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小林一三 逸翁のこと [不謹慎ですが、、、]

長屋門だそうです。
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古民家から移設した江戸時代のもの。

小林一三記念館です。
洋館ですが門や庭園は純日本風ですね。
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庭がよく見える部屋は
「雅俗山荘」というレストランになっています。

こどもは入れてくれません。
私は戸籍上立派なおとなですが
風体が卑しいので入れてくれません。
入れてくれても
お金がないので料理の注文ができません。
高級かどうか知りませんが高価なようです。

ここは小林一三(1873 ~ 1957)の居宅跡。
住居の名前が雅俗山荘(がぞくさんそう)なんですね。
なめくじが笑う私たちの四阿(あずまや)と違い
居宅に雅号がついているんですなぁ。

その本宅やふたつの茶室や長屋門がみんな
国登録有形文化財建造物とかで
それに最近増築された新館とで
「小林一三記念館」なんですね。

小林一三は
阪急(後に阪神も加わった)東宝グループの創業者。
往時のブルジョアの生活がしのばれます。

ラジエータ(radiator)でしょうか。
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夫人家事室だそうですが。
ここ大阪府池田市の冬は寒いですからね。
全館暖房施設があったのでしょうか。

建築は昭和 12 年(1937)ですけどね。



すぐ近くに
逸翁美術館がありました。
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逸翁(いつおう)とは小林一三が自称した雅号。

大昔に訪問したときには
先ほどの小林一三記念館が逸翁美術館だったような。
新築して引っ越ししたのですね。

金にあかしたのか
審美眼がすごいのか
集めに集めた
高価そうな美術品がずらずらずら。

収集品を見ると
与謝蕪村が好きだったのでしょうか。

逸翁の作品も多く展示されていました。

小林一三は実業家で国務大臣を務めた政治家ですが
茶人で!俳人で!小説を書き
ヅカ(宝塚少女歌劇=現・宝塚歌劇団)の脚本も書く
スーパーマンなんです。

俳画「栗の実」の
「西能勢の 野分のあとの たよりかな」という
蕪村風かどうか分からない俳句だけ
覚えて帰りましたが。

しかし!「清 正 美」の扇面の絵は
教養もお金もない私には!うさんくさい!

宝塚歌劇の少女に課したことばでもありますが
小学生相手の安っぽい説教みたいじゃないですか。

「私の嫌いなものは偽善家だ」と
女性にだらしない男を嫌ったそうですが
阪田寛夫著/わが小林一三/には
女性問題の偽善家は逸翁自身じゃないかと
書かれていたのを思い出しました。



この人は家庭的に恵まれない生い立ち。
母親とは 1 歳にならないうちに死に別れ。
養子だった父親は出て行ったのですね。

母親もそうだったらしい。
逸翁自身
「母子 2 代の孤児」といっていたようです。

でも!財産はあります。
母の遺産と
父親が養子にきたときに持参していたお金が
あったらしい。

故郷の甲州韮崎を出て
慶応義塾に学んでいるときには
年に 200 円のこづかいだったそうな。

ちなみに後日慶応を出て
三井銀行に入ったときの初任給が 13 円の時代に。

就職してから
別れた父親から
財産はそんな少ないもんじゃないと知らされて
財産を管理している本家に
年額 1,000 円送らせていたそうな。

フツーじゃないですね。
うらやましいかぎり。
私からみるとしあわせいっぱい!空いっぱい。

お金には困らない!
事業は成功する!
趣味人として認められている!
となって
「清く正しく美しく」だの
「偽善家は嫌い」だの
田舎の坊主の説教みたいなことをいいたくなるのは
なにかあるのじゃないですか。

ふと歌人の石上露子を思い出します。

大金持ちの杉山家の跡取り。
みんなの羨望(せんぼう)の的だったのに
本人はちっともしあわせじゃなかった人生。

「おまへたちは太陽のかげを見てゐない」
拙ブログ 2013/11/16

負った宿命は重く
貧乏人だった方がしあわせかも知れないのです。



さらに「下町三人娘」という
NHK銀河テレビ小説も思い出しましたが。

下町の同級生の 3 人の娘
娘といっても初老のおばさんたちですが
その娘たちの同級生の男がビルを建てて
取り巻きをなん人も引き連れています。

その男に 3 人娘が
「反省して人生の総決算をしろ」という物語です。

「ぼくはこつこつと真面目に生きていたら」
「いつの間にかビルが建った」

「こつこつ生きていたらビルが建つもんか」

こずるく悪いことばかりしていたことを
糾弾する 3 人娘です。

「なにも悪いことをしなかった」
「こつこつ平凡に生きてきた」
成功した人は
そんなことをいうのが好きなんですねぇ。

成功者は多くの陰を負っているものらしい。

逸翁の陰のひとつは「生い立ち」かも。

与謝蕪村は 20 歳ころに故郷を出奔してから
一生帰郷した形跡が
ありません。(拙ブログ 2012/07/20

蕪村好きの逸翁もまったくといっていいほど
故郷の甲州に立ち寄っていないようです。



その逸翁美術館の隣の「池田文庫」は
「小林一三ワールド 夢ひらく東宝」を
展示していました。
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昭和 30 年(1955)の
「東宝いろは歌留多」がありました。

「(ろ)ローマで 名を賣(う)る 八千草薫」

「(ほ)ほんに 池部は いゝ男」

ははは。

「(れ)麗人 原節子さん 早く治って」

麗人なんですね。
たぶん!映画史上
永遠の麗人といわれるのはかの女だけかも。

原節子さん!どうしてらっしゃいますかね。



小林一三に批判的な考えはありませんよ。
思いついたまま。
誤解を招くような拙い文ですみません。

この 3 館の入場券をお送りくださった
お大尽に感謝申しあげます。

池田文庫のそばの
創業天保 12 年の「菓匠 福助堂」で
丁稚羊羹(でっちようかん)を買って帰ります。
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丁稚羊羹は不思議な食べものです。

あちこちにあるのですが
製法が少しずつ違います。

全国の丁稚羊羹を
集めてみるのも面白いのじゃないかと思いながら
阪急の池田駅に向かいます!
永遠の貧乏丁稚は。



(敬称略)
タグ:石上露子
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