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京の五条の橋の上(1) ぎなた [平安京有情]

  弁慶はな
  ぎなたをふりあげて

の「ぎなた」とはなんじゃらほい?!

日本にきて間がないころ
気をつけなさいといわれました。

日本語の文章の
句読点とか区切りは曖昧模糊(あいまいもこ)
書き方に法則があるのやら!ないのやら。
「、」(てん)で「。」(まる)で分からない。
読むときにはもっと大変!
ひとつ間違えただけでちんぷんかんぷん。

  弁慶は
  なぎなた(薙刀)をふりあげて

なんですねぇ。

そんなつまらんことを思い出しながら
五条の橋の上にきました。

唱歌「牛若丸」は

   京の五条の 橋の上
   大の男の 弁慶は
   長い薙刀 ふりあげて
   牛若めがけて 切りかかる   

でしたか。

橋のたもとに弁慶と牛若丸(義経)がいました。
blogaa.jpg

出典は義経記ですか。

弁慶が 1000 本の太刀を強奪する計画を立てて
五条の橋の上で
薙刀を持って巣を張っていたとき
義経と出会ったというのが現代の周知です。

大男のイメージが固定している弁慶には
薙刀(なぎなた)が似合うのかも知れませんが
義経記には
薙刀(なぎなた)は出てこないのでは?!

それに!場所が怪しい。

五条の橋は
平清盛の本拠地の
六波羅(ろくはら)のそばですよね?!
そんなところでたむろしていて大丈夫なんですかね。
すぐ!警備に捕まってこらしめられるでしょ。

その前に疑問!

今の五条通りは豊臣秀吉が
大仏殿を作るため交通至便に拡張して
命名したのでしょ。
五条通りの北にひとつ通りがあり
さらに北の松原通りが当時の五条通りだそうですよ。

五条大橋から鴨川に降りて
上流に向けば橋が見えます。
blogbb.jpg

松原通りの橋!すなわち松原橋ですね。
あそこが当時の五条の橋?!

しかし!
当時の五条通りに橋が架かっていたのでしょうか。
清水寺の参詣のために架かっていたのかも。
でも幅員の小さな橋だったことでしょう。
とても
薙刀を振り回すのには窮屈なんでは!?

ちなみに
火の鳥(乱世編/手塚治虫著)の弁太(弁慶)は
丸太 1 本で闘っています。



関係ないはなしですが
「ぎなた」といっしょに覚えているのが
「ゐ」?!

「ゐ」は「る」と「め」とが合体したものではない。
と!ついでに教えられました。
ついでに教えてくれなくてもいいのですが。

「るめ」なら
項羽の四面楚歌のときの有名な詩の一節。

  時に利あらず  騅(すゐ)逝かず



  ときにりあらず するめゆかず

じゃ!感慨もなにもない!
馬(騅=すい)はするめじゃない!という
生産性になにも役に立たないはなし。

覚えなくてもいいです。
忘れて!忘れてください。

(敬称略)
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