SSブログ

四天王寺と生きた君が代の伶人町 [わが街・大阪ブギウギ]

大阪の夏祭が始まりました。

先頭は 6 月 30 日の「愛染さん」
つまり愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)です。

聖徳太子が勝鬘経を講じたところだそうですよ。

勝鬘(しょうまん)とは
インドのコーサラ国のお姫さまの名前の
シュリーマーラーの漢訳とか。
それが「経」とは。
私はそれ以上興味がないので知りませんが
詳細は四天王寺に帰依してお尋ねくだされ。

まったくの受け売りの軽薄な説明で!すみません。

ん?!
「愛染さん」の南側に天王寺区「伶人町」の町名。
blog1.jpg

吉田兼好(1283 ~ 1350)の「徒然草」の
「第二百二十段」に

   当寺の楽はよく図をしらべあわせて
   ものの音のめでたくととのほり侍ること
   外よりすぐれたり(漢字は全て旧字)

と天王寺の伶人のことばがあります。

伶人(れいじん)とは
天王寺(四天王寺)の舞楽を
世襲で継承してきた演奏集団のことらしい。

さらに徒然草によると
音律は聖徳太子の時代から不変だとか。
六時堂前の鐘を基準としています。

六時堂とは四天王寺の境内案内板で調べると
六時礼讃堂のことでしょう。

六時礼讃堂から南を見れば
石舞台の向こうに講堂が。

講堂の左右に「鐘」がありますがね。

右!すなわち西にあるのが北鐘堂です!
blog2.jpg

左!すなわち東にあるのが太鼓楼!
太鼓楼の下に行って見ると
奥に北鐘堂!右に六時礼讃堂があります。
blog3.jpg

徒然草では

   その声 黄鐘調のもなかなり

とありますから
別名・黄鐘楼という北鐘堂がその鐘でしょうか。

太鼓楼も今は黄鐘調の鐘らしいのですが
大昔には鐘はなく
太鼓だったに違いありませんから。

鐘は合金なので寒暖の影響があるのは明らかです。

   涅槃会(2 月 15 日)より
   聖霊会(2 月 22 日)までの中間を指南とす

なんて詳しい。
音律の基準は当然ですが!厳格なんですね。

その楽師たちが住んでいたのが伶人町だったのでしょうね。
もっとも今の「伶人」町は
「れいじん」ではなく「れいにん」と読むようですけどね。

この町出身で朝廷楽人になった人も多かったのでしょうか。

伶人町出身の宮内省の雅楽局の林廣守は
明治 13 年(1880 年)
国歌制定委員として「君が代」に楽曲をつけたと
地元には言い伝えがあるそうな。

そうなんですか。
私がこどものころには「君が代」は
海軍が雇用していたドイツ人の作曲だと習ったような。

それはともかく
古いことやものがたくさん残っている四天王寺界隈。

「金剛組」も古いもののひとつ。

伶人町から四天王寺の方を見ればその会社があります。
blog4.jpg

四天王寺建築に
聖徳太子が百済より招いた宮大工を祖とする
日本最古の企業。
1400 年も継続しているなんて
おそらく世界で一番歴史のある会社じゃないでしょうか。

(敬称略)
タグ:徒然草
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。