SSブログ

正岡子規と親子丼 [すててこ!しゃんしゃん!]

正岡子規の「仰臥漫録」は
明治34年35年の死の直前の日記らしい。

「仰臥漫録」はルビがないので読めません。
便宜上!私は
「ぎょうがまんろく」と音読みしていますが
俳人の日記ですから!雅な言葉を当てるのでしょうね。
無教養でごめんなさい。

食べること!薬を飲むこと!包帯を替えること!
そんな記述がつづきます。

数々のご馳走と量の多さに驚きます。

明治34年10月1日 晴
朝  ぬく飯3わん 佃煮 なら漬
   牛乳5勺ココア入り 菓子パン
午  まぐろのさしみ 粥3わん みそ汁 なら漬
   りんご1 ぶどう1ふさ
   牛乳5勺ココア入り 菓子パン
晩  親子丼(めしの上に鶏肉と卵と海苔とをかけたり)
   焼茄子 なら漬
   梨1 りんご1

(一部!勝手に読み下しております)

ふへ~っ!ご馳走ですね。
これは特別な日でもなく毎日がこんな調子で
もっと品数と量がすごい日もあります。

3羽到来した鴫(しぎ)を翌日の昼食で
ひとりで一度に全部食べたりしていますね。
大きな鳥ではありませんが、、、。

それにしても!
肺のほとんどの機能を失い
寝返りも打てない重病人の、、、健啖(けんたん)ぶり。

もしかして
その時代で一番恵まれた結核患者じゃないでしょうか。

この頃
私のご先祖は
すえた沢庵のしっぽで麦めしをかきこんで
バカ正直に
重労働をしていたようですよ。

ところで!子規も食べていた「親子丼」
歴史は古かったんですね。

上京した菊池寛が食べたのもその頃でしょうか。

その頃の親子丼は野菜を全く使わなかったようです。

もっとも!今!多くの人が
親子丼に使っているたまねぎは
戦後普及した野菜!
子規の時代には
コレラのおまじないか輸出用くらいでしたでしょうから。

では!
野菜を使わないで鶏肝の親子丼を。

鶏肝を切って血抜きをしてから
生姜!砂糖!醤油!味醂!酒!梅干で時雨煮を作りました。

その肝をだしで煮て
鶏卵でとじてごはんにかけました。

blog肝親子丼.jpeg

厳密にいいますと
鶏肝は高砂親方で(つるっつるっで)
鶏卵でとじて固められません。
すぐ飛び出します。
(敬称略)
コメント(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。