こちかぜの朝がゆ 陸軍墓地の秘密 [朝食 モーニングサービス]
大坂城(大阪城にあらず)の南東に
玉造口や平野口があったそうですが。
今の大阪城の石垣の上に表示のある
玉造口ではありません。
今のその玉造口から南に行った
JR玉造駅に近いほうにですが。
このあたりの地形はアップダウンばかリ。
歩きにくい。
そんな中!谷かも知れない!
谷の名のついている清水谷公園の近くに
「氷」の小さな旗がさがっています。
「こちかぜ」という
間口のない小さな(失礼!)店舗。
面白いメニューが目に留まりました。
「朝がゆ」「蒸パン」!?
なに屋さんでしょう。
店内はうなぎの寝床のようでした。
その「朝がゆ」をいただきます。
税込み 800 円は
懐中不如意の身にはぜいたくかも。
でも!もう 10 時!
朝から洗面所の水を飲んだだけなので
許してください。
かゆは舌を焼くほど熱い。
おかずというのか!
薬味といえばいいのか!
たくさんの小皿。
なんだか!ほっこり。
涙が出ます。
おかゆの思い出はありません。
たぶん!ないような。
幼少のころ!食べたかしらね。
それなのに!
どうして涙が出るのか分かりませんが。
胃がおかしいときにはよくかみなさい。
病気のときには少量食べなさい。
いずれのときにも
普通の白飯でこと足りると
しつけを受けてきたような。
まして!
普段におかゆを食べることなんか。
なんかねぇ!朝がゆを食べてぼんやり!
ないやる気がますますなくなって
東に進めば「おつる」と「おゆみ」が。
「ととさんの名は十郎兵衛」
「かかさんはおゆみと申します」
浄瑠璃の
傾城阿波鳴門(けいせいあわのなると)の
「どんどろ大師門前の場」ですね。
単純だけど!泣かされます。
どんどろ大師(鏡如寺)は
明治になって廃寺になったらしいのですが。
今はその場所に善福寺が建立されています。
真田山陸軍墓地に寄ります。
静かです。
沈思黙考によろしい。
が!阿呆はなにか考えることはないです。
ぼんやり座っているだけです。
明治から第二次世界大戦までの
5,000 以上の墓石!
納骨堂には 8,200 余の遺骨があるそうな。
ああ!ここにも荒れ地に広がっている
黄色い花が侵略してきています。
外国人の墓碑もあります。
獨逸軍曹ヘルマン・ゴル。
清國呂。
かれらの墓石は
どれも部分的に削られています。
後世にだれかが
隠そうとしたのじゃないでしょうか。
「看病人」(看護師でしょうか!)と
書かれた墓石もあります。
余談ですが写真が傾いているのは
撮影技量がない上に
古い墓石ばかりで
まともに立っているものは少ないのです。
他にも「軍役夫」とか「倉庫付傭負」とか
「蒸気船乗組」とか「職工」とかいろいろ。
兵士だけではなく
戦争に関わって亡くなった人も
祀(まつ)られているようです。
獨逸(どいつ)や清國の文字の後には
たぶん「捕虜」か「俘虜」か
なにかそんな文句が刻まれていたのでは。
それだとしたも
どうしてその歴史を
隠ぺいしようとしたのか私には疑問ですが。
(敬称略)
玉造口や平野口があったそうですが。
今の大阪城の石垣の上に表示のある
玉造口ではありません。
今のその玉造口から南に行った
JR玉造駅に近いほうにですが。
このあたりの地形はアップダウンばかリ。
歩きにくい。
そんな中!谷かも知れない!
谷の名のついている清水谷公園の近くに
「氷」の小さな旗がさがっています。
「こちかぜ」という
間口のない小さな(失礼!)店舗。
面白いメニューが目に留まりました。
「朝がゆ」「蒸パン」!?
なに屋さんでしょう。
店内はうなぎの寝床のようでした。
その「朝がゆ」をいただきます。
税込み 800 円は
懐中不如意の身にはぜいたくかも。
でも!もう 10 時!
朝から洗面所の水を飲んだだけなので
許してください。
かゆは舌を焼くほど熱い。
おかずというのか!
薬味といえばいいのか!
たくさんの小皿。
なんだか!ほっこり。
涙が出ます。
おかゆの思い出はありません。
たぶん!ないような。
幼少のころ!食べたかしらね。
それなのに!
どうして涙が出るのか分かりませんが。
胃がおかしいときにはよくかみなさい。
病気のときには少量食べなさい。
いずれのときにも
普通の白飯でこと足りると
しつけを受けてきたような。
まして!
普段におかゆを食べることなんか。
なんかねぇ!朝がゆを食べてぼんやり!
ないやる気がますますなくなって
東に進めば「おつる」と「おゆみ」が。
「ととさんの名は十郎兵衛」
「かかさんはおゆみと申します」
浄瑠璃の
傾城阿波鳴門(けいせいあわのなると)の
「どんどろ大師門前の場」ですね。
単純だけど!泣かされます。
どんどろ大師(鏡如寺)は
明治になって廃寺になったらしいのですが。
今はその場所に善福寺が建立されています。
真田山陸軍墓地に寄ります。
静かです。
沈思黙考によろしい。
が!阿呆はなにか考えることはないです。
ぼんやり座っているだけです。
明治から第二次世界大戦までの
5,000 以上の墓石!
納骨堂には 8,200 余の遺骨があるそうな。
ああ!ここにも荒れ地に広がっている
黄色い花が侵略してきています。
外国人の墓碑もあります。
獨逸軍曹ヘルマン・ゴル。
清國呂。
かれらの墓石は
どれも部分的に削られています。
後世にだれかが
隠そうとしたのじゃないでしょうか。
「看病人」(看護師でしょうか!)と
書かれた墓石もあります。
余談ですが写真が傾いているのは
撮影技量がない上に
古い墓石ばかりで
まともに立っているものは少ないのです。
他にも「軍役夫」とか「倉庫付傭負」とか
「蒸気船乗組」とか「職工」とかいろいろ。
兵士だけではなく
戦争に関わって亡くなった人も
祀(まつ)られているようです。
獨逸(どいつ)や清國の文字の後には
たぶん「捕虜」か「俘虜」か
なにかそんな文句が刻まれていたのでは。
それだとしたも
どうしてその歴史を
隠ぺいしようとしたのか私には疑問ですが。
(敬称略)