SSブログ

神武天皇陵の謎 御代菊に酔う [いわなが姫の丑の刻参り]

橿原神宮の向こうに
畝傍山(うねびやま)があります。
blog81.jpg

右になだらかにくだる尾根の上に
ホントの神武天皇陵があったと
確信しています。

古事記にそう書いてあるような。

古事記の「畝火山北方白梼尾上」を
どう読めばいいのでしょうか。

すなおに
「うねびやま きたのかしのおのうえ」
と読めばいいものを
今ある神武天皇陵を忖度(そんたく)して
無理にそちらに持って行っている
御用学者も多いような。

御用学者が悪いのかどうか!
どんな手段を使っても
勝ったほうが正義ですから
御用学者は正義!正しいのです!たぶん。

神武天皇陵へ回ります。
blog82.jpg

ぺっちゃんこです。

養老令(平安時代)の
「帝王の墳墓(=帝陵=御陵)は」
「山のごとく陵(おか)のごとし」に
あてはまらないじゃないですか。

初代神武天皇陵の北に
2 代綏靖(すいぜい)天皇陵があります。
blog83.jpg

こちらもぺっちゃんこです。

安本美典著/大和朝廷の起源/によると
神武天皇陵の所在地の説は
いくつもある中で有力なのは 3 か所!

① 畝傍山の尾根の上の丸山宮址。
② 白橿村山本の神武田(じぶでん?)。
③ 四条村の福塚。

② は今の神武天皇陵のところ。
③ は今の綏靖天皇陵のところ。

白橿村山本の神武田を
神武天皇陵と治定したのは
江戸幕府が行った
「文久の修陵(1863)」のとき。

そこは一説によると!牛馬の処理場で
糞田(くそだ)と呼ばれていた
小塚だったとか。

どう考えても
「① 畝傍山の尾根の上の丸山宮址」が
神武天皇陵だと思いますがね。

2008 年に
「丸山宮址」に行ったことがあります。

畝傍山山頂から
今の神武天皇陵めがけてくだっていたら
古い石碑がありました。
blog84.jpg

そのときは 6 本くらい見たような。

1 本に「宮」の字が認められましたが。
blog85.jpg

ここに神武天皇陵があり
神社が建っていたといいます。
それは今!麓にある生国魂神社では!?
blog86.jpg

神社の近くに
「おおくぼまちづくり館」がありました。
blog87.jpg

係りの女史から丁寧な説明を受けました。

畝傍山の神武天皇陵を守っていたのは
洞村(ほらむら)という集落だったそうな。

平地の小塚を神武天皇陵にして
明治・大正・昭和と長きにわたって
どんどん拡張し!
巨大化していった過程で
被差別部落だった洞村はじゃまになり
生国魂神社とともに
ここ大久保地区に
集団移設させられたそうな。

その昔!畝傍山の丸山宮址から
乱れていた小径をくだっていて
落ちそうになった小さな池がありました。

洞村移設のとき墓地も改葬しています。
そのときに墓地の無縁の人骨を
沈めた池がそれだとか。

ひぇ~!
なにかに引きこまれるところでした。



私ひとりだけ納得していても
つまらんでしょうから
お年寄りを連れて
喜多酒造「御代菊」に寄ります。

「きんてつハイキング」の
「酒蔵みてある記」に参加しましょう。
blog88.jpg

今年は樽から勝手につげる
試飲がなくなっています。
残念。
有料試飲になっていて
500 円で
6 枚つづりのチケットを買うことに。

それで 50cc カップに
7 分くらい入れた酒を 5 杯買えました。
blog89.jpg

本醸造しぼりたて 生原酒!
にごり酒!
本醸造!
純米 倭!
水もと仕込み 純米吟醸 山乃かみ!

だそうな。

グループの長老から
「わさび葉ずし」をもらいました。
blog90.jpg

おいしいですが
テーブルもなにもないところで
あわてて飲まねばならないのが
ちょっと!残念。



(敬称略)
コメント(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。