SSブログ
蛇足ながら ブログトップ
前の5件 | -

辞世の句 冬眠か永眠か [蛇足ながら]

あの世とこの世の境にもうろうとして
もう 40 と数時間!丸ふつか経ちました。

いつの間にか寝ていて
腹痛や息苦しさや!
たぶん発熱に目覚めて
ヤマネかシマリスの冬眠のように
丸くなって耐えていたら
ふたたび!浅く眠ったり。

ヤマネやシマリスは冬眠するのやら
冬ごもりの範ちゅうだったのやら。
どうして!大変なときに
あさっての思考に飛ぶ性格なんでしょう。

水を少々摂取しているだけ。
空腹状態は冬眠を誘発するものかも。

そうか!健康が回復したら
「空腹と冬眠」の研究(!)をしなければ。
殊勝な考えが浮かんだのですが
ま!熱にうなされているだけで
勉強なんか死んでもしませんが。

あ!今!死にかけているのでした。

今日もだれも興味ないはなしで!
すみません。



冬眠(スリープ)状態のパソコンを
開けてみるものの!動かす気もなし。

  食欲も 性欲もなく 伏す二月

名句が浮かんだぜ。
ま!熱があるのでお許しを。
俳句の末席にでも入るものかどうか。

しかし!作った本人が俳句といえば
俳句だと思いますが。

他人が感動してもしなくても
知ったことじゃないのでは。

風天(渥美清)の句。

  山吹キイロひまわりキイロ
  たくわんキイロで生きるたのしさ

俳句だそうな。

世の中には他人の句に
あれこれケチをつけるひとがいます。
それを生業(なりわい)にして
センセイと呼ばせている
自称・俳人か賢者かがいます。

そのひとたちはこの句を
たぶん!俳句と認めないでしょう。
普通の倍くらいある大幅な字あまり。
季語がぐちゃぐちゃだから。

風天自身が俳句を作ったといえば
だれがなんといおうと!俳句。

実際!風天の俳句の中で
好きなものはというと
この句を選ぶひとも
少なからずいるといいます。

ケチをつけるひとは
ショーバイだから
しかたがないのでしょうけど
そんな悲しいことをしていないで
多くのひとが喜ぶ自作を
発表したらいかが。



  食欲も 性欲もなく 伏す二月

しかし!俳句とはなんでしたやら。
あらたまって習った覚えがないですが。

ま!たくさんのこと!たとえば
二次元方程式も習ったはずですが
覚えていませんが。

俳句と発句と俳諧は違うのでしょうか。

俳諧の雅語を使わない発句が
正岡子規などがいう俳句?!
そんな単純なものでもないですよね。

なにをいっているのか
自分でも分からなくなりますね。

「食欲」も「性欲」も
漢字の音読みですから
「雅語」ではない!?
では「俳言」なんでしょうか。

俳言を並べたから俳句。
たとえ!俳句だとしても
だれも感動しないでしょうけど。



  雪女郎 会いたしなりたし 性の果て

  もがり笛 父母もまた ダークマター

  みそをつく 祖母の背中や 黄泉の国

  寒の雨らし 性欲もなく伏せる

  性欲もなく こがらしは がおがおと

疲れます。
性欲から離れなさい。



パソコン!閉じます。
このまま!まぶたも永遠に閉じるかも。

情ない辞世の句です。
せめて

  性欲はあり 食欲は伏す二月

と!見栄を張りたいもの。



(敬称略)
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

辞世の詩 鏡は見ない [蛇足ながら]

日づけが替わった深夜。
急に心臓の鼓動がおかしい。
息苦しくなりました。

頭も重い。
起きあがりにくい。
かがむと
持病(?)の脇腹が痛み出します。
立ちあがると
ふらついて壁に頭をぶつけます。

さっきまで
ほんの 1 時間ばかり前まで!
いや 1 分前まで
いつも通りに過ごしていたのに。

せきは出ませんが
体温は 37.7 度もあります。
私の平熱は 36.0 度くらいですから
高いといえば高いですが。

それなのに
右足の先が氷のように冷たい。
熱の分布はどうなっているのやら。
あれこれ朝まで 3 時間対処しても
足のぬくもりがもどりません。

だれも興味のないことばかり書いて!
すみません。



ここから尾籠(びろう)なはなしです。

「どうしたの?!

おばさんが
さほど心配顔でもなく聞きます。

1 日水だけ飲んで生きていました。

大きな放屁 1 発。
いっしょに水みたいな便が出ました。

下着!寝間着!敷布!電気毛布!
汚れて!異臭!

その取り換えが
ふらついてうまくできません。

「洗わないとね!

ご心配無用!
古いものですから!みんな捨てます。
洗ってられません。
予備のものがあります。
もう細々考えたり動く気はありません。



シャワーを浴びて!また寝ます。

ああ!毎日 1 ブログ!
今日のブログを書かねばなりません。

「もう!読むひともいないんでしょ。
「あわてて書かなくてもいいのでは。

世間のブログはどうだか知りませんが
私のブログは遠に終わりました。

もう数年前に
アクセス数がガクッと減りました。
2 年前に突然
その少ないアクセスがさらに1/3になり
今!そのまま。
提携先のプロバイダが
どんどんブログをやめているのでしょうか。



寝ていても!また!おならが出そうで
そのたびにはうようにして
トイレに行きます。

それやこれや!
ブログのテーマさえ浮かびません。

どんどん落ち込みます。
死期が近いのかも。
不安が増します。

唐の張九齢の詩。

 宿昔(しゅくせき) 青雲の志
 蹉跎(さだ)たり 白髪の年
 誰か知らん 明鏡の裏
 形影(けいえい)自ら
     相(あい)憐れまんとは

立身出世を夢見ていた若いころ。
あれから!なん十年。
思い通りにならなかったのでしょうね。

でも!肉体の実年令の実感がありません。
青雲の志の若い日のまま!
心中にはときが経っていません。

天井を見ながら訳詩を作ります。

 青雲の 志(し)は燃え盛る
 白髪の 今もあかあか
 年寄りか おれ年寄りか
 さあ知らん 鏡を貸そう


コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

継続は力なり!ですか [蛇足ながら]

鬼の霍乱(かくらん)でしょうか
昨日雨の中を歩いて疲れていたのですが
未明から咳が出て
夜が明けると
側溝からさらわれた泥のように
ぐったり。

体温を計測すれば 36.0 度!平熱です。

咳がどんどんひどくなり
足先は氷のように冷たいのに
額は恋したように熱い!?
そんな恋!したかどうか忘れましたが。

体温は 37.2 度!ひぇ~っ!

1 時間後に 37.7 度。

体温計が壊れているのでしょうか。
低温体質で
人生で 37 度を越えたときがあったやら。

体温計 3 本出してきて
測ってみますが
どれもおなじ数字を出しますね。はは。

ついに 38.2 度になりました。
この分なら 100 度になるのは近い。



なにかしなければ。

日課は日記をつけること。

といっても!
気のきいたことばが出る訳でもなく
その日に食べたものを
ていねいに書くだけの間抜けな日記ですが。
拙ブログ 2007/05/26

ん十年つづけているのに
とぎれたら、、、ま!
日記は 1 日遅れでも書けますか。



後から書きにくいのはブログのエントリー。

毎日ひとつ
連続で 6,000 日を越えたのに
途切れさせるのは!惜しい。

惜しいと思っているのは自分だけですが。

考えてみれば
なんの価値もないことに
命をかけて(?)いますなぁ。

そんなことしか誇れない(!)
ふざけた人生ですねぇ。



ぐったり寝ているのに
ひと月ぶりやら!
1 年ぶりやらのひとから
メールが舞い込みます。

少し賢いと自負しているご老体ばかり。

「あそこに食べれる何処ありますか。

「食べれる」じゃなく
「食べられる」でしょうが。
「何処」はもしかして
「とこ」「ところ」なんでしょうか。

「書い過ぎし無いようにしなければ。

「買いすぎ」でしょうなぁ。
「し無い」?!
年寄りたちはやたら漢字変換したがります。

平仮名と句読点だけのほうが
伝えられやすいでしょうがね。
たまに漢字を混ぜたら読みやすいのに。
漢字だらけが
学がある文章と習いましたかな。

「あそこは唐衣です。

なんですか!?
「唐衣」は「遠い」のこと?!

「遠い」を「とうい」!
「氷」を「こうり」!
「通り」を「とうり」と打って
漢字変換する老人の多いこと。

義務教育で習ったでしょうが。
「とおい」「こおり」と書けと。

大阪弁に「いてる」「いてます」があります。
「いる」「います」のことでしょうか。

その大阪弁を漢字変換してくるので
一瞬!なにがなんやら。

「前提を手伝って。

庭木の剪定のこと?!
ちなみに「植木」は
旧仮名づかい表示は「うゑき」でしょうか。
関係ないはなしですが。



体温が 38.8 度になりました。

ひとの悪口ばかり浮かびます。
ごめんなさい。
こんな悲しいことはもう!いいです。
メールもでんわも受けつけず!休みます。
コメント(4) 
共通テーマ:日記・雑感

知るものは黙す コロナウイルス禍 [蛇足ながら]

2 昼夜!ふて寝していたら
せき!鼻水は改善しました。
新型コロナウイルスに
感染していなかったのかな。

出歩けるようになっても
動物園も植物園も博物館もみんな閉鎖。
イベントも落語会も講演会も学習会も
屋外のハイキングさえも中止。

強いて行きたい場所もありませんが
それなのに!
閉塞感にうちひしがれますね。

脱力感でなにをする気も起きません。
長年!こつこつ継続してきたことが
中断してしまいました。

とまったのは
毎日していた腕と指の 2 分間体操とか。
あ!まだありますが!いえません。
ちょっと恥ずかしいことですから。はは。

×十年欠かさずつけている
飲食物中心の日記も(拙ブログ 2007/05/26
中断しそうになりました。

が!ビョーキだったので
あまり食べていないので簡単に記載できて
継続できましたね。はは。

このブログ!毎日更新がとぎれそう。
とぎれても!とぎれなくても
だれも気にしませんがね。
今はアクセス数も激減していますから
新型コロナウイルスのせいにして
ここで終了するのもいいかも。

そんなこんなで!なんとなく
もやもや感が取れないんですよね。

といって!
気を取り直して頑張ろうとしても
今日のブログ用に
なんのストーリィも
考えも持ち合わせていませんがね。

昨日もネタにこと欠いて
「新・野ざらし」を書いていますね。

あんなことは
アラフォー(around 40)のおね~さん方に
日常いっていることですから
苦労はないのですが。

思えば!よくもまぁ!くだらん!
というより!人間性を問われることを
普段いっているものですねぇ。

それにしても!結構!長文じゃないですか。
平時よりぼんやりしていた脳なのに。
ぼんやりしていたほうが
なにかを書けるのでしょうか!私は。

ストーリィもプロットも支離滅裂ですがね。
ま!りくつで考えなくてもいいですか。
噺(はなし)ということにすれば。

ブログの毎日更新の中断結構!
こどもじゃないのですから
こんなときには
黙っているのが賢明というものでしょう。

白楽天がいっていませんでしたか。
「いうものは知らず知るものは黙す」と。

あ?!
これ!詩の一節でしたか。

言者不知知者默
  いうものはしらず しるものはもくす
此語吾聞於老君
  このご われろうくんよりきけり
若道老君是知者
  もしろうくんは これちしゃというならば
縁何自著五千文
  なにによりてか
  みずからごせんぶんをあらわせる

長い間!白楽天が作ったことばだと
思っていました。

老子を揶揄(やゆ)しているのでしたか。



それではこの機会に
その「老子」をながめておきますか。

ながめるもなにも
わが病床(?)の枕辺に
そんな高尚なもの!
運よくあるはずがありません。

探せば!漫画がありましたよ。

蔡志忠作画/マンガ 老荘の思想/です。
すごい家だったのですね!わが家は。
こんなものがあるなんて。はは。
いつわが家に到来したものでしょう。

しかし!老子(道徳経)を
全部!描いている訳でもありません。

それらしき部分がありませんね。



なにも知らずに使っていましたが
私に中に道徳経のことばが
いくつもあったことを知りました。

「大器晩成」とか
「柔よく剛を制す」とか。

無知を知ったので
納得して!もう少し
病人をしていましょう。



(敬称略)
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ブログ 連続 5000 日 [蛇足ながら]

拙ブログ。
連続 5,000 日書きました。

1 日抜けているとは思うのですが
それはプロバイダが 2 日にわたって
たしか!サーバかなんかを
入れ替えていたからですが。

その代わりといってはなんですが
1 日に 2 回エントリーしておきました。

アドレスが 3 度
勝手(?)に変更されました。

今ほど SNS が普及していないとき
義理で(?)で読んでいた
おじさんやおばさんが
そのつど!離れて行きました。
「アドレス!分からなくなった」
とかなんとかいって。

「これ!さいわい」と思ったのでしょう。

冗長なブログですから
つきあいきれないのでしょう。




初めになにを書きたかったのか
忘れましたが
内容が大きく変わってきたのはたしかです。

文体も大きく変わりました。
最近は漢字の使用を減らしています。

漢字は書けない!読めない!
苦手中のにがてですが
最初のころは変換にまかせて多用しました。

汗顔の至り。

できるだけ平仮名を使い
仮名がつづき過ぎて
煩雑になったときにだけ
漢字をまじえたほうが読みやすく
清潔なようだと思うようになりました。

漢字は句読点の代わりになるかも。



嫌いな漢字が出てきました。

なぜか!
見たくなくなった漢字がいっぱい。
「彼」「誰」「何」「来」「者」「物」「言」等々。
別に失恋した相手にちなんだ漢字では
ないのですが。

日々増えて行くような。

熟語の中にあって
音読みのときには仕方がないのですが
できるだけ使いたくありません。

しかし!
「方」は「ほう」のときには平仮名
「かた」と読むときには漢字を使うなど
いうこととすることと違う
いい加減さでもあります。



1 日にひとつ「タイトル」のある
エッセイが書けたらいいな!
なんて軽く思っていたのは噴飯もの!

知識の蓄積とセンスがなければ
5,000 日書いていても
ひとつもものにできませんでした。

ま!文豪の司馬遼太郎だって
随筆が書けないといっていました。

司馬は随筆を書いているじゃないかと
無知なものは思うのですが
かれはそれを否定し
「むだばなし」と名づけていました。

文豪が書けないのなら
私が書けなくて当然ということで
納得しますか。



文章のセンスはないし
向上心はないし
たまに勉強しようと思っても
どの本でも 1 冊を完読するほど根気はないし。

元来!人の文章を読むことが嫌いです。

昔から強制的(?)に読まされたものに
なにひとつ
感動するものはありませんでした。
梶井基次郎だの芥川龍之介だの。

谷崎潤一郎!川端康成!三島由紀夫などは
変質者の告白としか思えませんでした。

志賀直哉の「城の崎にて」なんて
読後になにも残らず
読んで損したと思っていたのですが。

思っているだけで
恥ずかしいので
だれにもいわないでいたのですが
今年(2019)亡くなった橋本治が
おなじようなことをいっていたのを知って
安堵しました。

単純というのかバカそのものなのか。



バカといえば
認識不足で
誤ったことを平気で書いた数々。
すみませんでした。

たとえば!一休の生涯を
まったく間違えて覚えていました。
一休は知れば知るほど
私の中ではどんどん偉人になります。

あんまり好きでもなかった紫式部も
偉大さが分かるようになりました。

反対に
聖徳太子の業績はますます疑うようになり
源義経や坂本龍馬などは
軽薄な人間に思えて仕方がなくなったり。

作品の評価は高いのでしょうけど
正岡子規とか石川啄木とか檀一雄とかの
傲慢で他人に迷惑な私生活とのギャップに
ふらふらして書いて!
たびたびつじつまが合わなくなっています。

そんなこんなで
私の筆致がこの 10 年!猫の目のごとし。
申し訳ないことにございます。



このブログを始めたとき
しょこたん(中川翔子)のブログが
1 日に
400 万アクセスを軽く越えていましたが
拙ブログは 5,000 日かけて
400 万に届いていません。
このままなら来年になるでしょう。

それでも書いていたとは!エラい!
エラいかどうか。
賢明な人なら
早くに気づいてやめていたでしょう。
「恥さらし」と感じなかったのでしょうか。

ともかく長い間ご訪問いただき
ありがとうございました。
あしたからどうしましょう。



(司馬遼太郎著/歴史と小説/)
(橋本治著/「わからない」という方法/)参照
(敬称略)
コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感
前の5件 | - 蛇足ながら ブログトップ