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飛田新地(7) 男はイタチ 福原ソープ [スペインのハエ (R-18)]

飛田新地の東に接している道は
少し高い場所にあります。
休憩する場所でもないけど
花壇の縁に座って人生をサボります。

はしゃいだ外国語が聞こえるので見降ろせば
歩いているグループは
日本人ではないようですが。
blog001.jpg

たまたまなのか
フツーのできごとなのか!
「外国語」ばかりが歩いています。

飛田新地の店は「料亭」を名乗っています。
その料亭はざっと見ても午前中から
1/3の店がオープンしています。

たしかに
ランチどきに
グループで徘徊する日本人は少ないかも。

国際的ですね。
体の交流はなんとかなるんでしょうけど
お金の受け渡しは
スムーズにいくんでしょうか。
ま!先払いと聞いていますから。
私が心配することもないですが。



外国に着いたら
まず!オンナ!女!おんな!
それがあたりまえ!?
航海時代なら港!港に女あり!ということ?!

それはセックスの悦楽や
単に生殖器の快感じゃないですね。

イタチがヒヨコを襲うようなもんですか。
イタチは食べなくてもおいしくなさそうでも
とりあえず襲いますからね。

また!
タコやジョロウグモのオスが
精子を渡して逃げるようなものですか。

それが肉体的に快感が走るとは
とても思えないのですが。

今や古典になったかも知れませんが
ハイト・リポート等を読んでも
買春や強姦で得られる快感より
自分ひとりでの行為のほうが
なん倍ものそれがあると
多くの人が証言していますね。

女性の「性」の告白もまたおなじ。
ひとりなら
かゆいところに手が届く!?

局部の快感だけを求めるのなら
「男」は「女」はいらない!
「女」も「男」は不要!
ということになりますが。



ともかく港に上陸すると
船乗りたちは血走って「女」を探します。

イタチのようになんでも襲いたがります。

兵庫の津の横に神戸港が造られると
外国船が多くの「男」を乗せてきました。

イタチかジョロウグモがわんさか上陸です。
さあ!大変。

イタチの奥地の侵入をくいとめるため
港に(たぶん!)明治政府の指示で
遊廓ができたのでしょう。

いにしえの外国貿易の都にちなんで
「福原」と名づけたに違いありません。

種々の事由が重なり
今の山手に移転して
さらに栄えたのでしょう。

それが売春防止法とかの施行で
変貌しています。

飛田新地は料亭ということになっていますが
福原はソープランドの街に変貌しています。



「福原」には南北に
(正確にいえば南東から北西に)
大きなストリートがふたつありました。

桜筋。
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もうひとつは柳筋。
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ソープランドばかりです。
blog004.jpg

ま!そんなヤボったい表現ではなく
ちぢめて「ソープ」でいいのだそうですが。
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つらつら電話帳なんかを見ると
「高級ソープ」とはなんでしょう。
15、6 軒ありますね。

「大衆ソープ」というものも
数はおなじくらい。
17 軒かな。

その下のクラスでしょうか!
「格安ソープ」という店は多くて
私が数えたかぎり 27 軒。

その他「尼崎ソープ」とか
「姫路ソープ」とかありますが
私にはまったく分かりません。

「フェチソープ」?!
blog006.jpg

「ソープ」以外は
「ファッションヘルス」「デリバリーヘルス」
「セクキャバ」「エステ」
「ホテヘル」とかなんとかがちらほら。
なにがなんやら。



今日はこれ以上筆が進みません。
どんどん知らないことと
ことばが出てきます。
そもそも「ソープ」の定義さえ
混沌としてきました。

奥が深いですね!この道も。
飛田新地の料亭(?)周辺で生きている人!
生きてきた人はなん人かいるんですが
「ソープ」に詳しい人が周囲にいないので
お手上げです。



(シェアー・ハイト著/中尾千鶴監訳/
 ハイト・リポート/男性版/)
(ジ-ン・マックウェラー著/権寧訳/
 レイプ(強姦)異常社会の研究/) 参照
(敬称略)
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ギネスに挑戦 河内音頭やらセックスやら [スペインのハエ (R-18)]

ギネスに挑戦(2017/09/09)だとか。
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「最多人数で踊る盆踊り」部門で挑戦。
久宝寺緑地(大阪府八尾市)の陸上競技場。

ルールは細かい。

全員伝統的な衣装を要求されます。

それで浴衣で踊ることにしたのですが
これが実は大変だったらしい。

地元では多くの人が
はっぴで踊ることが多いとか。
それで浴衣のない人には
無料で貸し出しています。

足元はぞうりか下駄着用。
サンダルやはだしは不可。

ぞうりや下駄を
貸し出す訳にはいかなかったのか
格安で販売。
1,000 円未満らしい。

当然!おなじ振りつけ。
「八尾正調河内音頭踊り」で挑戦です。

5 分間以上踊らねばなりません。

間違えた人はカウントされません。
5 %以上の人が間違えたら
あと!なん人踊っていようとも
今回の挑戦は失敗ということになるらしい。

それに挑戦は 1 回かぎり。



TVの生中継がずっと
CMもほとんどはさまず!
つづいていました。
気づいてからなん時間にもなるのかな。

「B 級グルメの屋台がずらっと並んでいる」
なんていっていますね。

なにかおいしいものあるのかな。
わが家の近くの駅から地下鉄に 15 分も乗り
八尾南駅で降りたら
無料シャトルバスがあるというので
忙しい仕事の合間に
(ウソついてすんまへん!)
出かけてきたのです。



着いたのが 5 時 40 分!
6 時半に決行というのに
もう入場が始まっています。
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ギネスの審判に
カウントされながら入場らしく
これが大変。

はっぴでもいいことになったと
うわさしていますが
意外にみなさん!浴衣ですね。

6 時半になってもまだそろいませんね。
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この画像は「陸上」のトラックの1/4
この 4 倍の人を
チェックしているのですから
簡単に入れられないですよね。

3,940 人で踊ると豪語していましたが
予定を 1,000 人も下回り
2,891 人で踊り出しました。
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世界記録は
「新ばんば踊り」(宮崎県延岡市)の
2,748 人!
5 %の落後者を出したら
2,746 人?!
きわどい!

「ケータイを落としても拾うな!」
「間違えたと思ってもそのままつづけて!」
なんて!檄(げき)が飛んでいましたが。
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よかったんじゃないんですか。
高みの見物でいいかげんな採点ですが。



ま!しかし!
日本人は群れて騒ぐことが好きですね。
そんなに楽しいことですか。

私はむしろ
個人的な記録のほうに興味をひかれますが。

ほんの少し前に
あちこちの日本の
複数の Web ニュースサイトが
男性のセックスの世界記録の
更新があったと報じていましたが。

はは。
私はやっぱり性的なことが一番好きかも。

34 歳のシンガポール人男性が
24 時間で異なる女性 57 人と
セックスすることに成功したのだそうな。

チェコの首都の
プラハのイベントで達成したらしい。

厳格な(!)ルールがあって!
たとえば
薬物検査は当然のことながら
審判員が 1 回の終了のたびに
出された精液量を測定するとか。

挑戦したい御仁はお問い合わせあれ。

これなんか
ギネスに登録されるんでしょうかねぇ。

「ヘラルド・ヨーロッパ」という
私はまったく知らないニュースサイトの
請け売りのようでしたが。



はなしを八尾にもどします。

踊り手がほぼ 3,000 人。
世話役や見物人がその半数として
5,000 人ほど人の夜遊び。
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いにしえの村の盆踊りの再現のようです。

飲食するところは近くにはなく
みなさん!屋台に群がっています。
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ここでしか食べられないものは少なく
あったとしてもすぐ売り切れています。
やっとすり身の天ぷら(?)を
300 円で買いました。
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八尾特産の枝豆が入っています。
屋台のビールは高価だと思っていたので
スーパーから
75 円のビールを買ってきたもんね。

正確にいえばビール風なものですが。
「新ジャンル」のものです。
どこまでセコい人生でしょう。



それで!結果も聞かず帰りましたが
今!確認すると記録達成できたとか。

2,872 人!
意外に失格者が少なかったのですね。
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河内の幻の宮 道鏡暗躍 東弓削遺跡にて [スペインのハエ (R-18)]

恩智(おんぢ)城跡だとか。
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大阪平野の東。
生駒山系の高安山や信貴山の登り口あたり。

れんが造りの校門らしきものがあります。
かつては小学校があったのですね。

見晴らしがよろしい。
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私のように窓から景色ばかりながめていたら
勉強になりませんね。はは。

小学校は明治時代でしょうか。
城は中世のころ。
さらにさかのぼれば
この眼下に「宮」があったそうな。

わが家ではサイコー(!)で唯一の
インテリジェンス(?)な歴史年表の
「読める年表・日本史」(自由国民社)に

「称徳天皇が河内国由義(ゆげ)宮へ行幸
「由義(ゆげ)宮を西京とし
「河内国を河内職(しき)として

なんて
阿呆な人生では
今までまったく
知る由もなかったことが書いてありました。

769 年のこと。

孝謙女帝(718 ~ 770)が
重祚(ちょうそ)して
称徳天皇になってからのことでしたか。
つまり
弓削(ゆげ)の道鏡(700 ~ 772)という
ブレーンを得てからのことですね。



聖武天皇の死後から桓武天皇までは
現在の政治のように
だらだらした倦怠期で
教えられることもなく
こんな場所に(失礼!)
「宮」や「西(の)京」があり
現在の「省」みたいな大きな役所の
「職(しき)」が置かれたなんて
歴史に埋もれてしまっていませんか。

自分が知らないから
人も知らないと思ってはいけませんが。

それが出てきたのですね!最近。

昨年(2016)からの発掘調査で
弓削(ゆげ)寺の七重の塔の跡をはじめ
いろんな遺物がぞくぞく出てきています。



今日(2017/08/20)の
八尾市と八尾市文化財調査研究会の
説明会の現場は
塔の基壇が出てきたところから
500m 離れたところ。
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かなり出ていますね!建てものや溝の跡。

人工河川跡も。
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その川の横に井戸の跡があるのは面白い。
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やっぱりあったのですね。
幻の宮が。



このあたりは道鏡の生まれたところ。
とにもかくにも
称徳天皇は道鏡に便宜をはかり過ぎ!?

後世の人は
称徳女帝は惚れたオトコに貢ぐ
世間知らずの深窓の令嬢にしたがります。

それは想像に難くないですね。

巧言令色!性技に長(た)けている
カザノヴァ(カサノヴァ)にだまされる
良家の夫人や令嬢。

女とカネにだらしないのが分からなくて
鉄幹を信じるお嬢さん育ちの与謝野晶子。

称徳天皇もまたおなじかな。



日本には男性器が大きいと無条件に
女性が恍惚となるという
神話(?)があります。
これは
男性側の一方的な思い込みでしょうけど。

そんな羨望(?)の落語も多いような。

「揚子江」なんて落語には
向こう岸が見えないほどの川幅の
橋になるほど
大きい持ちものが出てきますな。

「紀州飛脚」ではアゴがはずれていますな。



道鏡も「なに」が大きかったから
女帝がメロメロになったと
だれかがいい出したようで。

「道鏡は 座るとひざが みっつでき

なんて川柳がよく引き合いに出されます。
川柳ですから
江戸に入ってから作られたのでしょうけど
だれの作ですか。



江戸時代の「耳嚢」には
あまりにも大きな一物のため
馬を妻(?)にした悲しいはなしがあります。

そんな昔のことではなく
大相撲の三保錦大輔は
巨根の持ち主だったとか。

大正 12 年(1923)生まれ。
歌手の元・大関増井山があかちゃんのとき
子守をしていた人だそうな。

大相撲では
男性器のことを
「肩口」というのだそうですが
その肩口が
前述の道鏡の川柳のようだったとか。

ともかく大きいことは
いいことかどうか知りませんが
大き過ぎるのはいいことでもなんでもなく
かえって困っているはなしが多いですなぁ。

宝暦 2 年(1752)の遊女の性技指南書の
「おさめかまいじょう」には
「馬まら」の対処法が書いてあります。

まともに人間の(!)女性では
太刀打ちできないモノが
くるときもあるのですね。
対処法が書かれているということは
ときどき
そんな持ち主がいたのかも知れません。



そんな訳で
称徳天皇が道鏡と
男女の仲じゃないとここまで優遇しない!?

それは否定も肯定もできませんが
ふたりがわがままに
わが世の春を謳歌したのは
重祚(ちょうそ)して
道鏡を大臣禅師に任命してからですよね。

それは 764 年のこと!?

称徳帝は 40 歳半ば。
18 歳上の道鏡は
古希に片足をかけています。

年齢が、、、?!

それがどうした!?
といわれれば!
返すことばもありませんが。

いくつになっても!
死ぬ間際まででも!
燃える人は燃えるでしょうから。

私の周囲のアラフォー(around 40)の
おね~さん方なら
「性衝動」に関するかぎり
18 娘と変わりませんからね。

1,200 年前の女性も
体の仕組みや習慣がおなじかどうか
あたしゃ知りまへんけどね。



暑い!

残暑の発掘現場でそんなことを思いながら
大汗をかいているとは
寂しいことですねぇ。
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(J・カザノヴァ著/恋と賭博の修業/窪田般彌訳)
(露の五郎(兵衛)著/つゆの艶ばなし/)
(根岸鎮衛著/耳嚢/長谷川強校注/)
(石井代蔵著/続・相撲畸人列伝/)
(渡辺信一郎著/江戸の性愛術/)
(西沢爽著/雑学艶学/)参照
(敬称略)
タグ:カサノヴァ
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飛田新地(5) 遊廓は不滅 [スペインのハエ (R-18)]

阪神高速道が横切っています。
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阪神高速道は
西横堀という川の上を走っています。
もっとも今
西横堀川は埋め立てられていますが。

阪神高速道を越えてつづくのは瓢箪町。
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ちなみに大坂(大阪)で
「町」「丁」といえば
「通り」とか「筋」とかの
「道」を指すようです。

昔の瓢箪町廓(くるわ)です。
なんの面影も残存していませんが。

通称・新町遊廓は
瓢箪町廓というのが本名(?)かも。

好色一代男の世之介は
舟に乗ってこの廓に乗り込んでいますね。

江戸の終わりごろの「瓢箪町廓」の図を見ると
東に南北に西横堀
北に東西に立売堀(いたちぼり)
南に東西に長堀という川に囲まれています。

西に川があったのかどうかは知りません。

さらにその中に
「水道」という名の幅員のあまりない堀で
四角に囲まれた
瓢箪町遊廓があったようです。



そば屋の発祥の「砂場」の碑。
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このあたり
豊臣秀吉の大坂城築城時の資材置き場。
むろん砂(置き)場もあったのです。

資材置き場には労働者が集結。
その人たちに麺類等の食品を提供する店も
にぎわったのですね。

だから遊廓も!?
瓢箪町の瓢箪は秀吉の馬印ですからね。

でもそれは違うようです。

江戸時代になってから
瓢箪町の廓を移設したからのようです。

瓢箪町に並行して北に
九軒町があったらしい。
九軒町の廓が越しているのです。

そこに堤があって桜の名所だったとか。

このなんの変哲もない町の中の公園に
「新町九軒桜堤の跡」の碑がありますが。
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新町遊廓は
明治になってからどんどん変貌して行き
さらに先の大戦で焦土と化し
まったく遊廓の面影はありませんね。



大阪から「遊廓」が
消えてしまった訳じゃありません。
「飛田」や「松島」とかで
ちゃんと継続しています。

なんなんでしょうね。

突然ですが「ハイト・リポート」です。
はは。
ちょっと古いかも知れませんが
わが家にテキトーな資料がないもので。

それによると男女のセックスは
快楽のためばかりじゃないような。

むしろ男女のそれより他のやり方のほうが
男も女もより強い快楽が得られる!
得られている人が大多数になっています。
つまり快楽だけなら男も女も
パートナーなんか必要としない!?

じゃ!なんのために。
まさか電線の上のツバメ(燕)の交尾と
おなじという結論でもないでしょう。

リポートは膨大な量!
不勉強の私には難解。
拾い読みすれば
男にとってセックスは。

「なんの束縛も感じず
「感情を自由に表現できる唯一の機会!

「戦争!飢餓!病気!死!の対極にある!

「自分をさらけ出したい願望!

「くだらない日常生活からの逃避!

肉体の快楽はそのつぎ!?らしい。

飛田新地がなくらない訳が垣間見られたような。

美人の奥さん!
聡明なこども!
御殿のような家!
給料が使い切れないほどあって
はた目にはしあわせを絵に描いたような男が
飛田新地に行く事由がそこにあるような。

そんな家にも!
そんな家だからか!
ないものがあるのです。

飛田新地は不滅です。



(喜田川守貞著/
  近世風俗誌(守貞謾稿)/宇佐美英機校訂)
(井原西鶴作/好色一代男/暉峻康隆校注・訳)
(S・ハイト著/ハイト・リポート/石川弘義訳)
(同著/男性版/中尾千鶴監訳/等を読みました)



(敬称略)
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飛田新地(4) いい匂い [スペインのハエ (R-18)]

「まぁ!飽きもせず毎回大声で
「卑猥なはなしばかりできるわねぇ。
「直接的な原語はやめなさい。

場末の居酒屋の女将があきれていいます。

「リーダーがそれしか興味がないのよ」

アラフォー(around 40)の女史の
ひとりが答えます。

え?!
リーダーって私のこと!?
勝手に決めないでよ。

あなた方こそ
TVの「5 時に夢中!」で
「!ん!」連発コンビの
岩井志麻子・中瀬ゆかりみたいじゃないですか!
blog志麻子ゆかり.jpg

体形も年齢も似ているような。

ちなみに「ち!!」って
放送禁止用語じゃないんですかね!?

「じゃ!私が帰った後は?!

「更年期障害と婦人病の心配ばかりだよね」

「おんなじようなものじゃないですか!
「こんなところで
「夏目漱石の漢詩とかエヴァンジェリンの
「読み合わせをするのも似合わないでしょ!



「エヴァンジェリンといえば
「その哀詩を原語で暗唱してくれた
「遊女(?)がいたそうです!

「結局!そちらにもどるのね」

遊廓大好き人間と自称してはばからない
作曲家の小林亜星が
神戸の県庁の裏の山手の高級住宅街にある
高級(!)遊廓で出会ったとか。

そんな「福原」界隈でもないところに
高級な秘密めいた遊廓(?)があるんですね。
娼家 400 軒と記述されていますが。
昔あったというのが正確なんでしょうか。

「良家(?)の女性はいい匂いなんでしょうね。

「女は女の匂いでしょ!」



違います!
違うような気がします。
女性は!男性もそうですが
年齢や環境でみんな違うでしょう。

それに「匂い」かも知れない!
男が遊廓に吸い寄せられるのは。

「地女はその匂い(臭い?)がいやらしい。
「肺経をただらかし!鼻を損ずる。
「女郎さま(さまつきです)の
「匂いはありがたく
「松柏の上に舞い
「蘭の園のうすうすとしたるところをめぐる。


元禄の才人
日本のレオナルド・ダ・ヴィンチと
司馬遼太郎が絶賛する柳沢権太夫は
著書「ひとりね」にそう記述しているそうな。

ちなみに「地女」とは
「地女に 毛虫ふたつで 化けられず」と
俳風柳多留にあるように
素人の女性のことでしょうね。

遊女が外出かなんかで
素人のふりをしても
眉毛(毛虫)があるので
すぐバレてしまうのでしょう。

先の大戦で
ラバウルにいた今泉という
帝国海軍の中尉いわく
「現地のムチムチした
「14、5 歳の女性に囲まれて
「ハレム状態だった。

軍のカネで
たくさんの女性を買いあさったのですが
「これが臭いんだ」とか。

なので!日本からきた慰安婦に大変な人気!
清潔で臭くないようです。
海軍は金持ちだったので
陸軍にいた慰安婦まで
ごっそり調達してきたそうな。

前述の柳沢権太夫のはなしと
似てなくもないですね。



「あそこなんて排泄器官と」
「抱き合わせになっているところでしょ」
「男女とも臭かったりするわね」

「男の病原菌や」
「自分についている細菌まで」
「ついでに押し込まれたりして」
「女には迷惑で大変なことよね」

大切なところが腐り始めているらしい
釜ヶ崎(!)の「志麻子・ゆかり」コンビ。

「自浄能力があるでしょ。

「若いうちはね!」

なにやら寂しい。

「洗うのよ!
「事前!事後に。

女将がいいます。

女将は介護の仕事もやっていたとか。
介護していた女性の中に
飛田新地周辺で生きてきた人も
少なからずいたのだそうな。

「おばあちゃんたちのはなしではね!

飛田新地では客がつくと
局部を洗浄するのだそうな。

温水洗浄の便器のないころ
トイレに
湯沸かし器から直結のホースがあって
その都度!
洗ってから接客していたのだそうな。

昔の地女(失礼!)は
いちいち洗浄していなかったら
臭っていた!かもね。



今!ふと開いた本(江戸の性愛術)に
局部を洗浄する娼婦の絵が 3 葉ありました。

「柳樽末摘花余興紅の花」(1851)
「諸葛孔明秘伝」(1825)
「色の掃溜」(1820)からだそうな。

大昔からそのような里(!)には
便所に湯水の桶と柄杓(ひしゃく)が
常備されていたようです。



(小林亜星著/あざみ白書/)
(永六輔著/極道まんだら/)
(渡辺信一郎著/江戸の性愛術/)等を参照
「ひとりね」は
(司馬遼太郎著/余話として/)より孫引き
(敬称略)
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