土塔!泉州は行基の里 [町道!街道!眠り未だ足らず]
早朝!寝ころんだまま眠気まなこで
よせぴっ(上方落語情報フリーペーパー)を
広げていたら
ん!?
土塔庵寄席!
土塔?!
土塔(どとう)ですかぁ!
奈良の東大寺の南に頭塔(ずとう)があります。
1 辺 32m 方形!高さ 10m 7 段の土製のピラミッド。
奇数段にいくつもの石仏がまつられています。
土の塔すなわち土塔でしょうけど
ここだけは頭塔と呼ばれています。
いつも通るたびに感心していたら
「泉州にも土塔があるはず」と
レクチャーされていました。
が!訪ねる機会のないまま久しいですね。
それでふと思い立って
堺市にその土塔を探しに出かけます。
東大寺周辺には
行基(668? ~ 749)の伝説が残されていますが
泉州の土塔があるあたりも「行基」ばかりですね。
その行基の伝説をたずねながら行きましょう。
JR阪和線の津久野駅から歩けばすぐ
大きな池にあたりました。
家原(えばら)大池ですか。
池のそばの大きな寺は家原寺(えばらじ)。
行基の生誕の地なんですって。
この地はまた和泉式部の伝説も多いところ。
古そうな石標の差す方に行けば小さな神社が。
和泉式部宮。
手作り感のある可愛い(失礼!)神社ですね。
行基の母のゆかりの寺の華林寺(けいりんじ)です。
境内になぜかさっぱりなにもないんですが。
やはり行基の母のゆかりの
蜂田(はちた)神社!鈴の宮公園!
行基の掘った井戸の跡を越えれば
プラネタリウムがありましたが
興味が湧かず通り過ぎ
野々宮神社の境内を横切って大きな池に出ました。
水賀池(みずがいけ)。
これも行基の功績らしい。
ほどなく!とんぼの群れ飛ぶ向こうにピラミッドが!
すごいですねぇ!
これが大野寺土塔ですか。
そばの大野寺は行基建立四十九寺のひとつ。
727 年寺院と土塔が築かれたそうです。
もっとも今の寺も土塔も
創建時のものではないようですが。
ピラミッドの 1 辺は 53m 高さは 9m
当初は 13 重の土塔だったようで
奈良の頭塔とはあまり似てはいないような。
ここには石仏も見られません。
ああ!きっかけは「よせぴっ」でした。
寄席が開催される土塔庵とは?!
近くに古くて立派な民家のような家の壁に
看板がありました。
飲食店でもないような。
なにか文化的なものを発信している基地なんでしょうか。
私には敷居が高そうで寄らずに帰ります。
よせぴっ(上方落語情報フリーペーパー)を
広げていたら
ん!?
土塔庵寄席!
土塔?!
土塔(どとう)ですかぁ!
奈良の東大寺の南に頭塔(ずとう)があります。
1 辺 32m 方形!高さ 10m 7 段の土製のピラミッド。
奇数段にいくつもの石仏がまつられています。
土の塔すなわち土塔でしょうけど
ここだけは頭塔と呼ばれています。
いつも通るたびに感心していたら
「泉州にも土塔があるはず」と
レクチャーされていました。
が!訪ねる機会のないまま久しいですね。
それでふと思い立って
堺市にその土塔を探しに出かけます。
東大寺周辺には
行基(668? ~ 749)の伝説が残されていますが
泉州の土塔があるあたりも「行基」ばかりですね。
その行基の伝説をたずねながら行きましょう。
JR阪和線の津久野駅から歩けばすぐ
大きな池にあたりました。
家原(えばら)大池ですか。
池のそばの大きな寺は家原寺(えばらじ)。
行基の生誕の地なんですって。
この地はまた和泉式部の伝説も多いところ。
古そうな石標の差す方に行けば小さな神社が。
和泉式部宮。
手作り感のある可愛い(失礼!)神社ですね。
行基の母のゆかりの寺の華林寺(けいりんじ)です。
境内になぜかさっぱりなにもないんですが。
やはり行基の母のゆかりの
蜂田(はちた)神社!鈴の宮公園!
行基の掘った井戸の跡を越えれば
プラネタリウムがありましたが
興味が湧かず通り過ぎ
野々宮神社の境内を横切って大きな池に出ました。
水賀池(みずがいけ)。
これも行基の功績らしい。
ほどなく!とんぼの群れ飛ぶ向こうにピラミッドが!
すごいですねぇ!
これが大野寺土塔ですか。
そばの大野寺は行基建立四十九寺のひとつ。
727 年寺院と土塔が築かれたそうです。
もっとも今の寺も土塔も
創建時のものではないようですが。
ピラミッドの 1 辺は 53m 高さは 9m
当初は 13 重の土塔だったようで
奈良の頭塔とはあまり似てはいないような。
ここには石仏も見られません。
ああ!きっかけは「よせぴっ」でした。
寄席が開催される土塔庵とは?!
近くに古くて立派な民家のような家の壁に
看板がありました。
飲食店でもないような。
なにか文化的なものを発信している基地なんでしょうか。
私には敷居が高そうで寄らずに帰ります。
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