高野山 町石道 大門から矢立へ [野道!山道!恋はけもの道!]
高野山の総門です。
このお山では
大門(だいもん)と呼ばれています。
向かって左に
町石(ちょういし)があります。
高野山参詣の道しるべ。
「七町」とありますね。
たいていの町石は門のところが最終ですが。
大門をくぐったところに「六町石」が。
このお山ではさらにつづき
壇上伽藍・根本大塔が
終点(起点)になっています。
大門の前の車道の横
崖から落ちそうなところに
「八町石」が立っています。
「町石」ですから
1 町(およそ 109m)おきのはずなんですが
この狭い範囲に
チャールストンを踊るように
左右にはねてありますね。
大門や参詣道が
開山時より移動しているのでしょうか。
それに近年に
幅員のある道ができて分断されたり。
町石道はここからはるか下山
慈尊院までつづいています。
慈尊院のところは「百八十町石」!
ということは町石道はざっと 20km !
南海電鉄などでもらうリーフレットや
マップによると 21km とか 22km とか
少し数字が違うのですが
ま!そのくらいでしょう。
慈尊院のほうにくだります。
大昔!慈尊院から根本大塔まで
歩いたことがあります。
全路!ぶっ通しでのぼったのは
その 1 度だけですが。
雪の舞う春分の日だったような。
疲れ切って!終わりの 1/3
国道と交差する矢立から大門までは
林間の足元の悪い道を
夢遊病者のようにのぼったような。
8 時間くらいかかり
春の日暮れが早く
泣きたくなりました。
記憶と違い!いい道じゃないですか!
九町石。
十町石。
十一町石。
十二町石。
十三町石。
十四町石。
くだりは快調に進められますね!はは。
十五町石。
十六町石。
十七町石。
十八町石。
十九町石。
二十町石。
ん!?
短い!
埋もれているの!?折れているの?!
これ!二十一町石ですよね!きっと。
廿二町石。
「廿」は漢字ですか。
廿三町石。
廿四町石。
廿五町石。
廿六町石。
廿七町石。
鏡石。
どの岩が鏡のようになっているの!?
廿八町石。
廿九町石。
三十町石。
三十一町石。
三十二町石。
巡礼風のおじさんとすれ違います。
三十三町石。
三十四町石。
三十五町石。
ん!?
大門につづく車道とぶつかり
紛れてしまいました。
展望台へのぼり休憩。
山の向こうに大阪湾が見えるそうな。
ぬるくなった水を飲んでいたら
突然!足の甲やかかとや!
ふくらはぎや腰やらが
悲鳴をあげ始めました。
連日!酷使していますからね。
くだりだとナメてかかっていたのかも。
この参詣道は撤退するのが大変。
逃げるときには
1 度谷へくだり
向こうの山の中腹を走る
南海電車まで行かねばなりません。
行くも!もどるも!やめるも!とどまるも
みんな地獄!大げさにいえば。
ともかく前に進みましょうか。
車道脇の町石は飛ばします。
にぎやかな木の根っこ。
どれかが「お助け地蔵」らしい!?
どうかお守りください。
四十町石から再スタート。
四十一町石。
あれ!?
42、43 は足の痛みに
うつむいて通り過ぎています。
四十四町石。
新旧?!
ふたつありますが。
四十五町石。
四十六町石。
四十七町石。
48、49 はなぜか写していません。
心がゆるんでいます。
五十町石。
五十一町石。
五十二町石。
五十三町石もふたつ。
押上石(おしあげいし)ですか。
弘法大師が押し上げたそうな。
ホントーです。
大師の手の跡があるそうな。
五十四町石。
?!
袈裟掛石(けさがけいし)です。
五十五町石。
56 は撮影忘れ。
五十七町石。
五十八町石。
五十九町石の後ろにはお地蔵さま。
信号のある車道に出ました。
「矢立」の十字路ですね。
車道に六十町石が立っています。
矢立茶屋の名物「やきもち」で
ランチにします。
右の「よもぎもち」もおなじ値段!
税込み 120 円。
鶏卵のSほどの重さもない餅ですが
これで十分?!
急に疲れて、、、。
大門からここまで 6km もないくだり道なのに
2 時間もかかっています。
この体調!撤退したほうが無難ですね。
町石道から離れて谷底にくだります。
1 時間もあれば南海電鉄に行けるでしょう。
高野山ですね!高野槇がいっぱい。
渓流沿いはサワグルミかな。
いや!オニグルミですね。
実がたくさんついています。
マタタビの実が大きくなっています。
サルナシも。
ネジバナが!
なんだかなつかしい。
疲れを忘れさせてくれますね。
このお山では
大門(だいもん)と呼ばれています。
向かって左に
町石(ちょういし)があります。
高野山参詣の道しるべ。
「七町」とありますね。
たいていの町石は門のところが最終ですが。
大門をくぐったところに「六町石」が。
このお山ではさらにつづき
壇上伽藍・根本大塔が
終点(起点)になっています。
大門の前の車道の横
崖から落ちそうなところに
「八町石」が立っています。
「町石」ですから
1 町(およそ 109m)おきのはずなんですが
この狭い範囲に
チャールストンを踊るように
左右にはねてありますね。
大門や参詣道が
開山時より移動しているのでしょうか。
それに近年に
幅員のある道ができて分断されたり。
町石道はここからはるか下山
慈尊院までつづいています。
慈尊院のところは「百八十町石」!
ということは町石道はざっと 20km !
南海電鉄などでもらうリーフレットや
マップによると 21km とか 22km とか
少し数字が違うのですが
ま!そのくらいでしょう。
慈尊院のほうにくだります。
大昔!慈尊院から根本大塔まで
歩いたことがあります。
全路!ぶっ通しでのぼったのは
その 1 度だけですが。
雪の舞う春分の日だったような。
疲れ切って!終わりの 1/3
国道と交差する矢立から大門までは
林間の足元の悪い道を
夢遊病者のようにのぼったような。
8 時間くらいかかり
春の日暮れが早く
泣きたくなりました。
記憶と違い!いい道じゃないですか!
九町石。
十町石。
十一町石。
十二町石。
十三町石。
十四町石。
くだりは快調に進められますね!はは。
十五町石。
十六町石。
十七町石。
十八町石。
十九町石。
二十町石。
ん!?
短い!
埋もれているの!?折れているの?!
これ!二十一町石ですよね!きっと。
廿二町石。
「廿」は漢字ですか。
廿三町石。
廿四町石。
廿五町石。
廿六町石。
廿七町石。
鏡石。
どの岩が鏡のようになっているの!?
廿八町石。
廿九町石。
三十町石。
三十一町石。
三十二町石。
巡礼風のおじさんとすれ違います。
三十三町石。
三十四町石。
三十五町石。
ん!?
大門につづく車道とぶつかり
紛れてしまいました。
展望台へのぼり休憩。
山の向こうに大阪湾が見えるそうな。
ぬるくなった水を飲んでいたら
突然!足の甲やかかとや!
ふくらはぎや腰やらが
悲鳴をあげ始めました。
連日!酷使していますからね。
くだりだとナメてかかっていたのかも。
この参詣道は撤退するのが大変。
逃げるときには
1 度谷へくだり
向こうの山の中腹を走る
南海電車まで行かねばなりません。
行くも!もどるも!やめるも!とどまるも
みんな地獄!大げさにいえば。
ともかく前に進みましょうか。
車道脇の町石は飛ばします。
にぎやかな木の根っこ。
どれかが「お助け地蔵」らしい!?
どうかお守りください。
四十町石から再スタート。
四十一町石。
あれ!?
42、43 は足の痛みに
うつむいて通り過ぎています。
四十四町石。
新旧?!
ふたつありますが。
四十五町石。
四十六町石。
四十七町石。
48、49 はなぜか写していません。
心がゆるんでいます。
五十町石。
五十一町石。
五十二町石。
五十三町石もふたつ。
押上石(おしあげいし)ですか。
弘法大師が押し上げたそうな。
ホントーです。
大師の手の跡があるそうな。
五十四町石。
?!
袈裟掛石(けさがけいし)です。
五十五町石。
56 は撮影忘れ。
五十七町石。
五十八町石。
五十九町石の後ろにはお地蔵さま。
信号のある車道に出ました。
「矢立」の十字路ですね。
車道に六十町石が立っています。
矢立茶屋の名物「やきもち」で
ランチにします。
右の「よもぎもち」もおなじ値段!
税込み 120 円。
鶏卵のSほどの重さもない餅ですが
これで十分?!
急に疲れて、、、。
大門からここまで 6km もないくだり道なのに
2 時間もかかっています。
この体調!撤退したほうが無難ですね。
町石道から離れて谷底にくだります。
1 時間もあれば南海電鉄に行けるでしょう。
高野山ですね!高野槇がいっぱい。
渓流沿いはサワグルミかな。
いや!オニグルミですね。
実がたくさんついています。
マタタビの実が大きくなっています。
サルナシも。
ネジバナが!
なんだかなつかしい。
疲れを忘れさせてくれますね。