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高野山女人堂へ10里9里8里 [町道!街道!眠り未だ足らず]

「高野街道」と称する道がたくさんあります。

大阪府には
「東高野街道」「中高野街道」「下高野街道」
「西高野街道」なんかあるようですが。

どの道からでも高野山に向かえば
途中でみんな合流して 1 本になるようです。

港町・堺を起点にしている「西高野街道」は
堺の隆盛に応じたのか
中世以降!
その中で一番にぎやかな参詣道になったそうですよ。

堺の大小路に
「是より高野山女人堂江十三里」と書かれた
起点の里程石があるそうです。

江戸時代の終わりのもののようですが
今も街道に 13 石残っているのでしょうか。

全部 1 度に歩くには根性がなく
試みに
「十一里」石から
「八里」石あたりまでたどってみます。
10km あまりの距離ですから大丈夫でしょう。



南海・大阪狭山市駅から狭山池に出ました。

朝もやにかすんでいますが大きなため池です。
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7 世紀初頭の築造らしい。

西に歩いて
岩室の交差点で「西高野街道」をつかまえて
高野山の方!つまり南へ向かいます。

後で気づいたのですが
「十一里」の里程石は反対側の堺の方に
もどらなければなりませんでしたが。

ほどなく
「左かうや山 右あまの山」の石碑。
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ここが天野街道の起点ですか。

道なりに行けば坂を下ったところに
「おわり坂」の表示板。
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この複雑に見える交差点は
下高野街道との合流点らしい。
よく分らないまま!先を急ぎます。

そんなに往来もなく
昔の面影も残る街道をひたすら進むと
「十里」石が捨てられたように立っていました。
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大相撲のしこ名のような山号の寺院。
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山号が「白鳳」?!

あれもこれも無知で恥ずかしい限りですが
寺の名前に元号がついた
格式の高い寺院に遭遇することはあるのですが
山号に元号を使うこともあるのでしょうか。

もっとも「白鳳」は大化の改新以前!
元号でもないのかも。

その寺のすぐ先に分岐点。
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中高野街道の合流地点かな。

あ!晴明塚!
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安倍晴明ですか。
ここは
陰陽師(おんみょうじ)の道でもあったのですか。



もうすぐ南海(近鉄)・河内長野駅というところに
「九里」の石碑。
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往来の激しい落ち着かない河内長野駅前に
高野街道の碑が建っていました。
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東高野街道の合流地点です。
これで 4 街道がひとつになったのですね。



ここからは少しは知っている道。
気楽に歩けます。
整備された!なかなか趣きのある道がつづくはず。
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三日市宿を進みます。
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ぶらぶら歩けば南海・三日市町駅。

その駅前を過ぎて高野山方向に行けば
すぐ!
「八里」石が川の畔にぽつんとありました。
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さて!もう 1 里だけでも進みますか。
どうします?!
駅前ですのですぐ!電車に乗れますがね。

「ここが~思案のしどころよ~」

なんの歌ですか?!

「橋幸夫!」
「いっしょにカラオケしたおじさんが歌っていたよ」

ふ~ん!
恋多きアラフォー(around 40)お局さま
最近はかなりの年のおじいさんと
つきあっているようですねぇ!

忙しい人ですね。
いくつになっても危うさを求めますね。
親は美人に産んでいるのに。

「ヤケドしないようにね!」なんて
ハラになくても口先だけが勝手に
殊勝なことをいえるようになった私に気づいた
高野街道です。

南無大師遍照金剛。

(敬称略)
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