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猪名川沿い 田能遺跡 [猫も歩けば棒立ち]

猪名川をさかのぼります。
彼岸花が咲き始めました。
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大阪府と兵庫県の境界線上。
尼崎市を歩いているつもりですが
豊中市になったり伊丹市に出たり。



「農業公園」への標識があります。
猪名川右岸。
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尼崎市立でしょうか。

「農業公園」と命名されていますが
フツーの公園にしか見えないのですが。
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バラ園!ボタン園!ハナショウブ園!芝生広場!

農業公園だから
稲田やそば畑があって
牛やヤギが遊んでいるのかと思ったのですがね。

公園内に古い溺死霊魂の慰霊碑がありました。
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「元文五年雷鳴拆山洪水襄陸」だったそうですよ。

日本にきて間がないものは読めやしない。
元文 5 年(1740)年に雷鳴が山をさいて
洪水が陸をおそったのでしょうか。

死者が「幾千万人」ですって。



猪名川橋を渡り左岸へ。
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遊歩道かサイクリングロードか知りませんが
草に囲まれて
虫の音が聞こえるさわやかな道がつづいています。

ん?!
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やめてください!
土手や河川敷の草刈りが進んでいます。

昆虫たちはどこへ行けばいいの。

このとき
猪名川はつましく
底をくねくね流れているだけだったのですが
この夜!大雨警報!
1 時間に 100mm を越える降雨!?

猪名川はあふれたのでしょうか。



左岸に「田能遺跡」がありました。

「田能」は「たのう」でしょうか。
「たの」と発音している地元の人もいましたが。

弥生時代の住居跡。
建てものを復元していました。

円形平地式住居。
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方形竪穴住居。
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稲田には古代米を植えているそうな。

高床式倉庫も。
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プレートがたくさん立ててありますが
埋葬場所を示しています。
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木棺墓!土壙(どこう)墓!
壺・甕(かめ)棺墓など 17 基。

住居のすぐそばに埋葬していたのですか。

たぶん!復元場所がなかったので
ここに建てたのでしょう。

というのは
田能遺跡は大変広大だったに違いありません。

発見された昭和 40 年(1965)ごろは
高度成長!イケイケどんどんの時代。

ここに工業用水の配水場建設が急がれて
遺跡なんかどうでもよかった時代。

今!わずかに残されていたのが墓地跡。
仕方なくそこに住居を復元したのじゃないのかな。
間違っていたら!ごめんなさい。



私は墓の上の芝生に座って
ほんの少しときの流れに身をまかせます。

思いを込めて埋葬した人たちも埋葬されて
もう!なんの感慨も風に消えています。

日本の風土でお骨や木棺が残っていたことさえ
ただただ!まれなこと。

ということは
崩して配水場にしても
なんのおとがめもないはず、、、ですか。
日本中!
先祖のお墓の上に住んでいるようなものだから。

ふと!
ゴールズワージー著/渡辺万里訳/の
「林檎の樹」を思い出しました。

「林檎の樹」の主人公は片田舎で
道のそばの小さな小さな芝生のふくらみを
偶然!見つけます。

20 数年前に別れたかの女の墓でした。
かの女は共同墓地にも
希望した林檎の樹の下にも埋葬されていませんでした。

今!なんのくもりもない幸せの中
かの女の眠る芝生に座って
かれはなにを思いますか。
思いましたか。

結末は、、、忘れました。
忘れてもいいことだったような。



(敬称略)
コメント(2) 

コメント 2

田能資料館長

 お越しいただき、ありがとうございました。
 この遺跡は、約2300年前から約1700年前までの600年間にわたる地層から発見されました。
 初期には集落だったようで、住居の柱の後や土器などがが多く発見されています。
 後期には墓地として使用されていたようで、場所は住居と近接していますが、掘り出された地層の年代が異なっているため、住居の近くにお墓があるようになっているのです。

 疑問をお持ちのようですので、ついコメントをしてしまいました。
 お許しください。

 また、機会がありましたら是非お越しくださいませ。

by 田能資料館長 (2016-05-08 12:10) 

ほっ

ご教授ありがとうございました。
またおうかがいしますので
よろしくお願いいたします。
by ほっ (2016-05-08 18:48) 

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