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貴船!丑の刻参り [いわなが姫の丑の刻参り]

京の貴船神社
丑の刻(うしのこく)参りの発祥の地でもあるらしい!?
初めて知りました。

感心しながら!さらに歩いていくと
貴船神社は本宮!中宮!奥宮とありますが
中宮は別名・結社(ゆいのやしろ)といって
「いわなが姫」がご祭神でした!

そうですか!
ここが「いわなが姫」の終焉の地でしたか!?

古事記・日本書紀では
「いわなが姫」は妹の「このはなのさくや姫」といっしょに
ニニギの命(みこと)の元に行きますが
ニニギの命は美人の「このはなのさくや姫」だけ選んで
容貌の悪い「いわなが姫」に帰れといいます。

そのとき「いわなが姫」は
ニニギの命の家来に
石をぶつけられて「びえ~ん」と泣いております。
漫画の中のはなしですが。

(主婦と生活社 古典コミックス古事記より)

可哀想じゃないの!

ふたりの姫の親は嘆きました。
「このはなのさくや姫」をそばにおいておれば
御世(みよ)は花が咲き誇るように栄え!
「いわなが姫」が仕えれば
ニニギの命の生命は石のように長くつづくと願ったのに!

このときから
天神(あまつかみ)の御子(みこ)は花のように栄えても
短命になったということです。
ニニギの命と「このはなのさくや姫」の曾孫(ひまご)が
第1代・神武天皇ということだそうですよ。

記・紀にはたくさんの別伝があり
門外漢の野次馬がパラパラめくっても
どれにも「いわなが姫」のその後が書かれていません?!
が!
終焉の地はちゃんと!あったのですね!?
 
 
 
このブログのカテゴリーのひとつを
「いわなが姫の丑の刻参り」と名づけていますが
深い意味がある訳でも
熟慮した訳でもありません!

いわなが姫が丑の刻参りをしたら面白い!と
無責任に思っただけなんです。

そんなおバカなままで歩いていて
出会いがしら
「いわなが姫」「丑の刻参り」とふたつ重ねてぶち当たると
背筋に戦慄が走りました。

丑の刻参りの始まりは平安時代?!
「いわなが姫」は記・紀の神話の中の人。
時代がかみ合いません。
「いわなが姫」が丑の刻参りをされることはありませんね。

神さま!名誉を汚してごめんなさい!
もう悪い子をやめますから!許して!


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