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いわなが姫の丑の刻参り ブログトップ
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神武天皇陵の謎 御代菊に酔う [いわなが姫の丑の刻参り]

橿原神宮の向こうに
畝傍山(うねびやま)があります。
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右になだらかにくだる尾根の上に
ホントの神武天皇陵があったと
確信しています。

古事記にそう書いてあるような。

古事記の「畝火山北方白梼尾上」を
どう読めばいいのでしょうか。

すなおに
「うねびやま きたのかしのおのうえ」
と読めばいいものを
今ある神武天皇陵を忖度(そんたく)して
無理にそちらに持って行っている
御用学者も多いような。

御用学者が悪いのかどうか!
どんな手段を使っても
勝ったほうが正義ですから
御用学者は正義!正しいのです!たぶん。

神武天皇陵へ回ります。
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ぺっちゃんこです。

養老令(平安時代)の
「帝王の墳墓(=帝陵=御陵)は」
「山のごとく陵(おか)のごとし」に
あてはまらないじゃないですか。

初代神武天皇陵の北に
2 代綏靖(すいぜい)天皇陵があります。
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こちらもぺっちゃんこです。

安本美典著/大和朝廷の起源/によると
神武天皇陵の所在地の説は
いくつもある中で有力なのは 3 か所!

① 畝傍山の尾根の上の丸山宮址。
② 白橿村山本の神武田(じぶでん?)。
③ 四条村の福塚。

② は今の神武天皇陵のところ。
③ は今の綏靖天皇陵のところ。

白橿村山本の神武田を
神武天皇陵と治定したのは
江戸幕府が行った
「文久の修陵(1863)」のとき。

そこは一説によると!牛馬の処理場で
糞田(くそだ)と呼ばれていた
小塚だったとか。

どう考えても
「① 畝傍山の尾根の上の丸山宮址」が
神武天皇陵だと思いますがね。

2008 年に
「丸山宮址」に行ったことがあります。

畝傍山山頂から
今の神武天皇陵めがけてくだっていたら
古い石碑がありました。
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そのときは 6 本くらい見たような。

1 本に「宮」の字が認められましたが。
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ここに神武天皇陵があり
神社が建っていたといいます。
それは今!麓にある生国魂神社では!?
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神社の近くに
「おおくぼまちづくり館」がありました。
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係りの女史から丁寧な説明を受けました。

畝傍山の神武天皇陵を守っていたのは
洞村(ほらむら)という集落だったそうな。

平地の小塚を神武天皇陵にして
明治・大正・昭和と長きにわたって
どんどん拡張し!
巨大化していった過程で
被差別部落だった洞村はじゃまになり
生国魂神社とともに
ここ大久保地区に
集団移設させられたそうな。

その昔!畝傍山の丸山宮址から
乱れていた小径をくだっていて
落ちそうになった小さな池がありました。

洞村移設のとき墓地も改葬しています。
そのときに墓地の無縁の人骨を
沈めた池がそれだとか。

ひぇ~!
なにかに引きこまれるところでした。



私ひとりだけ納得していても
つまらんでしょうから
お年寄りを連れて
喜多酒造「御代菊」に寄ります。

「きんてつハイキング」の
「酒蔵みてある記」に参加しましょう。
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今年は樽から勝手につげる
試飲がなくなっています。
残念。
有料試飲になっていて
500 円で
6 枚つづりのチケットを買うことに。

それで 50cc カップに
7 分くらい入れた酒を 5 杯買えました。
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本醸造しぼりたて 生原酒!
にごり酒!
本醸造!
純米 倭!
水もと仕込み 純米吟醸 山乃かみ!

だそうな。

グループの長老から
「わさび葉ずし」をもらいました。
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おいしいですが
テーブルもなにもないところで
あわてて飲まねばならないのが
ちょっと!残念。



(敬称略)
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神戸海軍操練所跡 龍馬のカツオ丼 [いわなが姫の丑の刻参り]

なんの木ですか。
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桜ですよね。
桜にしては!珍しい形に育っています。

神戸港のメリケンパークです。
ほんのこの前になん本か
植栽したような気がするのですが
ぼんやりしているうちに
取り残されている自分がいます。

神戸ポートタワーは
修復のための仮囲いが取れています。
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神戸港震災メモリアルパーク。
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阪神淡路大震災で被災した
メリケン波止場の岸壁を保存しています。
もうすぐ!なん回目かの震災の日。

鉄製品は丈夫ですね。
海風にさらされても
姿を変えていないような、

東を向けば第一突堤があります。
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あのあたりで
幕末に勝海舟の進言で創設した
神戸海軍操練所の防波堤跡を発掘したと
神戸市が年末にいっていましたね。

坂本龍馬が
塾頭を務めとかの報道もありました。
本当でしょうか。

ああ!あの向こうでなにか掘っています。
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港公園を通って行きます。
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著名な商船三井ビルディングと
海岸ビルとが見えます。

ここに海軍操練所で学んだという
陸奥宗光の顕彰碑がありますが。
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勝海舟や坂本龍馬の名前はありません。
そういえば
勝海舟の語録「氷川清話」にも
神戸海軍操練所のことはないような。

第一突堤の根元(!)に
海軍操練所跡の碑があります。
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碑はあるのですが遺構の確認は
今までできていなかったようです。

そのすぐそばのビルやら
国道やら高速道やらひしめく間で
発掘していました。
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よく保存されていましたね。
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周囲の工事の残土なんかで覆われて
それがよかったのかも。
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神戸市が発掘調査結果の
詳細な資料をくれましたが
門外漢の野次馬には高度過ぎます。
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遺構は時代ごとに
4 期に分けられるそうですが。

モルタルの充填があるものは新しい?!
明治中期以降の 4 期のもの!?
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石積みの充填を気にしているひとは
全然いませんね。はは。

向こう側に行けないので
鏡を設置してくれています。
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ご親切にどうも。

にわか雨にもなんのその!
考古学愛好者はつめかけています。
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遺構の見学ですから
勝海舟などの人名は出てきませんでした。



傘もささずに京町筋を北に逃げて
アーケードに入り
センタープラザの地下にもぐります。

「才谷梅太郎」!?
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これ!屋号ですか。

高知直送のカツオ(鰹)と
高知四万十の米の店だそうな。

坂本龍馬も土佐のひとでしたね。

ん!?
もしかして!
才谷梅太郎は龍馬の別名だったのかも。
司馬遼太郎作「竜馬がゆく」に
書いてあったような気もしますが。

なにかの縁。
「ミックス丼」をいただきますか。
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カツオのたたきと
カツオのカツがのっています。

醤油や「土佐ぬた」を振ります。

土佐ぬたは
葉にんにくの酢味噌だそうな。
私の口にはおいしい。

最後に
カツオのだしをかけてかき込みました。

税込み 1,050 円。



(敬称略)
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丸山古墳 飛鳥宮跡 柿渋のど飴  [いわなが姫の丑の刻参り]

近鉄・岡寺駅近くの丸山古墳。
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長い間!
円墳と思われていたから丸山古墳。
実際は前方後円墳らしい。

見瀬丸山古墳と
教えられたような気がするので
だれかを案内するときには
そういってきましたが
説明板は丸山古墳ですね。

石室の中を
撮影したというニュースがあったような。

上にのぼってみます。
ヘビも毒虫も晩秋には
活動がにぶっているでしょうから。

のぼるようにはなっていません。
なんとかのぼれても!
くだるときにころがり落ちそうになります。

でも!上部に
通路(?)が鉢巻きのように回っています。
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畝傍山が見えます。

頂部にはなにもありません。
石室もふさがれているようです。
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よいこはのぼってはいけません。



車道を東に進めば川原寺跡。
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飛鳥川が流れています。
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さらに行けば
明日香村役場が閉鎖されています。
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飛鳥にきたら
ランドマークとして考えていたのですが
移転したのですね。



万葉文化館の庭は晩秋の彩り。
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なんでもないススキがきれいに見えます。

万葉文化館のレストランで
ランチするつもりでしたが
値あげが激しく!ケチの権化は食欲減退。

万葉びとに会って帰ります。
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柿渋ののど飴を売っていました。
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大阪市の味覚糖の製品ですが
大阪市の私の近所に売っていませんが。

これで飢えをしのぎながら歩きます。
柿渋というより
私の舌にはハッカの味ばかり感じます。



飛鳥宮があったあたりを
俯瞰(ふかん)すれば!
ひとだかりが見えます。
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飛鳥板蓋宮(あすかのいたぶきのみや)跡から
接近します。
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そうそう!今は名称を
「飛鳥宮跡」に変更していましたね。

調査・研究が進めば
いろいろなことがあるようです。

その向こうで
飛鳥宮跡(飛鳥京跡第 190 次調査)の
現地説明会(2023/11/25・26)が
開催されていました。
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飛鳥宮跡は飛鳥岡本宮と飛鳥板蓋宮と
後飛鳥岡本宮と
飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)が
重なっているらしいので
にわかに説明を受けてもなにがなんやら。
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ただ!土のかぶりが浅いのが不思議。
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1,300 年前の遺構なら
年に 1mm 削られたら!
消滅しているでしょうし
年に 5mm 埋まれば 6,500mm 下にあるはず。

なのに!腰の高さにも届かない土の層。

上部の 200mm ばかりの灰色の層が
水田らしい。

つまり!水田を長い間営んでいたから
地表のレベルは動かなかったらしい。

動いたら!
水田の水の保持ができないから。

その場合!飛鳥川の水は
利用しなかったのでしょうか。
先ほど見た川はかなり深いのですが。

結論からいえば
飛鳥川は
なん度も流路を変えているそうな。

川床も浅くなったり!
深くなったりしたようです。



飛鳥の里では
いろんな種類の柿が売られています。

無人販売所に
200g くらいの富有柿が
6 個で 300 円で売られていました。
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買い!ですね。

「赤かめ」周遊バスに遭遇したので
反射的に乗ります。

根がなまけものなので
ひとりのときには!すぐ
ずるい考えに支配されてしまいます。

近鉄・飛鳥駅に着きました。

駅前の「あすか夢販売所」の
古代米入りの五平餅(税込み 150 円)を
ランチ代わりに食べます。
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三輪のとろろ 円筒埴輪の怪 [いわなが姫の丑の刻参り]

雨がやみません。

山の辺の道を歩こうと思っていたのですが。

そのうちやむだろうと!たかをくくって
JR万葉まほろば線に乗っていたのですが。

らちが明かないので!
正午が近くなったので!
小雨になったようなので!
三輪駅で降りて歩き出します。

大神(おおみわ)神社の
高さ 32m の大鳥居のほうに進みます。
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雨中に花嫁衣裳(たぶん!)のひとが
歩いています。
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「三輪の花嫁」ですと?!
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ちなみに
「大神(おおみわ)」の「みわ」は
「美和」とか「三輪」とか
書きたい放題(失礼!)です。

「三輪の花嫁」と書いてある建てものは
「大和」というレストラン!?
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雨が強く!
斜めから降ってきたので入店します。

一番安そうな
「一の鳥居定食」をいただきます。
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麦ごはん!とろろ汁!
おでんのような煮もの!

それに!吸いものに
この里の名物の素麺が入っています。

麦ごはんは小さなおひつできましたが
お代わりができるそうです。

税込み 950 円。
おいしかったです。



すぐ近くに
桜井市立埋蔵文化財センターがありました。
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今日(2023/11/18)は
「2023 年度第 21 回関西文化の日」で
入館料は不要でした。
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円筒埴輪(はにわ)の特別展がありました。
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私の埴輪の知識は幼稚なもの。

「死者を壺に納めた。
「死者の周囲に玉垣のように壺をめぐらし
「あちらの世界を隔てた。
「霊魂は出入りできるように壺に穴を明けた。
「それが円筒埴輪になり
「後に形象埴輪も作られるようになった。

そんなことをトクトクと
ハイキングどきなどに
みなさんに説明していましたが。

今!観察すれば
埴輪の穴!
透孔(すかしあな)と呼ぶらしいのですが
それが丸ではないものがあります。
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よく見ると
三角!四角!長四角!半円!いろいろ。
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この違いはなんですか!?

「埴輪」のセミナーに紛れ込みます。
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が~ん!
私の今までの埴輪の常識は
ほぼ根底から崩れました。

カムチャッカ(?)の
日本語学校で習ったことは
なんだったのやら。

どの古墳にも円筒埴輪はあるのだそうな。
形象埴輪がなくても。

壺から円筒埴輪になったのではなく
あれは壺を置く台!?

その円筒埴輪には
たくさんの模様が刻まれていたのですが
古墳の造営が増えたので
大量の注文(!)があり
手間ひまをかけられなくて
模様を簡略したものが
あの透孔!?

霊魂の往来はなくてもいいらしい。
なんだかキツネにつままれたよう。

外に出ると!暴風雨がうそのように消えて
陽が射しています。

夕暮れの道をとぼとぼ帰ります。
あ!傘を忘れてきています。
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畝傍山は 正義の火の山 [いわなが姫の丑の刻参り]

はでな着物の童女が並んで
順番に記念写真を撮っています。
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「七五三」詣りでしょうか。
橿原神宮にもゆるキャラはいるんですね。

カメラマンと助手を引き連れている
女の子と両親(たぶん!)と
ふた組の祖父母(おそらく!)と
総勢 7 人ものグループがいます。

そんなグループはひと組ではないですね。
大変だぁ!
「大変」が好きなのかも知れませんが。

拝殿の前には玉砂利があります。
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神社にはどうして玉砂利だらけなのか
帰依もないバチあたりは
聞いても忘れているのでしょうけど
とくにこのあたりには厚く敷かれています。

もこもこと着せられている童女の中には
暑苦しいのか!はだけたり!
玉砂利は歩きにくいので
はきものを脱いでしまったり。

パールを落とした!?

なんでしょう!?
あわてている親もいます。

小さなパールでしたら
このたくさんの砂利の中で!
探せるのでしょうか。



拝殿の向こうの
畝傍山(うねびやま)はいい天気です。

のぼります。
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標高は 200m にとどかないほどの山。
散歩気分で行けるでしょう。

水槽のカワニナのエサの朴葉(ほおば)が
減ってきていたので!探しに行きます。

朴葉には!まったく出会いませんね。
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30 分もかからず!山頂の三角点。
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それでも!見降ろせばさわやか。
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「畝火山口神社社殿跡」の碑があります。
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「畝火山」は「畝傍山」とおなじ。
元・火山だといいますから
「畝火山」表記のほうがいいのかも。

ん!?
大昔のひとは
どうして火山だと分かったの!?
1,500 年くらい前まで
火を噴いていたのでしょうか。

考え過ぎですか。
万葉集には「雲飛山」表記もあるはず。

どうして神社の「跡」かといえば
明治時代になって!
ふもとに橿原神宮が造られたため
叱られたらしい。

橿原神宮を見降ろすとは
恐れを知らないのかといわれ
罰として(!?)社格を下げられて
反対側のふもとに遷座させられています。

後からなにもなかった場所に
神武天皇陵や橿原神宮を造営しておいて
勝手なはなしでしょうけど。

なにもない寂しいところで
養鶏場を経営していたひとが
ぼやいていたことがありました。

付近の荒れ地が宅地造成されて
イノシシやカエルが追い払われて
ひとがどっと住み着いたのだそうな。

その住民たちが
鶏がやかましい!臭い!出て行け!
市に追い払う法律を作れと要望したそうな。

明治国家主義も現代の日本民主主義も
おなじようなものですなぁ。

政治は「悪」です。
必要悪かも知れませんが。
政治家は右から左まで
アホからかしこぶっているものまで
みんな!極悪人ですなぁ。



TVドラマで趣里が演じる
「ブギの女王」のモデルの笠置シズ子は
三笠静子だったのですが
三笠宮家が創設されたら改名しています。

昔!奈良の若草山で
ボランティアのひとがいっていたはなし。

三笠山という名前だったのですが
宮さまの上にあがる訳にもいかず
忖度(そんたく)したのだとか。

福沢諭吉ら適塾のものたちが
花見に行ったという桃山。
そこにできた鉄道の駅は桃山停車場。
桃山御陵が造られたので
桃谷に改称したといいます。
今の大阪環状線の桃谷駅ですが。

これらはすべて俗説かも知れませんが
なるほど!と納得してしまいます。

たとえ!そうだとしても
それがその時代の正義だったので
正しいのです!たぶん。



畝火山口神社だけではなく!
そもそも!神武天皇陵とその社は
畝傍山の上にあったのでは。

古事記は
「畝火山(うねびやま)の北の」
「白檮(かし)の尾の上(へ)にある」
ですから。

江戸幕府の「文久の修陵」のとき
学者の意見が割れて
現在の平地に治定してしまったのでは。

ホンモノの神武天皇陵を守ってきた
洞(ほら)村も
上にいるとはけしからんと!
降ろされていますね。



なんの収穫もなく!とぼとぼと
近鉄・橿原神宮前駅に向かっていたら
感じのよさそうな町家(!)があります。
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「ギャラリーカフェ narairo」ですか。
ランチの看板があったので入ります。

きれいな店内です。
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この店の名前のついた
「ならいろライス」をいただきます。
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焼きめしに
地元の野菜がのっているのでしょうか。

税込み 900 円。



(安本美典著/大和朝廷の起源/)
(住井すゑ著/橋のない川/)参照
(敬称略)
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