文化財収蔵庫に行きます。
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工事中!
仮事務所に行ってみたものの
相手にされませんでした。はは。



よく考えたら空にそびえる天守閣は
天正(1576)の安土城からですね。

荒木村重が
信長に反旗を翻したのもそのころ。

豊臣秀吉が倣(なら)い
さらに壮大に建築し始めたとしたら
村重の逃げ込んだ尼崎城に
大きな天守があるはずもありません。

すると!その城は
今の尼崎城ではなく
阪神・大物(だいもつ)駅近くの
平城がそうかも。

大物駅の南にある
大物主(おおものぬし)神社。
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尼崎古城はこのあたりにあったのかな。

大物駅の北に
「大物(だいもつ)くずれの戦跡碑」が。
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1531 年!ここで戦いがあったらしい。
このあたりに
大物城があったからでしょうか。



(太田牛一著/信長公記/桑田忠親校注/)参照
(敬称略)
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