二上山(2) 中将姫と蓮根ごはん [七面鳥六目半ごはん]
「相夫恋(そうふれん)という楽はもとは相府蓮」と書いたと
徒然草(つれづれぐさ)にあります。
晋(=東晋 317 ~ 420 年)の
王倹(=相府)の故事を引き合いに出しています。
蓮(はす)はそのくらい昔に
屋敷の庭に植えられていたのですね。
大賀ハスにみられるように
有史以前からあったのでしょうけど。
当麻寺(たいまでら)の御本尊の
当麻曼荼羅(たいままんだら)は
中将姫(ちゅうじょうひめ)が
763 年に
百駄の蓮の茎を集めて蓮糸を繰り
1 夜で織りあげたそうですよ。
私が勝手に思うのですが
唐時代に蓮の改良が進み
遣唐使によってわが国に新品種が次々に伝えられ
当麻の里を中心にたくさん植えられていたのでは?!
ここは蓮の里でした!?
そこで中将姫の物語が
この地で生まれたとは考えられませんか。
それは観賞用だったのでしょうか
食用だったのでしょうか。
兼用だったのかも知れませんが。
当麻寺に中将姫がいました。
寺の近くで眠っています。
右の十三重塔が墓石です。
中将姫はいつも二上山を見上げているのですね。
二上山に登ればやさしい風。
帰依のない餓鬼は
蓮根ごはんを炊いてみましょう。
蓮根と小エビ(干しアミ)と
昆布茶を入れました。
実際!蓮の糸で曼荼羅は織れないでしょうが
蓮根ごはんをかみしめれば
心の中に曼荼羅が織れるのですよ。
なんて!
ざれごとをいってみたい春霞の中です。
徒然草(つれづれぐさ)にあります。
晋(=東晋 317 ~ 420 年)の
王倹(=相府)の故事を引き合いに出しています。
蓮(はす)はそのくらい昔に
屋敷の庭に植えられていたのですね。
大賀ハスにみられるように
有史以前からあったのでしょうけど。
当麻寺(たいまでら)の御本尊の
当麻曼荼羅(たいままんだら)は
中将姫(ちゅうじょうひめ)が
763 年に
百駄の蓮の茎を集めて蓮糸を繰り
1 夜で織りあげたそうですよ。
私が勝手に思うのですが
唐時代に蓮の改良が進み
遣唐使によってわが国に新品種が次々に伝えられ
当麻の里を中心にたくさん植えられていたのでは?!
ここは蓮の里でした!?
そこで中将姫の物語が
この地で生まれたとは考えられませんか。
それは観賞用だったのでしょうか
食用だったのでしょうか。
兼用だったのかも知れませんが。
当麻寺に中将姫がいました。
寺の近くで眠っています。
右の十三重塔が墓石です。
中将姫はいつも二上山を見上げているのですね。
二上山に登ればやさしい風。
帰依のない餓鬼は
蓮根ごはんを炊いてみましょう。
蓮根と小エビ(干しアミ)と
昆布茶を入れました。
実際!蓮の糸で曼荼羅は織れないでしょうが
蓮根ごはんをかみしめれば
心の中に曼荼羅が織れるのですよ。
なんて!
ざれごとをいってみたい春霞の中です。
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