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愛染まつり 2019 [わが街・大阪ブギウギ]

松屋町筋から谷町筋にあがります。

谷町筋は大阪市の背骨(!)です。
大阪城あたりから住吉大社まで
南北に上町台地という
高台が走っています。
その高台にできた道が谷町筋です。

その昔は!
だれも見た人は生きてはいない大昔は
上町台地から西は急に落ち込んでいて
その西はずっと向こうまで海でした。

海(!)から丘にあがります。

大江神社の石段が見えます。
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100 段はあります。ふぇ~!

大江神社の大江は
大きな入り江のことらしい。

その南に愛染坂があります。
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そんなに若くもないおね~さんが
自転車でのぼって行きました。
アシストがついた自転車ですが。

海(!)から上町台地にあがる坂は
たくさんありますが
愛染坂は比較的ゆるやかです。

大江神社に「夕陽岡」の碑があります。
このあたりの地名の
「ゆうひがおか」の元祖(?)です。

夕陽岡の碑のこちらに
茅(ち)の輪があります。
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昨日(2019/06/30)は
「茅の輪くぐり」をしたのですね。

タイガース神社(?)に行きませんか。
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にゃんともいいませんね。

狛犬ならぬ「こま虎」がいます。
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前の歴史がありそうな 2 頭も
「こま虎」かな。
早く社を建ててあげて。



大江神社の隣の愛染さん!
つまり愛染堂勝鬘院(しょうまんいん)の
夏まつりの季節です。

大阪市には「様」がないので
神も仏も隣のおじさんを呼ぶように
「さん」づけです。

「愛染さん」から
大阪の夏まつりが始まります。
神社も寺院もひっくるめて
最初のまつりです。

愛染さんの前の道。
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今年も昨年とおなじ(拙ブログ 2018/07/02
香具師(てきや)の露店がありません。

「あいぜんさんじゃ!ほ~えかご!」
「べっぴんさんじゃ!ほ~えかご!」の
「宝恵駕籠(ほえかご)」はあります。
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愛染娘もいます。
でも!
谷町筋のパレードは(拙ブログ 2016/07/01
なかったようです。

境内は「まつり」らしからぬ静かさ。
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繰り返し歌謡曲「旅の夜風」が流れています。
松竹映画の「愛染かつら」の主題歌ですね。

桂(かつら)の木と ノウゼンカズラの花!
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これを
「愛染かつら」と信じよ!というのですね。

そもそも「愛染かつら」の
原作者の川口松太郎は
信州の別所温泉の桂の木を見て
創作したといいますがね。

川口の頭の中には
ノウゼンカズラはまったくありません。

これは「愛染・かつら・かずら」に
なってしまいます。



本堂の下にいたいけな花。
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あら!顔をあげると
境内中に咲いています。
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踏まれそうなところにも。
実際!いくつか踏まれています。

墓地にはいっぱい!
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墓地の花でしたか。

戦前の法律では国宝だった多宝塔が
レース(!)をかぶっています。
修理中ですか。
ここで催行される
「夏越しの祓え大法要」はどうしたのかな。



谷町筋に出ると!なんだかさっぱり。
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街路樹には珍しい
多行松(たぎょうしょう)が
10 本はあったのですが!?

3 本!
しかも 1 本は半分欠けています。
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なにがあったのでしょう。



「ゆうひがおか」の名の
由来になった歌をのこした
藤原家隆の墓が保存されています。
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その家隆の
庵の跡にできたのが浄春寺だとか。
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古刹もなんだか破寺(やれでら)のよう。
なくなりそう。
失礼な発言!ごめんなさい。

あら!門前に「麻田剛立墓」とあります。

麻田剛立(1734 ~ 1799)は
ケプラーの第 3 法則とおなじ計算を
思いついた人?!

ケプラー(1571 ~ 1630)のほうが
150 年ばかり前に数式化していたのですが
鎖国の日本で
独自に計算したといわれています。

その墓所!
雑然として分かりません。

なんの説明板もないところをみると
麻田はケプラーの著書を見ていた
可能性があるのかも。



オダサク(織田作之助)の
口縄坂(くちなわざか)の碑があります。
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口縄坂をくだります。
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下から見たら口縄(ヘビ)のようだと
いわれてきましたが。
はたして、、、。

降りると海!
ではなく今は松屋町筋。

なんのことはない!
あがっておりただけ。



(敬称略)
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