叡山電鉄ひえい 八瀬もみじの小径 [猫も歩けば棒立ち]
叡山電鉄の出町柳駅の駅舎は
創業時のままだといいますが。
創業は大正から昭和に替わる 1925 年。
それから百年近い間に
経営者がいくつか変遷して
今は京阪電車の子会社かな。
京阪電車の傘下になってから
古い駅舎を覆うように改装したようで
昔の全容はよく分かりませんが。
鉄骨はリベット打ち?!
いや!ハイテンションボルトと混在!?
建築のことには無知ですが
なんだか古いもののような!
そんな気だけしますが。
「ひえい」が停まっています。
八瀬比叡山口に行く観光用車両。
平成 30 年(2018)から運行していますが
乗車したこと!あったやら。
鞍馬方面に行く人は多いのですが
こちらの人の流れは寂しく
1 両編成ですね。
都から延暦寺の参詣ルートは
こちらが表のはずなんですが。
延暦寺を目指して「ひえい」に乗車。
座席はゆったりとしています。
デザインに楕円が多い。
照明は LED ?!
意外にも
京阪電車の車両の中では珍しいらしい。
当然!バリアフリーに対応車両!?
終点の八瀬比叡山口駅。
ここも創業時のままらしい。
こちらの
「リベット打ち」はよく分かります。
出町柳駅が和風なら
この駅舎は洋風というのですが。
上のほうに窓がありますね。
それがそうなのかな。
「八瀬驛」とあります。
創業時には「八瀬駅」だったのですね。
私の京都の知人たちはみんな
「八瀬遊園駅」といいますが。
駅前に長い間「八瀬遊園」という
遊園地があったから。
閉園して 20 年以上。
今はその面影もなく
「八瀬比叡山口駅」に変わっています。
元の「八瀬駅」にもどってもいいのにね。
ここから叡山ケーブルと
叡山ロープウェイを乗り継いで
比叡山山頂に楽々と行けます。
ケーブル八瀬駅。
この鋼索線も叡山電鉄と
おなじくらい歴史があるそうな。
駅の右に
「八瀬もみじの小径」という看板。
長年急いで乗り換えるだけでしたので
気がつきませんでしたが。
林間に遊歩道が整備されています。
人工(?)の川の跡(?)があります。
それとも季節がくれば
水もくるのでしょうか。
導水管!?
斜面を落ちていますが。
上に水だまり(?)がありました。
京都電燈の高野水力発電所跡だそうな。
明治 33 年(1900)から
昭和 41 年(1966)まで稼働。
白い大きな塔です。
高さ 18m あまり。
平安遷都紀念橖(きねんとう)だとか。
遷都 1,100 年の記念に
明治 35 年(1902)平安神宮の境内に建立。
それがどうして
ここにあるのか知りませんが。
青もみじに包まれています。
下ばかり見ていましたが
「八瀬もみじの小径」でしたね。
ラジオ塔があります。
昭和の初めの「街頭ラジオ」でしょう。
こんな林間に初めからここに
設置されていたものでしょうか。
昔はもっと人口があった場所かも。
新型コロナウイルス禍で
延暦寺には入山できないとあります。
参詣が目的ではないのですが
気勢をそがれて!登山はあきらめて
渓流で遊びます。
高野川もここまでくると清流です。
山椒の若芽がいっぱい。
貧乏性です。
のんびり昼寝もできず!葉を摘みます。
家の山椒の葉より
緑色があざやかな気がして。
引き返します。
出町柳駅前の「ぼん蔵」で
ランチをします。
「お昼のサービス定食」が
7 種もありました。
ニラもやし炒め定食(税込み 650 円)を。
鉄板焼きの店ですので
鉄板で炒めるのですね。
別に驚くほどのことでもないのですが。
なぜか新鮮に見える日。はは。
年中気だるいのに特に気力が湧きません。
でも!ごはんがおいしいから
まだ!コロナウイルスには
感染してないようです。
創業時のままだといいますが。
創業は大正から昭和に替わる 1925 年。
それから百年近い間に
経営者がいくつか変遷して
今は京阪電車の子会社かな。
京阪電車の傘下になってから
古い駅舎を覆うように改装したようで
昔の全容はよく分かりませんが。
鉄骨はリベット打ち?!
いや!ハイテンションボルトと混在!?
建築のことには無知ですが
なんだか古いもののような!
そんな気だけしますが。
「ひえい」が停まっています。
八瀬比叡山口に行く観光用車両。
平成 30 年(2018)から運行していますが
乗車したこと!あったやら。
鞍馬方面に行く人は多いのですが
こちらの人の流れは寂しく
1 両編成ですね。
都から延暦寺の参詣ルートは
こちらが表のはずなんですが。
延暦寺を目指して「ひえい」に乗車。
座席はゆったりとしています。
デザインに楕円が多い。
照明は LED ?!
意外にも
京阪電車の車両の中では珍しいらしい。
当然!バリアフリーに対応車両!?
終点の八瀬比叡山口駅。
ここも創業時のままらしい。
こちらの
「リベット打ち」はよく分かります。
出町柳駅が和風なら
この駅舎は洋風というのですが。
上のほうに窓がありますね。
それがそうなのかな。
「八瀬驛」とあります。
創業時には「八瀬駅」だったのですね。
私の京都の知人たちはみんな
「八瀬遊園駅」といいますが。
駅前に長い間「八瀬遊園」という
遊園地があったから。
閉園して 20 年以上。
今はその面影もなく
「八瀬比叡山口駅」に変わっています。
元の「八瀬駅」にもどってもいいのにね。
ここから叡山ケーブルと
叡山ロープウェイを乗り継いで
比叡山山頂に楽々と行けます。
ケーブル八瀬駅。
この鋼索線も叡山電鉄と
おなじくらい歴史があるそうな。
駅の右に
「八瀬もみじの小径」という看板。
長年急いで乗り換えるだけでしたので
気がつきませんでしたが。
林間に遊歩道が整備されています。
人工(?)の川の跡(?)があります。
それとも季節がくれば
水もくるのでしょうか。
導水管!?
斜面を落ちていますが。
上に水だまり(?)がありました。
京都電燈の高野水力発電所跡だそうな。
明治 33 年(1900)から
昭和 41 年(1966)まで稼働。
白い大きな塔です。
高さ 18m あまり。
平安遷都紀念橖(きねんとう)だとか。
遷都 1,100 年の記念に
明治 35 年(1902)平安神宮の境内に建立。
それがどうして
ここにあるのか知りませんが。
青もみじに包まれています。
下ばかり見ていましたが
「八瀬もみじの小径」でしたね。
ラジオ塔があります。
昭和の初めの「街頭ラジオ」でしょう。
こんな林間に初めからここに
設置されていたものでしょうか。
昔はもっと人口があった場所かも。
新型コロナウイルス禍で
延暦寺には入山できないとあります。
参詣が目的ではないのですが
気勢をそがれて!登山はあきらめて
渓流で遊びます。
高野川もここまでくると清流です。
山椒の若芽がいっぱい。
貧乏性です。
のんびり昼寝もできず!葉を摘みます。
家の山椒の葉より
緑色があざやかな気がして。
引き返します。
出町柳駅前の「ぼん蔵」で
ランチをします。
「お昼のサービス定食」が
7 種もありました。
ニラもやし炒め定食(税込み 650 円)を。
鉄板焼きの店ですので
鉄板で炒めるのですね。
別に驚くほどのことでもないのですが。
なぜか新鮮に見える日。はは。
年中気だるいのに特に気力が湧きません。
でも!ごはんがおいしいから
まだ!コロナウイルスには
感染してないようです。